第22話
「今日はありがとう! また頼むよ、
「いえ。こちらこそ、よろしくお願いします」
店長に頭を下げる。
とはいえ、初めて店長を見た時は驚いた。なにを隠そう、
この場所にだって、ちょっとした小ネタがあった。やけに見晴らしのいい場所だと思っていたが、やはり元々は
「ってことは、
店を出て、少し歩く。俺はこのまま帰路につくところだったが、そこへ
まだ少し明るいが、街灯はちらほらと明かりを灯し始め、太陽は山際で雲と一緒に赤黒く燃えている。こんな時間に、仮にも
対して、
「馬鹿を言え。
「言うなぁ……。でもなんで? 色々と話を持ち掛けて、お前を贔屓する理由はなんだ?」
「私が天代だからだよ。私を影響力下に置くことで――つまり、
「……」
「政治家は往々にしてそういう生物だ。『猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ』とはよく言ったものだ。……予言しよう。君や
本当に楽しそうに冷笑を浮かべる
「奴のやり方は、実に母上好みだ。だが、私は違う。大嫌いなんだ。特に、私のことを
そこまで言って、
「皮肉なものだよ。財閥令嬢なんてものを辞めたくて、窒息しそうな家から逃げ出したくて、……それなのに、結局は
肩を竦める
黄昏に揺れる瞳。
そこで、気丈に振る舞おうとしているだけだと気が付く。なにかきっかけさえあれば、感情を溢れさせてしまいそうな脆さがそこにはあった。
誰だって、悩みはある。質も量も違えば、その人の環境や許容量も違う。だから、
いつの間にか、俺はかける言葉を探していた。もし俺が
――実はお話したいことが、たくさんあるんです。
「え?」
「……」
次の瞬間、自分でも訳の分からない行動をとっていた。不意に響いたデス・ハーミットの声。それが、目の前の少女の声で再生されてしまったものだから、身体が勝手に動いていた。俺は手を伸ばし、
「ちょ……せ、先輩? いきなり何を?」
抱きしめていた。
どうして? そんなことを訊かれても、自分でも分からなかった。これは本格的に〈
触れれば分かる。小さくて、柔らかくて、優しく触れないと壊れてしまいそうだ。簡単に包み込めてしまえる肩。指から滑り落ちていきそうなほど滑らかな髪。そして、伝わって来る赤々とした斜陽を思わせる温もり。確かに感じる体温には、ふとした瞬間に消えてしまいそうな、そんな儚さがある。
いま腕のなかにいるのは、異能力者でもなければ、社長でもなければ、捻くれ者のクソガキでもない。ただの女の子。それなのに、いまにも潰れてしまいそうなほどに多くの物を抱えている。
「お前は、凄い奴だよ」
「う、うん? ……いや、そうじゃなくて説明をだな」
「いや……顔に書いてあるような気がして。してほしいのかなって……」
「なん……で……そうなるんだぁぁぁッ!」
突き飛ばされた。
それでも、一歩二歩とよろめく程度。全力で押しのけようとしたのだろうが、大した力ではなかった。
「近い! 離れろ! ……や、や、や、離れすぎ! あー、もう! なんなんだよ君は! 急に抱き付くとか、暴漢か? 暴漢なのか?」
「ごめん」
「いや、だから何で謝るんだ! あー、だから……その……俯くな! 真っすぐ見ろ! あ……ああぁ……見んな! こっち見んな! もー! あー! もうッ! 分かれよ! なんで分っかんないかなぁッ! そういうところだぞ!」
「……わけ分かんね」
「こっちのセリフだ! まったく、君は本当に節操がないな。僕じゃなかったら、付き合い切れないぞ」
「……僕?」
あっ、やっべ、と口をふさぐ
「とにかく、わた……コホン。――もう隠す必要もないか。とにかく、僕を抱くからには、それなりの覚悟はできてるんだろうな?」
風が吹いた。
道に落ちていた最後の桜の花弁が舞い上がって、目の前で今日最後の残光を弾く。すっかり伸びきった影。それから、紺青の空に現れ始めた星。
そんな薄暮のなかで、
だが、いまはそれ以上に瞳の奥に宿るものを感じる。例えるのならシリウス。一等星がこちらを真っすぐに見つめていた。
「逆にいいか? ずっと訊きたいことがあったんだ」
「?」
ずっと感じてきたこと。それは、
それなのに、
「どうして俺なんだ?」
問えば、カラスが鳴いた。
一羽や二羽。それが三羽、四羽と続く。背後からの不協和音に、振り返ると、そこには十数羽のカラス。翼を羽ばたかせながら、一点に集まっていく。いいや、カラスが吸い寄せられていると表現した方がいいかもしれない。まさにこの世ならざる異様な光景だ。比喩でも何でもなく、集合するカラスたちは、お互いに溶けあい、混じり合い、一体の人影を形成していく。
靄を纏う黒い影。
驚きの声を上げる間もなく、影は喪服のような黒いスーツを着た女の姿に変わり、周囲に煙草の煙を纏う。そして、まるで長く伸びた黒髪を陽炎のように不気味に揺らし、隙間から夕空の残光よりも赤い双眸を覗かせる。
その風貌は、まさしく幽鬼。
「
女の煙草が燃え上がる。
鴉羽にも似た炎。
翼をはためかせるように放たれた炎は、次の瞬間には、荒れ狂いながら眼前を黒く塗りつぶす。道のわきに生えた草も、舗装されたアスファルトも、それが可燃性かそうでないかさえも関係ない。墨のような炎は、空間そのものが一枚の絵画だと言わんばかりに飲み込んだ。
「――ッ!」
「え?」
考えるよりも身体が動いた。
直後、背後を駆け抜けた凄まじい熱。それが、俺の行動の正しさを証明した。チラリと背後を向けば、先ほどまで俺と
「逃げるぞ、
逃げる方向を見定めた瞬間、燃え上がる黒い炎からカラスが飛び出す。俺たちに向かって真っすぐ突撃して来るが、それは黒い炎によって形成されたカラス。すれすれのところで、なんとか
スーツ姿の通行人。
危ない! と叫ぼうとしたところで、スーツの男はカラスを素手で一刀両断する。ガァッと鳴き声じみた悲鳴と共に霧散する炎のカラス。対して、男は「あちち」と手を振るが、ほとんど平気な様子で俺たちの方を見据えた。
知っている人だった。
それは昼頃に喫茶店にやって来た、春の陽気を纏っているような青年。しかし、会った時と同じように、ニッコリと笑顔を向けるものの、道の真ん中に立っては俺たちに立ちふさがる。
味方ではないのは明らかだった。
「やっ、昼ぶりだね。
「
「うん。僕たちの正義を
カツカツとヒール音を響かせながら後ろからやって来る女。メラメラと燃える黒い炎を右腕に纏わせ、いつでも
いずれにしても、二人は仲間。そして、俺たちに殺意を向けている。
脳裏に蘇ったのは、
状況がまったく飲み込めないなかで、俺は
それこそ、襲って来た女が何者で、
「保健衛生省は、これから研究すると言っているのに……凄いじゃないか。もう君たちは〈
「なんせ〈
肩をすくめる
「会うのは初めてだね、〈
「なんだ知っているのか。なら、なおさら口封じしないとな。――それとも、生き残る未来でも見たのか? 〈
そんな彼女がどうして俺たちのことを狙うのか。彼らの所属先は、確か〈スペース・オプティコン〉とかいう会社だ。となると、〈アストラル・クレスト〉を潰そうとして実力行使にでも来たのだろうか……。そんなことを思ったところで、
くすりと笑うと、俺の目を見つめる。
「何度も言っただろう、先輩。奴はホラ吹きのペテン師だと。〈スペース・オプティコン〉とかいう会社は確かにあるが、それは奴らの世を忍ぶ仮の姿」
「……つまり?」
「僕と一緒に来る覚悟ってことはこう言うことなんだ。さて、いまの気持ちを聞かせてくれよ先輩。警察庁警備局宇宙テロリズム対策課――おっかない公安に目を付けられた感想は?」
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