第22話

「今日はありがとう! また頼むよ、奥宮おくみやくん」

「いえ。こちらこそ、よろしくお願いします」




 店長に頭を下げる。


 とはいえ、初めて店長を見た時は驚いた。なにを隠そう、風花ふうかの父親だったからだ。聞くに、風花ふうかの父親と鈴音りんねの父親は大学時代のサークルで何かと馬鹿をやった仲らしく、その伝手つてがあって鈴音りんね貫観川ぬけみかわ――つまり風花ふうかの祖父との間にコネクションができたらしい。


 この場所にだって、ちょっとした小ネタがあった。やけに見晴らしのいい場所だと思っていたが、やはり元々は天代あましろ家の所有地。鈴音りんねの一件のお礼かはともかく、そこに店を開いたらどうかと、風花ふうかの父親に話が行き、店長をすることになったらしい。縁とは不思議なものだなと実感するとともに、やはり世界は狭いなと改めて思う。



「ってことは、常泉じょうせん雨沼うぬまとも、何か繋がりがあるのか? やけに雨沼うぬまはお前に執心してるようだけど」



 店を出て、少し歩く。俺はこのまま帰路につくところだったが、そこへ鈴音りんねが付いて来る。迎えの根雨ねうさんが遅れており、ただ待つのもなんだからと、大通りをピックアップ場所に選んだようだ。


 まだ少し明るいが、街灯はちらほらと明かりを灯し始め、太陽は山際で雲と一緒に赤黒く燃えている。こんな時間に、仮にも天代あましろ財閥の令嬢が一人でほっつき歩いていいものなのか。俺はいつも以上に周囲を気にしながら、歩を進める。


 対して、鈴音りんねはそんな俺の気苦労などお構いなし。あるいは俺の反応を見て楽しんでいるのか、ニヤニヤとしていた。



「馬鹿を言え。常泉じょうせん? 誰だそれは? 入学した学園にたまたまいたパッパラパーの教師だ。雨沼うぬま? あれは私のことを駒かなんかだと思い上がってる老害だ。さもなくばストーカーだな」

「言うなぁ……。でもなんで? 色々と話を持ち掛けて、お前を贔屓する理由はなんだ?」

だよ。私を影響力下に置くことで――つまり、天代あましろグループに近づくことで、票田を確保しようとしているのさ」

「……」

「政治家は往々にしてそういう生物だ。『猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ』とはよく言ったものだ。……予言しよう。君や凪咲なぎさ先輩へのアイツの無礼な態度は、二人が選挙権を得た瞬間にコロっと変わるぞ」



 本当に楽しそうに冷笑を浮かべる鈴音りんね。「じゃあ、天代あましろに対しては?」と訊くと、「もっと露骨になる」と答えた。



「奴のやり方は、実に母上好みだ。だが、私は違う。大嫌いなんだ。特に、私のことを天代あましろとしてしか見れない奴なんかはな。だが実際問題、私のやりたいことのために金は必要だ。だから、せいぜい利用するだけ利用して、選挙の日に地に叩き落して――」



 そこまで言って、鈴音りんねは自らの深い溜息で言葉を切った。



「皮肉なものだよ。財閥令嬢なんてものを辞めたくて、窒息しそうな家から逃げ出したくて、……それなのに、結局は天代あましろの名前を使って富を為そうとしている。――ははは。深淵をのぞく時は何とやら……というやつだ」



 肩を竦める鈴音りんね。続けて、「それとも所詮は、同じ穴のむじなか」と薄笑いを浮かべる。その表情は、どこか悲しそうで、結局どこまでいっても自分は天代あましろなんだと憂いていた。


 黄昏に揺れる瞳。

 

 そこで、気丈に振る舞おうとしているだけだと気が付く。なにかきっかけさえあれば、感情を溢れさせてしまいそうな脆さがそこにはあった。


 誰だって、悩みはある。質も量も違えば、その人の環境や許容量も違う。だから、鈴音りんねの悩みは俺にとっては想像もできない苦しみかもしれないし、ことによっては贅沢であるかもしれない。逆に俺の悩みは鈴音りんねにとっては陳腐なものかもしれないし、もしかしたらそんなことで悩めるなんてと羨ましがられるかもしれない。


 いつの間にか、俺はかける言葉を探していた。もし俺が鈴音りんねだったら? なにがしてほしいのだろうか。あるいは、もし俺が風花ふうか凪咲なぎさだったら? 何をしてあげるのだろうか。



 ――実はお話したいことが、たくさんあるんです。



「え?」

「……」



 次の瞬間、自分でも訳の分からない行動をとっていた。不意に響いたデス・ハーミットの声。それが、目の前の少女の声で再生されてしまったものだから、身体が勝手に動いていた。俺は手を伸ばし、鈴音りんねの小さな身体を手繰り寄せたかと思うと――。



「ちょ……せ、先輩? いきなり何を?」



 抱きしめていた。


 どうして? そんなことを訊かれても、自分でも分からなかった。これは本格的に〈棲脊食念虫ディマーガ〉に乗っ取られているかもしれないと考えると、自嘲したくもなったが、腕から伝わって来る鈴音りんねの感覚に何も考えられなくなってしまう。

 

 触れれば分かる。小さくて、柔らかくて、優しく触れないと壊れてしまいそうだ。簡単に包み込めてしまえる肩。指から滑り落ちていきそうなほど滑らかな髪。そして、伝わって来る赤々とした斜陽を思わせる温もり。確かに感じる体温には、ふとした瞬間に消えてしまいそうな、そんな儚さがある。


 いま腕のなかにいるのは、異能力者でもなければ、社長でもなければ、捻くれ者のクソガキでもない。ただの女の子。それなのに、いまにも潰れてしまいそうなほどに多くの物を抱えている。

 


「お前は、凄い奴だよ」

「う、うん? ……いや、そうじゃなくて説明をだな」

「いや……顔に書いてあるような気がして。してほしいのかなって……」

「なん……で……そうなるんだぁぁぁッ!」



 突き飛ばされた。


 それでも、一歩二歩とよろめく程度。全力で押しのけようとしたのだろうが、大した力ではなかった。



「近い! 離れろ! ……や、や、や、離れすぎ! あー、もう! なんなんだよ君は! 急に抱き付くとか、暴漢か? 暴漢なのか?」

「ごめん」

「いや、だから何で謝るんだ! あー、だから……その……俯くな! 真っすぐ見ろ! あ……ああぁ……見んな! こっち見んな! もー! あー! もうッ! 分かれよ! なんで分っかんないかなぁッ! そういうところだぞ!」

「……わけ分かんね」

「こっちのセリフだ! まったく、君は本当に節操がないな。じゃなかったら、付き合い切れないぞ」

「……?」



 あっ、やっべ、と口をふさぐ鈴音りんね。夕日のせいもあってか、ますます紅潮する。俺は少しだけ困惑するが、それは鈴音りんねの素の一人称に違いなかった。それでも、鈴音りんねにとっては隠したいことではあったのか、気まずそうに目を泳がせながら唇を弄ぶ。



「とにかく、わた……コホン。――もう隠す必要もないか。とにかく、僕を抱くからには、それなりの覚悟はできてるんだろうな?」



 風が吹いた。


 道に落ちていた最後の桜の花弁が舞い上がって、目の前で今日最後の残光を弾く。すっかり伸びきった影。それから、紺青の空に現れ始めた星。


 そんな薄暮のなかで、鈴音りんねは俺を見つめた。それがあまりに真っすぐなものだから、俺は思わずドキリとする。初めて出会った時や、いままで過ごしてきたなかで、鈴音りんねのことを不気味だなとか邪悪だなと思ったことはあった。


 だが、いまはそれ以上に瞳の奥に宿るものを感じる。例えるのならシリウス。一等星がこちらを真っすぐに見つめていた。



「逆にいいか? ずっと訊きたいことがあったんだ」

「?」



 ずっと感じてきたこと。それは、鈴音りんねの周りにいる人間たちのことだ。それはあまりに完成された世界で、文句の付けようがなくて、俺なんか入る余地もないほどの場所。それは、「一つの世界」であって、俺の住んでいる場所とはまるっきり違う。本来は交わることさえなかった。


 それなのに、鈴音りんねはあの日、俺の教室にやってきた。常泉じょうせんの制止を振り払い、俺を連れ出した。



「どうして俺なんだ?」





 問えば、カラスが鳴いた。





 一羽や二羽。それが三羽、四羽と続く。背後からの不協和音に、振り返ると、そこには十数羽のカラス。翼を羽ばたかせながら、一点に集まっていく。いいや、カラスが吸い寄せられていると表現した方がいいかもしれない。まさにこの世ならざる異様な光景だ。比喩でも何でもなく、集合するカラスたちは、お互いに溶けあい、混じり合い、一体の人影を形成していく。


 靄を纏う黒い影。


 驚きの声を上げる間もなく、影は喪服のような黒いスーツを着た女の姿に変わり、周囲に煙草の煙を纏う。そして、まるで長く伸びた黒髪を陽炎のように不気味に揺らし、隙間から夕空の残光よりも赤い双眸を覗かせる。


 その風貌は、まさしく幽鬼。



燼滅えろ」



 女の煙草が燃え上がる。


 鴉羽にも似た炎。


 翼をはためかせるように放たれた炎は、次の瞬間には、荒れ狂いながら眼前を黒く塗りつぶす。道のわきに生えた草も、舗装されたアスファルトも、それが可燃性かそうでないかさえも関係ない。墨のような炎は、空間そのものが一枚の絵画だと言わんばかりに飲み込んだ。



「――ッ!」

「え?」



 考えるよりも身体が動いた。


 鈴音りんねの手を取ると、俺は駆け出す。背後の奴が何者なのか、なぜ襲ってくるのか、そんなことは二の次だった。とにかく襲われた。殺しに来ている。俺の足が動くにはその事実だけで十分だった。


 直後、背後を駆け抜けた凄まじい熱。それが、俺の行動の正しさを証明した。チラリと背後を向けば、先ほどまで俺と鈴音りんねがいた場所からは黒炎が上がり、その熱によってアスファルトを融解させている。



「逃げるぞ、鈴音りんね! 店まで!」



 逃げる方向を見定めた瞬間、燃え上がる黒い炎からカラスが飛び出す。俺たちに向かって真っすぐ突撃して来るが、それは黒い炎によって形成されたカラス。すれすれのところで、なんとかかわすが、カラスが向かった先には別の人影があった。


 スーツ姿の通行人。


 危ない! と叫ぼうとしたところで、スーツの男はカラスを素手で一刀両断する。ガァッと鳴き声じみた悲鳴と共に霧散する炎のカラス。対して、男は「あちち」と手を振るが、ほとんど平気な様子で俺たちの方を見据えた。


 知っている人だった。


 それは昼頃に喫茶店にやって来た、春の陽気を纏っているような青年。しかし、会った時と同じように、ニッコリと笑顔を向けるものの、道の真ん中に立っては俺たちに立ちふさがる。


 月雲つくも奏人かなめ

 味方ではないのは明らかだった。



「やっ、昼ぶりだね。天代あましろ鈴音りんね。それから奥宮おくみやくん」

奏人かなめ……さん? これは一体……」

「うん。僕の正義を執行しに来た。――いや、君たちにとっては悪夢の再現かな?」



 カツカツとヒール音を響かせながら後ろからやって来る女。メラメラと燃える黒い炎を右腕に纏わせ、いつでもれるぞと、奏人かなめに視線を送る。あるいは「何をくだらないことを喋っている? さっさとるぞ」だったかもしれない。


 いずれにしても、二人は仲間。そして、俺たちに殺意を向けている。


 脳裏に蘇ったのは、風花ふうかの言葉だ。嫌な予感がすると言っていた。狙われる理由は何だと脳を高速回転するが、心当たりが多すぎて分からない。むしろ、鈴音りんねが「天代あましろ」の人間だというだけで、十分襲う理由になってしまう。だが、それにしても、黒い炎を操る化物が相手とは聞いていない。


 状況がまったく飲み込めないなかで、俺は鈴音りんねに目をやる。同じように混乱しているのだろうか。そうかと思えば、そこに居たのはいつも以上に不敵な笑みを浮かべる鈴音りんね。それは、まるで奏人かなめへ未来を提示した時に見せたような弱気が、嘘であるかのようだった。


 それこそ、襲って来た女が何者で、奏人かなめの目的は何で、自分が襲われる理由は何なのか、すべて把握しているといった様子。燃え上がる黒い炎を見ては、恐怖よりも好奇の目でそれを眺めていた。



「保健衛生省は、これから研究すると言っているのに……凄いじゃないか。もう君たちは〈棲脊食念虫ディマーガ〉を実戦投入しているのか?」

「なんせ〈棲脊食念虫ディマーガ〉持ちの君が相手なんだ。毒は毒で制さなきゃだろ?」



 肩をすくめる奏人かなめ。彼が穏やかな表情を浮かべる一方で、背後からは熱と殺気が伝わって来る。今度は、鈴音りんねは女の方に語り掛けた。



「会うのは初めてだね、〈燼滅桜花ヘルフレア棲脊食念虫ディマーガ〉の朱墨あけすみ燎莉かがり。噂は聞いてるよ」

「なんだ知っているのか。なら、なおさら口封じしないとな。――それとも、生き残る未来でも見たのか? 〈未来予知フォーチュンテリング棲脊食念虫ディマーガ〉」



 朱墨あけすみ燎莉かがりと呼ばれる女もまた、〈棲脊食念虫ディマーガ〉に寄生された人物。そして、寄生されることと引き換えに、黒い炎を得た異能力者だ。


 そんな彼女がどうして俺たちのことを狙うのか。彼らの所属先は、確か〈スペース・オプティコン〉とかいう会社だ。となると、〈アストラル・クレスト〉を潰そうとして実力行使にでも来たのだろうか……。そんなことを思ったところで、鈴音りんねは俺の考えていることを読み取った。


 くすりと笑うと、俺の目を見つめる。



「何度も言っただろう、先輩。奴はホラ吹きのペテン師だと。〈スペース・オプティコン〉とかいう会社は確かにあるが、それは奴らの世を忍ぶ仮の姿」

「……つまり?」

「僕と一緒に来る覚悟ってことはこう言うことなんだ。さて、いまの気持ちを聞かせてくれよ先輩。警察庁警備局宇宙テロリズム対策課――おっかないに目を付けられた感想は?」







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