第23話

燼滅えろ」



 黒炎が闇を駆ける。


 

 燃え上がる地を割きながら、俺たち目掛けて襲いかかる。俺は咄嗟に回避行動を取ろうとするが、鈴音りんねはそうではない。微動だにせず、ただ炎を目の前にして、不敵に笑う。


 まるでなにかを待つかのように。


 

鈴音りんね様!」



 夜を割くような声。


 途端に、黒い炎の行手を阻むように、青い炎が燃え上がる。それどころか青い炎は、黒い炎を焼き尽くす勢いで拮抗すると壁のように立ちはだかった。


 それと同時に姿を現したのは、鈴音りんねの御付きの人物である根雨ねうさんだった。左腕を前に突き出し、炎の出力を維持したかと思うと、右手を口に添えて奏人かなめに向けて青い炎を吐き出した。


 驚いたのは、奏人かなでだった。とはいえ、異能力が使えることというよりも、彼の出現に驚いたようで、吹きつけられた炎自体は難なくかわす。根雨ねうさんとしても、攻撃というよりも鈴音りんねから距離を取らせるための威嚇。それほど殺意の高い技ではなかった。



鈴音りんね様、ご無事で?」

「ああ。遅かったじゃないか根雨ねう。危うく死ぬところだったぞ」

「なら、少しは回避する素振りくらいしてください。何を悠長にされているのです? 危機感がないにも程があります」

「冗談だよ。大丈夫だよ。私が死ぬのはからな」



 いつものように淡々と告げる鈴音りんね。さらりと、とんでもないことを口にするが、根雨ねうさんも俺もそれどころではない。黒い炎を纏う燎莉かがりが、まるで扉でも開くかのように手を振るうと、青い炎の壁はいとも簡単に破られてしまう。せっかく距離を取った奏人かなめにしてもそうだ。いまはハンドガンを手にして、銃口をこちらに突き付けている。



根雨ねう霧弥きりやか……。なるほど、天代あましろ鈴音りんねの御付きなわけだ」

「……公安か。その銃口は、天代あましろに向けられたものと捉えていいんだな? 月雲つくも奏人かなめ

「いいや誤解だよ。……と、言いたいところなんだけど。まさか、君も〈棲脊食念虫ディマーガ〉使いとは……こりゃ、本格的に天代あましろ財閥は色々と隠していそうだね。――そうだなぁ。国家反逆でも企んでる?」

「お前の憶測だろ? しまえ。いまなら聞かなかったことにしてやる」



 手のなかに炎の剣を生み出す根雨ねうさん。しかし、それは虚勢でしかなかった。この場で戦えるのは、根雨ねうさんのみ。二対一の戦いで、しかも、戦力にならない俺や鈴音りんねを守りながら戦わなければならない。


 いや、その前に明らかにしなければならないことがあった。俺たちに襲い掛かって来た二人は、ライバル企業の従業員でもなければ国際テロ組織である救済RI合党Pのメンバーでもない。その正体は公安。この国の治安を守る人々だ。



「なぁ、鈴音りんね。どういうことなんだよ? なんで公安が?」

「さぁ? 心当たりが多すぎて分からん」

「おい!」

「前も言っただろう? 救済RI合党Pと私たちは紙一重なんだ。デブリ除去の技術や能力が衛星破壊ASATに応用できることは言ったな。他にも、〈リモートウォーカー〉の技術ひとつとっても、簡単に軍事に転用できる。なんせ、遠隔で動かせるロボット兵器だ。衛星軌道上と地上局をリアルタイムで、ほぼ遅延なく通信できる技術だって、どの国の軍隊も喉から出るほど欲しがる技術だろう。どれが、逆鱗なのかなんて、こっちが聞きたいくらいさ」

「……」



 だから、教えてくれよ。と、鈴音りんね根雨ねうの前に躍り出る。銃口の前に自ら出ていくのが怖くないのかと思うが、丸腰だとアピールするかのように両手を広げては奏人かなめを見据えた。



「いつもの君に戻ってくれてこっちもやりやすいよ、天代あましろ鈴音りんね。でも、冤罪を主張するのは図々しいんじゃないのかな?」

「だから、どれのことを言ってるのか訊いてるんだ。何時? 何分? 何曜日? 地球が何回まわった時のやつかってさ」

「宇宙ホテル。やったの、君たちだろう?」

「おいおい、まだ言ってるのか? お前も、物忘れが酷いタイプか?」



 黒い炎が燃え上がった。


 跳躍して、一気に距離を詰める燎莉かがり。その動きにいち早く気が付いた根雨ねうさんが寸前のところで何とか止めに入るが、事前に炎の剣を生み出していなければ間に合わなかっただろう。


 最初の一撃を防いだことで、鈴音りんねを守ることはできたが、今度は燎莉かがりが攻撃をやめなかったことで、乱戦になる。


 衝突し合う黒と青。灼熱だというのに、燃え上がっては空の色に溶けていく。けれども、まるで夜の黒が青を塗りつぶしてしまうかのように、徐々に周囲は闇に飲まれていく。


 そして空には、月が一つ。



「そうか……そういうことか……」

「なにかな? 天代あましろ鈴音りんね

「つまり、



 鈴音りんねがキッと睨む。

 それを見て、奏人かなめは微笑む。

 まるで、春の陽気のように。



「だから何度も言ってるだろ? 宇宙ホテルの事故を仕組んだのは、〈アストラル・クレスト〉。ついでに、救済RI合党Pともつるんでる。だろ?」 




 *****




 気が付けば、俺は真っ暗な空間にいた。


 続いて、背中から臀部にかけて柔らかい感触を覚えて、俺は座席に座っていることを自覚する。肘置きと、ドリンクホルダーに入れてあるジュース。それから手にはポップコーン。いま俺が座っている座席と同じようなものが横と縦に整列されており、眼前には2.35:1四方の画面が闇に浮かび上がっている。



「……」


 

 どこだろうと不思議に思うまでもない。

 ここは、映画館だった。


 映し出されている映像は、悲劇というか、救いようのない物語というか、一種の群像劇のようなものだった。いまは、女子中学生のバスケの試合の最中。ドリブル音とスキールノイズ、それから声援が響くなかで、一人のポニーテールの少女が駆けていく。身のこなしといい、華麗なボールさばきといい、思わず見惚れてしまうほどのプレーヤーだ。


 けれども、そこへ敵チームの一人が息を荒くして近づいて来る。凶暴性さえ感じさせる眼光。引き攣った表情。そして、その鼓動はこちらにも聞こえて来るようだった。



 ――負けたくない!


 

 そして。

 画面が暗転した。



 溶明した画面が映しだしたのは、まるで地獄絵図だった。床に散らばった血。タンカーで運ばれていくポニーテールの少女。そして、体育館の外で待つ白い車体と、中空を駆ける回転灯の赤が、非現実的でいて緊迫した光景を作り出す。


 選手の名前を呼ぶ声が聞こえるが、それは顧問なのかそれともチームメイトなのか。とにかく、「意識はない」とか、「出血が酷い」とか、「骨が」とか、「心拍は」とか、「呼吸は」とか……そんな誰の声なのか分からない声がリフレインするなかで、一人の少女が真っ青な表情で立ち尽くしている。ラフプレーをしてしまった子だ。先ほどのプレー中の表情が嘘であるかのように、生気を失っては呆然としていた。



「アイツのせいで……」

「アイツがいなければ……」



 背後から声がしたような気がしたのだろうか? その子はハッとして後ろを振り向くがそこには誰もいない。敢えて言うのなら、そこに居たのは俺。画面越しに、その子の目と俺の目があう。



「……」

「なんで……」

「……」

「ちがう……ウチは……そんなつもりじゃ……」 



 ああ。


 俺は見ていられないと思った。


 この物語にタイトルがあるのだとすれば、『二人の挑戦者』。自分の限界と戦い、チームメイトと切磋琢磨し、そして、懸命にボールに食らいつこうとした二人の選手の間に起こった悲しき出来事だ。ことによれば、二人はライバルだったのかもしれない。


 悲劇は、踏み出した一歩によって始まった。ポニーテールの少女は、自分を変えたいと思って、入部を決意した一歩。そして、もう一人の子にとっては、シュートを防ごうとして踏みだした一歩。どちらも、二人にとっての挑戦だった。


 だがその結果、二人は挑戦のツケをはらうことになった。全国も夢ではないと思われたポニーテールの少女は、たった一瞬の出来事で三年間の努力が徒労に変わった。もう一人の子は、全国の夢や将来を奪ったと誹りを受けることになった。


 挑んだところで、得られるものは何もない。周囲からは可哀想とか、だからやめとけと言ったのにとか、同情なのかなんなのか分からない感情をぶつけられるだけ。


 挙句には、いいや無意味じゃないんだと、分かった気になった奴らが言う言葉がある。「挑むことに意味がある」のだと。それでいて、当人たち挑んだ気持ちや、それで生じてしまったツケに関しては、まったくの無頓着だ。



「だから嫌なんだ。――なぁ、そうだろ風花ふうか。挑戦するなんて、馬鹿馬鹿しくてやってられないだろ?」



 画面は切り替わる。


 今度は、別の少女のお話。俺なんかが想像もつかないくらいの金持ちのお嬢様で、けれど「宇宙からゴミをなくしたい」とか不思議な夢を抱いてる女の子だ。名前を天代あましろ鈴音りんねといって、とにかく生意気なんだが、頭はキレるし、しかも未来予知の能力を持つというぶっ飛んだ人物。


 だから、挑戦がうまくいく……とは限らない。それを妬む人物もいれば、彼女の努力も知らずに適当なことを吹聴する奴もいれば、財力目当てにすり寄ろうとするクソ野郎もいる。そんな、障害を乗り越え、ようやく夢の実現ができるかと思えば、「君は危険な存在だから」と銃口を突き付けられる。


 画面に映し出されているのは、公安を名乗る男と、彼に向って睨みつけながらも、いまにも決壊しそうになる鈴音りんねの瞳だ。



「……ざまあみろ。ほら見たことか。挑戦なんかするからだ」



 気が付けば、そんな言葉を画面に投げかけていた。でもそれは、俺の本心だった。いつか、鈴音りんねは「挑戦した人が報酬を得られず、逆にそのツケを支払わなければならない世界」をクソったれだと言った。それは半分同意できる。でも、それなら……



「挑戦なんてしなきゃいいだろ? 宇宙事業? スペースデブリ除去? 知らねぇよ。公安にまで目をつけられて……馬鹿だろ、お前」



 挑戦した人がツケを払う。――そんなの当たり前だ。自分で蒔いた種なのだから、収穫できなかった時の後始末を、どうして他の人が面倒を見なければならない? そっちの方がよっぽど意味が分からない。嫌ならやらなきゃいい。初めからやらなければいい。そんなに苦しいなら、やめればいい。


 だから、俺はやめた。


 どんな人生を送るかなんて関係ない。


 どうせ、人間はみんな最後には死ぬんだ。


 だったら、テンプレートみたいな生き方であっても、それなりに充実していればそれでいいと思う。それが誰かの真似だとしても、幸せならそれでいい。


 実際に、周りを見ればそうだった。ゼロからやろうなんて誰も思ってない。志望動機は、探せば例文みたいなのがあるし、宿題の問題だってオリジナルな考えを書く必要はこれっぽっちもない。書き写せばいい。それっぽく、真似ればいい。そっちの方が、楽で、効率的で、何事もスムーズにいく。――真似をするスキルを磨きさえすればどうとでもなる。


 するとどうだろう。色んな人から、物覚えがいいねとか、要領がいいねと言われた。部活にも馴染めたし、仕事だってすぐに覚えられた。


 俺はただ、真似しただけだ。



「世のなかって理不尽だよなぁ。懸命に努力した奴が責められて、さして努力してない俺が称賛されるんだから。テンプレート通りに生きている方が幸せに生きれるんだから」



 鈴音りんねを抱きしめたのだって、風花ふうかならこんな時どうするかなと考えたからだ。俺オリジナルの考えじゃない。……俺のオリジナルじゃないんだよ、鈴音りんね


 それなのに、あんなに慌てやがって。意味が分かんねえよ。本来の俺だったら、その場に立ち尽くしてタジタジしてるだけの異物。要らない存在。あってもなくてもいいどうでもいい存在。それが俺だ。


 だから仮面を被ろう。

 誰かの人生を模倣しよう。

 どうせ俺は代替品なのだから。



「――にしても、あの黒い炎、根雨ねうさんをボコボコにするとか凄いな。このまま鈴音りんねの目の前で、ただ立ち尽くしてるのもお荷物感半端ないし……」



 ちょっと。

 




 *****




燼滅えろ」



 手を前にして、唱えてみる。

 

 すると、指の先が揺らぎ、黒い炎が出現する。意外とすんなりいったことに拍子抜けしつつ、出力を増やす方法と、炎の操作方法を少しばかり確認する。異能力の真似なんてできるのかとおっかなびっくりだったが、意外とできてしまうものだなと、炎を周囲に展開させてみたりする。



「君……」

「せん……ぱい?」



 まずは、銃口を向ける奏人かなめが邪魔だと思った。跳躍し、素早く間合いを詰めると、奏人かなめに向かって斬りかかる。なんのことはない。先ほど燎莉かがり根雨ねうさんにしてみせた攻撃方法だ。オリジナリティも無ければ、捻ってさえいない。


 けれど――



「ぐッ、ああああああああああぁぁぁぁ!」

「なんだよ、当たるのかよ」



 一撃を入れるだけではない。黒い炎は、奏人かなめのスーツに燃え移ると、一瞬のうちに全身を包んでしまう。灼熱に包まれて、のたうち回るが知ったことではない。ただのお前の同僚の真似事だ。


 だから、内心では、ちょっとぐらい避けろよとは思ったりもするが、それだけ燎莉かがりの攻撃は強力だったのだろう。食らいたくはないなと、炎に包まれて絶叫する塊に向かって、少しは同情する。



「ああああぁあぁぁァぁぁぁぁ!」

「……るさいなぁ。頭に響く――」



 ――ので。

 蹴りでも入れて黙らせておく。



奏人かなめ!」



 さて、問題は次だ。


 仲間がやられたのを目にした燎莉かがりは、根雨ねうさんとの戦闘を中断してこちらに突っ込んでくる。真っすぐに。それも、オリジナルの黒い炎を纏いながらだ。――なるほど。自らの移動の加速にも使えるのかと、観察しつつ、俺は迎え撃つために、剣を生成して構える。これはどちらかというと根雨ねうさんの真似だ。



「――ッ!」



 やはり。


 一撃が重い。たった一撃で、気力が吹き飛びそうになるだけではない。炎さえも焼き尽くしてしまう業火が暴れ狂っては、周囲を漆黒に染め上げる。もう熱いなんてものではない。ただただ燃え盛る劫火を目の前に、一周回って笑いさえ込み上げて来る。



「なんだこれ……ちょっと楽しいな」

「貴様……。やはり〈疑倣現写シミュラクラ棲脊食念虫ディマーガ〉」

「知らないよ。それに、名前なんてどうでもいい。覚える気なんか無い」

燼滅えろ。灰も残さない」

「なら、俺も」



 交わる炎。燎莉かがりが出力を上げれば上げるほどに、こちらも火力を増幅させる。要するに合わせればいい。真似をすればいい。奴が燼滅えろと叫べば、俺も燼滅えろと叫ぶ。燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ、燼滅えろ――



「そこまでええええええぇぇぇっ!」



 弾かれた。

 俺も、燎莉かがりも。


 炎も、熱も、音も、あらゆるものが一瞬で消失する。そして、静寂とともに一人の少女が、月を背にして降りて来る。揺れる横髪。琥珀色の瞳。「よっ」と着地をする彼女は、先に帰ったはずの女の子――月雲つくも凪咲なぎさだった。



「遅いッ! いつまで待たせる気なの? 馬鹿やってないで、早くゴミ処理に取り掛かるよ!」



 沈黙。

 そして、風。

 

 しばらく、誰もなにも言えなかった。




 



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