第20話

「それは……」



 俺は返答に詰まった。


 心なしか、先ほどよりも冷たい風が吹き込んでくる。傾き始めた日に、鈴音りんねの陰は濃くなり、その奥に潜む瞳が一層不気味に揺れ始める。


 俺を見ていた。それは鈴音りんねのものだろうか。それとも、〈棲脊食念虫ディマーガ〉が投げている視線なのか。



「ははっ」

「……」

「そう深刻に捉えるなよ。私は私だ。そうだろ? 同情されたくてこんな話をしてるわけじゃない。それに――」



 軽く手招きをする鈴音りんね。顔近づけろとの合図だと思った俺は、顔を寄せる。不敵な笑みのまま、鈴音りんねの腕がおもむろに伸ばされて――



「――痛ッ!」



 デコピンを食らわされた。


 額に走る鈍い痛み。突然のことに、のけぞる俺を見て、鈴音りんねはくつくつと笑う。いきなり何をするんだと睨みつけるが、鈴音りんねは俺の額を真っ直ぐに指差していた。



「そういえば先輩は、物忘れが激しかったな」

「……!」

「もしかしたら、脳みそそこに記憶を食ってる奴がいるんじゃないのか? 意外と、私と先輩は同類かもしれないぞ?」




 *****




 遅めのランチ。



 風花ふうか凪咲なぎさが運んできたのは、シーフードライスボウルとクラムチャウダーだった。波ノ万江なみのまえ港で採れたエビを使っているほか、なるべく地元の素材を使っているらしい。セットのクラムチャウダーに関してはミネストローネと選択にするかどうかで悩んでいるらしく、飲み比べのためにと二つともが机の上に並べられた。



「もー、鈴音りんねちゃん! 食べてる時くらい、メールのチェックするのやめなよ。この仕事人間」



 はじめのうち、一緒に食べていた鈴音りんねだったが、重要な通知がきたのか、宙をたたき始める。本当に気の休まる時がないなと思いつつも、この仕事量をこなせてしまうのが彼女のなかにいる〈棲脊食念虫ディマーガ〉が原因だと考えると、妙に納得してしまう自分がいた。


 〈棲脊食念虫ディマーガ〉のことを、風花ふうか凪咲なぎさは知っているのだろうか。知っていたとして、どう思うのだろうか。凪咲なぎさはそこまで気にしないように思うが……



「いや、すまない。面倒な案件が飛び込んできてな」

「もしかして、また雨沼うぬまだったり?」

「あのなぁ……はぁ。凪咲なぎさ先輩の勘の良さには、時々本当に驚かされるよ」



 凪咲なぎさからすれば冗談のつもりで言ったのだろう。しかし、どうやら図星だったようで、当ててしまった凪咲なぎさも「うげぇ」と顔を歪ませる。


 雨沼うぬまといえば、先日、都内のホテルで鈴音りんねと談合していた人物だ。身分が保健衛生大臣であることは、風花ふうかも知っていそうだが、事情をよく知らない彼女は「なぜそんな人物が?」と不思議そうに首を傾げている。



「しつこいな。断ったんだろ?」

「いや、別件だ」

「?」

「今朝の、宇宙ホテルの事故を受けて、日本政府はトンデモない声明を出したんだよ」



 顔を見合わせる、俺と凪咲なぎさ。いったいなんのことだろうと思っていると、隣にいた風花ふうかが「もしかしてこれ?」とディスプレイを共有してきた。映っているのは、首相による記者会見。タイトルは「宇宙ホテル事故を巡る日本国政府の対応方針について」とある。


 主な内容としては三つ。一つ目は、事故の原因究明に向け速やかに調査委員会を立ち上げること。二つ目は、各国・関係機関と連携しながら、事故被害者の遺体の回収をおこなうこと。三つ目は、宇宙ホテルを衛星軌道上から退去させるために適切な処置を速やかに実施するとのものだった。



「おー、早い! やるじゃん」

「緊急事態だからだろ? トンデモっていうくらいだから、何かと思ったら、意外と普通というか……このどこが変なんだ?」



 俺がそう言うと、ニヤニヤとしている鈴音りんねが目に入る。その反応を見るに、どうやら俺の常識は世界には通用しないらしい。鈴音りんねはスープに手を伸ばしながら、「何を言う、これは世界を驚かせたぞ」と口にした。



「なんせ場所が場所だ。普通のホテルの事故とは訳が違う。――まずそもそもの前提として、宇宙あそこは誰のものなんだ? どこの国の領域だ?」

「……」

「結論から言うと、どの国にも属していない。どの国の管轄でもない場所で起った事故なんだ。で、次に問題になるのが宇宙ホテルの所有者だが、これがまた厄介でね。オーナーはアメリカ人、運航会社はフランスの会社、打ち上げに関わった中心的な国は日本で、おまけに出資者は世界各国にいる。事故に繋がったデブリが誰のものだったのかによっても、状況は変わって来るだろう」

「あちゃあ、誰に責任があるのか、分かんないねー」



 そう言った凪咲なぎさに、鈴音りんねの不敵な表情が向く。そして「それこそ先輩の義兄上あにうえが言うように、仕組まれただとすれば、もっと話も変わるぞ」とニマニマとした。


 鈴音りんねとしては、ちょっとした当てつけのつもりだったのだろう。だが、凪咲なぎさは意を介することなく、「だねー」と流した。



「じゃあ、責任者だーれだの押し付け合いが、これから見れるんだね」

「もう起こっているさ。――が、そんななかでの我らが首相の声明だ。この一件の処理は日本国にお任せくださいと言わんばかり。それで世界は大慌てさ」

「おお、かっこよ! 選挙権ゲットしたら投票するわ」



 そう言ってから、凪咲なぎさは「あ、でも。宇宙損害責任条約のことを考えると、真っ当なことなのかな?」と事情を分かっていそうな疑問を投げかけたが、鈴音りんねは肩を竦める。



「いや。単純にその辺の事情を理解せずに発せられたポンコツな善意だろうな。果たして、直径二〇〇メートルのトーラス状の粗大ごみの処理費は、どこから出るんだろうね」

「そりゃあ……。国民の血税でしょうねぇー」

「で、予算が確保できたとして、誰が処理するんだ? というか、どこの省庁の管轄なんだ? 運交省か? 科学省か? あるいは内閣府か? 内閣府だとして、デブリ除去する装備や技術を持っていた記憶はないが……」

「まぁ、民間に外注するでしょうね」

「例えば?」

「〈アストラル・クレスト〉とか?」



 凪咲なぎさに吐かせた言葉が、すべての答えだった。


 その答え合わせと言わんばかりに、鈴音りんね雨沼うぬまから届いたというメールを投げてよこした。



「宇宙ホテルの後片づけを、民間に外注する方針の閣議決定がなされる見通しだそうだ。当該企業には五〇億の補助金を出すとのこと。企業についてはこれから募集し、コンペをする形をとるそうだが……そうしているうちにスペースデブリは鼠算的に増え続ける。〈アストラル・クレスト〉が引き受けるというのなら、内定してしまうから、早速取り掛かってほしいとのことだ。入金時期については要調整らしい」

「……って待て! 五じゅぅぉ……」

「前よりゼロが二個増えたな」



 さらりと告げられたことに冷静になっては、卒倒しそうになる俺。そんな俺を面白そうに横目で見ながら、鈴音りんねはスープを口に運ぶ。まったく動じないどころか、むしろ二言目には「少ない」と言い出しそうな感じさえする。いったいどれだけ積まれたら、鈴音りんねはビックリするのだろう。


 いや、提示される巨大な額に、驚いているのは俺だけだった。凪咲なぎさは身を乗り出して「おお!」と目を輝かせている分、まだ反応としては正しいのだろうが、風花ふうかは顔色一つ変えずにライスボウルを食している。単に興味がないだけかもしれないが、それにしても鈴音りんねといると金銭感覚がおかしくなりそうで怖くなる。


 と、口のなかが一旦空になったのか、風花ふうか鈴音りんねに視線を向けた。



「で? 受けるの?」



 その言葉に、俺と凪咲なぎさの視線も鈴音りんねへと向かう。これまで、一〇〇万円積まれようと、五〇〇〇万円積まれようと、依頼を断って来た鈴音りんねだ。どんな答えを出すのか気になる。


 いいや、鈴音りんねにとって金額は二の次なのかもしれない。常泉じょうせんの依頼も、雨沼うぬまの依頼も、断ったのにはそれなりの理由があった。スープを飲み干し、得意げな笑みを浮かべると、鈴音りんねは俺たちに向き直った。



「正直なことを言えば、気が進まない。政府からの金は使用用途にうるさくて、ペン一つ買えない時もあるからな」

「……」

「だが、面倒な会計業務は根雨ねうにでも押し付けるさ。この依頼、引き受けようと思う。――出番だ奥宮おくみや先輩、凪咲なぎさ先輩。力を貸してくれ」







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