第29話

「おっと! から連絡だぁ。ボクは席を空けるから、郁翔いくと氏、頼んだよ~」



 手を振りながら、地下施設から去っていく常泉じょうせん。とはいえ、もう郁翔いくとも僕に銃を突き付けてくるようなことはしていない。システムの同期作業を始めた僕を、後ろから見張ってはいるが、警戒しているというより、どんな作業をしているのか興味があって見ているような感じだ。



「……」

「……」

「そろそろ素顔でも見せてくれたらどうなんだ?」

「顔は潰した。その方が何かと楽だからな」



 パサリと、フードを取る。


 僕は作業をしながらチラリと横目で見るが、見れたものじゃないと、すぐに画面に集中する。


 鼻から上は無かった。例えるなら、のっぺらぼう。髪もなければ、眉も無い。顔は本人の言うように、ぐちゃぐちゃなのだろう。シリコン製と思われる覆いをしているが、境界からはただれた痕がチラチラと顔を出している。本来目があるである場所には穴が二つ。そこから覗く瞳は、酷く虚ろなものだった。


 それで少し気が付いたが、白い衣の下には遠隔宇宙遊泳衣リモートウォーカースーツを身に着けている。やはり、郁翔いくとは実戦部隊の一人なのだろう。いつでも、カプセルのなかに入って、〈リモートウォーカー〉を操る準備はできてますと言った具合だ。


 出会うまでは、恐ろしい人物だと思っていた。先ほどまでもそうだ。無表情のままに殺戮兵器になれる残忍な人物だと。だが、顔をみればどうだろう。別の感想が浮かんで来る。それは――



「――哀れだな」

「なにがだ?」

「人様に見せられない顔がさ。常泉じょうせんの方がまだ好感が持てるぞ。胸を張ってお天道様を拝めない姿だなんて、可哀想な奴だな。それとも、自分のツラにそんなに自信が無かったのか?」

「深い意味はない。さっきも言ったろ? この方が楽だって」



 郁翔いくとが自らの頬に触れる。すると、その場所から皮が剥がれるように、別人の顔に姿を変えていく。そうかと思えば、不敵に足を組みながら、意地汚い目でこちらを見下ろす少女――天代あましろ鈴音りんねに姿を変えた。ご丁寧に服装までセーラー服に変わり、体格まで同じものを再現する。


 おまけに声までも。



「どうかな? 自分自身とお喋りできる感想は?」

「……その声でしゃべるな」

「――えー? じゃあ、私と喋ろっか?」



 声色が凪咲なぎさ先輩のものに変わる。振り向けば、こちらにやって来て覗きこもうとする凪咲なぎさ先輩がいた。もちろん、郁翔いくとが化けたもの。遠隔宇宙遊泳衣リモートウォーカースーツ姿になっているが、肩部分には〈アストラル・クレスト〉のロゴが刻まれている。



「何度か入れ替わろうと頑張ったんだけど、ざーんねん。凄いんだね、〈アストラル・クレスト〉のセキュリティって。すぐバレちゃった。でも、鈴音りんねちゃんを騙せかけたことはあったんだよ?」

「……」



 その姿をやめろと言おうとしたが、次の瞬間には、風花ふうか先輩の姿が横にあった。その無気力な感じ、無表情からは、本物と偽物の区別がまるでつかない。


 もし、カフェにいたあの日の風花ふうか先輩が偽物だと言われたら、納得してしまうかもしれない。



「あの根雨ねうって奴だっけ? 凪咲なぎさのバストが普段と比べてでかいから、偽物って見抜くとか……。堅物に見えて、変態だったりする?」

「……黙れ。先輩の声で……喋るな」

「――あらそう?」



 踵を返しながら、元の席につく郁翔いくと。だが、すでにその声は、その姿は、僕が最も見たくない人のものに変わっていた。見事に仕立て上げられた華美な服。吊り下げられたイヤリング。白髪交じりのショートヘアと、たるみはじめたほうれい線を隠そうとする厚めの化粧。そして、冷酷な視線が、僕に注がれていた。



「お母……さま……」

「あら。そういう反応になるのね」



 声が震えていた。いや、声だけじゃない。それまで作業していた手が止まり、まるで痙攣しているかのように思い通りに動かせなくなる。だがそんな手でも、早くなる呼吸と心拍に、胸を抑えることだけは許された。


 目の前の母の姿をした人形は何も言わない。それなのに、冷厳な声が頭に響いて来る。「あなたも、天代あましろグループとして恥じぬように」とか、「それでも私の子なの?」とか、――「いまごろ、お姉ちゃんがいたら……」とか。



「この姿は、天代あましろグループ内で活動する時に、役にたったのよ――って言いたかったが、過呼吸になられたら仕事にならないな」



 男はのっぺらぼうに戻っていた。


 フードを被っては、再び顔を隠す。


 それでも、僕の動揺は収まらなかった。



「な、な、はは……なるほどな。自ら顔を潰したのは、そういう……。すごいな。随分と仕事熱心なんだな」

「……」

「だが、なら尚更聞かせてほしい。お前をそうまでして突き動かす救済RI合党Pの理念ってなんなんだ? お前は、どうしてそうまでして救済RI合党Pに身を捧げられる? その気概があれば……普通に生きる道もあったんじゃないのか?」



 国際テロ組織・救済統合党Redressive Integrated Party


 世界の救済、世界の統合を掲げながら、既存の国際秩序を壊そうと画策する過激派テロ組織。活動は、越境テロであったり、難民への工作であったり、おまけに宇宙空間での破壊活動など、一見ただの無法者で主義主張は薄いように思える。


 だが、そのどれにも、国際社会は具体的な打開策を打ち出せていない。そのうち、国家という枠組みそのものが、救済RI合党Pが出現する下地になってしまっていると指摘する人まで現れ始めた。国境というものに囚われているからこそ、越境テロを防げない――越境すれば、それは領域侵犯だ。難民問題を解決しようとしないからこその犯罪――どの国も責任をとろうとしない結果だ。そして、宇宙ホテルが壊されようと、どの国も対応を取ろうとしなかった。いいや、領土でも領海でも領空でもない場所で起きた事件に、国家はそもそもどこまで介入できるのか。自腹を切ってまで、ゴミ処理をしようとするのか。


 いわば主権国家体制の限界。主権国家体制の宿題。それを救済RI合党Pは、突き付けている。そうして、国家という不完全なシステムに、ただの人間の創造物に、偶像の化け物リヴァイアサンに銃口を突き付ける。――安らかに眠れRest In Peace、と。



「お前も、国に大切な人を奪われたのか? その恨みが、お前を突き動かしてるのか? なら……分かるよ。でも、それが顔を消す理由になるのか? もし、救済RI合党Pの理想の世界が来た時、お前の顔はでいいのか?」

「……」



 いったい郁翔いくとは、どれだけの強い恨みを抱いているのだろうか。僕は郁翔いくとを見据える。けれども、郁翔いくとの反応はない。怒りにうち震える様子も無ければ、瞳を憎悪に燃やすようなこともない。それどころか、僕の言った言葉が通じていないのか、首を傾げてさえいるような素振りを見せる。


 体温のない仮面。どこまでも無表情で、無機質でさえあって、何も感じさせない。そのうち、白い衣の彼は、まるで透明な存在であるかのように思えて来る。ただひたすらに虚ろ。彼は伽藍洞だった。



救済RI合党Pの目的は主権国家体制の破壊。そして新たな秩序の創生。……けど、そんな理念、俺には心底どうでもいいことだ。善悪さえもどうでもいい」

「じゃあ……どうして……?」

いて言えば、かな」

「……」



 言っている意味が分からなかった。これだけのことをしているのに、たくさんの人を殺しているのに、これからも殺すかもしれないのに、その目的はありません――そう言っているようにしか聞こえなかったからだ。


 それこそ自分の顔を潰してまで、任務を達成するような人物だ。いったいどれだけ、崇高な理念を目の前にして、それに酩酊しているのかと――狂信的な人物なのかと思っていた。だからこそ、どんな夢を見たのか。そうまでして叶えたい理想とはなんなのか、僕は聞きたかった。


 でも、その答えは。


 



「お前は強い人間だ。やりたいことに向かって挑戦できる。詰らない現実を変える力もある。でも、俺はそうじゃない。いいや、と言い換えるべきかもな。俺たちはいつも、世界に否定されている」

「何を……言ってる? 否定してるのはお前の方――」

「簡単なんだよ。。簡単にできてしまう。たとえ自分に座りたい席があったとしても、別の奴が座る姿が目に浮かぶ。俺が居なくなっても、別の奴が補充される未来が目に浮かぶ。なら? 生きる理由を自分から探す方が馬鹿らしくないか?」



 郁翔いくとは、なんてものは捨てたと、自分の頭をトントンと突きながら言う。それは暗に、自分もまた〈棲脊食念虫ディマーガ〉に操られている者だと告げているようだった。人の持つ感情、思考、記憶、あらゆる情報を喰らうために中枢神経に棲み付いた虫。もはや、自分の行動が、自らの意志によるものなのか、それとも虫に操られたものなのか。自分らしさなんてものを問うことがもはや愚問であった。


 その上で「普通に生きる道もあったんじゃないか?」という僕の問いかけに、郁翔いくとは「馬鹿を言え」と一蹴した。無表情に。無感情に。



「普通に生きる道に『ご縁がありませんでした』と言われた。そして、救済RI合党Pに拾われた。俺をたらい回しにした運命には、ご活躍をお祈りされているし、拾ってくれた職場には恩義を感じている。当然だろ?」

「……じゃあ、お前は世界に復――」

「そんな気力ねぇよ。ご縁があった。収まるところに収まった。ただ、それだけだ。人生プラン? モデルケース? 将来像? どうせ、運命とやらには翻弄されるんだし、それに死ぬときは死ぬんだろ? なら、考えても仕方ないことを考えたって、どうしようもないだろ?」



 大きな溜息。

 それが、郁翔いくとが初めて見せた感情らしい感情だった。



「目の前のことをひとつずつ。ただ現在いまを生きる。それだけだ」







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