Ⅳ どうしてあんなことをした!

第21話

「よーし! 善は急げだ!」



 鈴音りんねの答えを聞くなり、勢いよく立ち上がったのは凪咲なぎさだった。そのまま、ひとり「えいえいおー」と拳を空に突き上げると、「じゃあ、先にラボに行ってるね」と風のように飛び出して行ってしまう。


 思い立ったら止まらない行動力は見習いたい部分もあるが、この後のシフトをどうするとか全く考えないで、このまま拠点まで走っていってしまいそうな勢いには、開いた口が塞がらない。



「方針が決まった途端にこれだ。本当に、凪咲なぎさ先輩の推進力はロケット並みだな」



 鈴音りんねもさすがに呆れてしまったようで、やれやれと肩を竦める。当然、凪咲なぎさの皿はテーブルに置きっぱなしだが、ちゃっかり完食しているところが、これまた憎たらしい。


 あっという間に出来上がった空席。そこに奇妙な静寂が降りてくる。いたらいたでやかましいが、いなくなったらそれはなんだか物足りない。


 ふと、ディスプレイの右上を見ると、表示されているのは十五時の文字。ランチというよりティータイムになったなと、取り止めのないことを考える。


 頬を撫でるそよ風。穏やかな日差し。見上げると、雲は少しだけ黄檗色に染まり始めていて、一羽のカラスが悠々と飛んでいる。それがあまりに呑気そうなものだから、凪咲なぎさの姿と重ねては、微笑が漏れた。



「資金集めは大丈夫そう?」



 現実に引き戻したのは、風花ふうかの声だった。五〇億を提示されながら、この後におよび、まだ必要なのかと俺は少しギョッとする。



「さっきも言ったとおりだ。なんせ使用用途の面で融通が利かない。プロジェクトに対して大規模に介入される可能性もある。それに、あれだけデカいゴミだ。しかも、利権が複雑に絡んでいる有害ゴミだ。……貫観川ぬけみかわさんの伝手つてで資金集めする必要があるかもしれない」

「分かった。伝えとく」

「いつもすまない」



 さらりと、とんでもないやり取りが目の前で起こっている気がした。



「わ、分かったって、そんな親に伝えるみたいなノリで……。てか、湖上こじょうさんも貫観川ぬけみかわって人、知ってるのかよ?」



 鈴音りんねの未来視の能力の正体を突き止めた貫観川ぬけみかわ。〈棲脊食念虫ディマーガ〉研究者の一人者であり、世界的には最前線で研究を進めている医学者であり生理学者。そんな人物と鈴音りんねが知り合いというのは納得がいく。だが、そんな画面のなかの存在であり、さっき知ったばかりの人物を、風花ふうかが知り合いであるかのように振る舞うことに納得がいかなかった。


 けれども、蚊帳の外だったのは俺だけだったらしい。俺の発言がおかしかったのか、聞いた途端に鈴音りんねが噴き出したのはまだいい。風花ふうかまでも訝しそうにしたものだから俺は戸惑う。風花ふうかからの視線は、またしても無言のうちに「忘れっぽいのは相変わらずだね」と告げていた。



「おいおい。本当に幼馴染なのか? これは本格的に、君も貫観川ぬけみかわ先生に診てもらった方がいいかもな」

「……かもね。相談してみる」



 溜息をつく風花ふうか


 そんなことをされては、本当に自分の記憶力が不安になる。それこそ、俺のなかにも寄生虫がいて、知らない間に蝕まれているんじゃないかと。いいや、突然目の前が俺の知らない世界になってしまったような感覚に陥る。


 そんな俺の気持ちをよそに、いよいよ、不気味な笑みを浮かべる鈴音りんね。彼女の目は、完全に俺をだと見ていた。



貫観川ぬけみかわ先生は、風花ふうか先輩の祖父だよ」




 *****




 初耳だった。


 とはいえ、これだけ風花ふうかに呆れられる素振りをされるのだから、きっと印象的な出来事があったのだろう。だが、それがいつの出来事で、どんな出来事かを訊く気にもなれなかった。訊いたら訊いたで、面倒臭そうな顔をされるのは目に見えている。


 それにしても、どこか遠くの世界の寄生虫博士というイメージは、一気に更新される。鈴音りんねにとって特別な人だということで何となく距離は近くなったが、まさかそれが幼馴染の祖父となると話は別だ。凄い人であることにはかわりないのだが、鈴音りんねはこれまでの話をで回して来たことになる。


 そう考えると、やけに鈴音りんね風花ふうかに心を許しているのも頷ける。もしかすると、凪咲なぎさとの間にもなにかコネがありそうだ。



「……世界って意外と狭いんだな」



 何気なくこぼれた言葉。

 それに鈴音りんねはくすりと笑った。



「勝手に広いと思い込んでいるだけだろう? 無限に広がる世界にいるようで、案外ここは直径三メートルのカプセルのなかかもしれないぞ? 君が宇宙遊泳した時みたいにな」



 そう言って、鈴音りんねは一枚のタロットカードを俺に見せる。大アルカナ二十一番『世界THE WORLD』。そこには、緑のリースの中央に裸の人物が描かれている。まさしく、その姿はカプセルのなかに居る人のようだった。



「じゃあ、この世界は拡張A現実Rって言いたいのかよ? どっかから〈リモートウォーカー〉を操ってるって? 怖いこと言うな」

「もちろん冗談だよ……と言いたいところだが、完全に否定できないのが怖いところでね。こうも世界がクソったれだと、誰かが作ったポンコツのなかにいるんじゃないかと思う時があるよ」

「クソったれな世界……」

「ああ。やりたいことをしたいだけなのに、叶えたいことがあるだけなのに、なんだかんだと金と権力を要求される世界。そして、挑戦した人が報酬を得られず、逆にそのツケを支払わなければならない世界だ。本当に嫌になる」



 そこで、鈴音りんねは表情を暗くする。多分、本音であり日頃から思ってることだったんだと思う。


 けれども、そんな不平不満を言っても、どうにもならないことも鈴音りんねは分かっていた。「だからこそ、貫観川ぬけみかわさんのような応援してくれる人を大切にしなければならないんだ」と顔を上げる。



「でも、鈴音りんね。本当に雨沼うぬまの案件を引き受けて大丈夫? なんなら、未来を見てからでも……」

「いいや。未来ならもう見たよ。どうやら、引き受けるのが吉らしい」

「ふーん。ならいいけど」



 と、二人の会話は宇宙ホテルの話に戻っていく。

 

 どんな未来が見えたのか、これからどんな手順で事業を進めていくのか。鈴音りんねが発起人ならば、風花ふうかはアドバイザーかのように意見を投げかける。


 一つの机を目の前にしているはずの俺たち。だが俺には、机が影のように伸びていき、二人だけどこか遠くに離れていくような感覚に襲われる。いいや二人だけではない。そこにこの場にはいない凪咲なぎさや、根雨ねうさん、そして、会ったことの無い貫観川ぬけみかわも加わる。


 これまでは、リーダーである鈴音りんねが指揮し、風花ふうかがアドバイスを出し、根雨ねうさんが陰で必要なサポートをし、貫観川ぬけみかわが遠くから活動を見守り、凪咲なぎさが実行していた。そうやって回っていたし、そうやって回っていくのだ。



「……俺は?」



 そこはあまりに完成された世界。画面の向こう側にあるような世界だ。そんな世界に迷い込んだ俺は、なんなのだろう? 確かに、仕事面では飲み込みが早いと褒められた。だが、俺じゃなくていいんじゃないか? 俺がこのチームにいるのは、蛇足なんじゃないのか? 俺の代わりはいるんじゃないか? ――ふとそんなことを思ってしまう。


 もし、たとえここが直径三メートルのカプセルのなかだったとしても、そこに俺は必要だろうか? 別にいなくてもいいんじゃないか? 


 ここに居てもいいんだよと、鈴音りんねは言うだろう。風花ふうかも言うだろう。凪咲なぎさも言うだろう。みんな優しい人だから。けれど、俺はこの場所に絶対に必要な人なのだろうか? 


 影が落ちて来る。

 まるで闇を連れて来るように。


 黒羽が目の前に舞い落ちたと思えば、それはカラスのもの。きっと持ち主は、先ほど空を飛んでいた一羽だろう。見れば、すぐそばの床に降り立っている。歩くこと数歩。それから、そのカラスは、俺の方を真っすぐに見つめた。


 ――お前は異物だ。


 そんなことを言われているような気がした。ストレートに、悪い奴なんだと言われた方がまだ救いがあったかもしれない。居てもいいけど、居なくても別に困らない。あってもなくてもいい。居なくても世界は回るんだと。



「俺に……代わりはいる」



 その反面、風花ふうかは替えが利かない人物だった。居なければバスケ部を準決勝まで導くことはできなかっただろうし、居れば全国まで行ったかもしれない。それだけじゃない。いまも鈴音りんねの相談役として大切な存在だ。


 鈴音りんねは言わずもがなだ。居ないだけで、世界の在り方は随分と違ったものになるだろう。これからおこなわれる宇宙ホテルの処理にしたってまさにそうだ。居なければどうにもならないだろうし、鈴音りんねというアテがあったからこそ、閣僚は動き、この国の予算まで動いたのだ。


 じゃあ俺は?


 バスケではスタメンになれたけど、試合中のメンバー交代があっても滞りなく試合は続いた。最後の試合が終わってバスケ部を辞めることになっても、残された後輩たちは、俺が居なくて困るなんてことはなかっただろうし、なんなら下の代の方が顧問からは期待されている感がある。要するに、繋ぎだったし、よくある代替品だったわけだ。


 ましてや、鈴音りんねのように世界を動かす能力も無ければ、財力も無ければ、技量もない。それに未来視まで使えるというのならなおさ――

 


「お~い」

「……」

「何を惚けているんだ、奥宮おくみや先輩」

「……悪い。ぼーっとしてた」



 いつの間にか、俺はカラスの真っ黒な瞳孔のなかに引き込まれていた。目の前を鈴音りんねの手がヒラヒラとよぎったことで、現実に戻される。


 それがカラスにとっては気に食わなかったのだろうか。ガァッといかにも不快を音にしたような鳴き声を一つすると、空へと飛び去って行った。



「なんだ? 感じ悪いなぁ」

「警告かもよ。鈴音りんね

「なんの?」

「今回の雨沼うぬまの案件について」



 空を見上げる風花ふうか

 その視線は飛んでいったカラスを追っていた。



月雲つくも奏人かなめが来たこともそう。タロットで出た『デス』と『隠者ハーミット』もそう。雨沼うぬまからの案件のタイミングといいなんといい、色々と嫌な予感がする」

 






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