第19話

「いやぁ、お疲れ、お疲れー!」



 快活な声と共にどこからともなく凪咲なぎさが現れる。さも、いままで普通にいましたと言わんばかりの登場。それも、奏人かなめが帰ったと同時に登場するものだから、鈴音りんねはもう呆れて何も言えないという表情を浮かべていた。



「ん? なんかあった?」

「なんかあった? じゃねーよ。お前の義兄あにを名乗る奴が来て、大変だったんだぞ」

「え、来てたの? ごめんごめん。ちょっと別件で店長に呼び出されてて。新メニューについて議論を――」

「はぁ……」



 奏人かなめ襲来の裏で、なにやらドラマがあったようだが、楽しげで何よりという感想しかわかない。


 もし、さっきの場に凪咲なぎさがいたらどうなったのだろう。持ち前の明るさで、雰囲気を壊してくれたかもしれないのにと悔やまれるが、一方で、余計に事態をややこしくしてしまう光景も思い浮かぶ。多分、ホームランさもなくば三振かの極端な結果にしかならないだろう。



「そうだ! みんな、朝から働き詰めで疲れてるでしょ。特に鈴音りんねちゃん。遅めのランチになっちゃうけどさ、新メニューの試食会やらない?」



 疑問系の問いかけだったが、凪咲なぎさにとっては決定事項。風花ふうかの腕を掴んだかと思うと、「え? ちょ?」と困惑する間もなく連れて行ってしまう。



「じゃあ、二人は先にバルコニーに行っといてー」



 そう言ったかと思うと、凪咲なぎさは既に声だけになっている。


 完全に凪咲なぎさのペース。嵐のように過ぎ去って行った後、残された俺と鈴音りんねは顔を見合わせる。それで、大きな溜息と共に、やれやれと肩を竦めるのは鈴音りんね


 そこにはいつもの鈴音りんねの姿があった。




 *****




 場所のセンスは完璧だった。


 わざわざバルコニーに行くのか、と最初こそ思ったが、吹き込んできた風と広がる景色に心を奪われる。


 小高い丘の上からの、なんでもない風景であると言われたらそうかもしれない。開け放たれた空と、丘下にずらりと並ぶ住宅街。その真ん中に俺たちが通う学園が鎮座している。学園の名前は波ノ万江なみのまえ。海に突き出したこの地域が、「波の前」と呼ばれていたことがその由来らしいが、俺はその意味をようやく理解する。


 白波が打ち寄せる。

 扇状に広がる海岸線が、その終着点だ。

 

 浜に辿り着いては静かに消え、あるいは崖岩にぶつかっては砕け散る。潮騒が、波音が、ウミネコの声と一緒に聴こえてくるようだった。燦めく青の水面に浮かぶのは漁船だろうか。漁港からの船の出入りは、まだ「波の前」だった頃からの営みを教えてくれているような気がした。



「いい場所だろう?」



 海風に招かれるようにして鈴音りんねが隣へやってくる。得意げに笑うと、鈴音りんねもまた水平線の向こう側に目を向ける。


 空と海の境界線。一段と深い青になっているのは、交わりの向こう側に宇宙が広がっているからかもしれない。俺が見えるのはせいぜい、空と海に囲まれたこの場所くらい。けれど、鈴音りんねにはどこまで見えているのだろうか。



「未来視なんてできたんだな」

「……」



 少しの無言の後、鼻で笑う音が聞こえた。



「軽蔑したか?」

「なんで?」

「いや、これから軽蔑するのかもな。この能力の由来が知りたいんだろう?」



 鈴音りんねの方を向くと、少しだけ寂しそうな顔をしていた。海に背を向けて、手すりにもたれかかると、今度は空を見つめた。



「物心がついた頃だった。私の言ったことが次々と現実になるから、両親は驚いたよ。最初のうちは、凄いと喜んでいたが、母親は段々と心配になって、専門機関に駆け込んだ」

「そんな場所があったのか?」

「無いさ。私が送られた先は。これは超能力でもなんでもない。私は未来が見えるという病気を患ったのさ」



 すぐに鈴音りんねは「正確には大学病院だったけどね」と付け足す。その後で、母親の心配症のせいでマッドサイエンティストに弄られるところだったと冗談混じりに語るが、その真偽はともかく、俺は言葉を失ってしまった。



「結局、色々とたらい回しにされた私が最終的に出会ったのが、貫観川ぬけみかわ先生だった」

「……ぬけみかわ?」

「おいおい、もう忘れたのか? 寄生虫研究の一人者として、雨沼うぬまとの会食の時に紹介したじゃないか。相変わらず、忘れっぽいな」

「……」



 完全に忘れていた。


 それにしても、やけに物知りだと思っていたが、知り合いだったのかと合点がいく。だが、「どうして、また寄生虫が出てくるのだろう?」と思ったところで、俺はハッとした。


 鈴音りんねは、自分のことを病気だと言った。つまり、体内に取り付いていたものに蝕まれているのだ。


 そして、俺が何に気がついたのか悟ったのだろう。鈴音りんねは自嘲気味に笑った。



「〈未来観測フォーチュンテリング棲脊食念虫ディマーガ〉。そいつが、私の中枢神経に居るらしい」

「どうして……」

「さあ。ただ、貫観川ぬけみかわ先生が言うには、〈棲脊食念虫ディマーガ〉は人間が持つ感情、思考、記憶……そういったを喰らうそうだ。そして、宿主には情報を求めるように行動させる。例えば、宿主に悲劇的な未来を見せて、宿主が抱いた憂いの感情を喰らう……とかな」



 さっきは見苦しい姿を見せたなと、鈴音りんねは風に揺られながら瞳を閉じた。


 鈴音りんねのなかの寄生虫が望むのは悲しみ、憂い、絶望……あるいは、嬉しさ、喜び、希望。感情を喰らいたいがために、未来視と引き換えに、宿主に様々な感情を抱かせる。理性では抑えられないほどの感情があふれ出す。

 

 感情の操り方が分からなくなる。


 ……そして、人との関わり方も。



「私はただ、未来を見ることができる不思議な子だったハズなんだ。それがある日、宇宙ホテルの事故で大勢の人が死ぬ未来を見た。恐怖したさ。そして、防げるのは自分だけだと焦燥感を抱いた。未来を変えたいという信念に突き動かされて、〈アストラル・クレスト〉なんていう会社を作った……。でも振り返れば、私の意志だったんだろうか? 私のなかにいる怪物に、操られてただけなんじゃないか?」

「……」



 出会った頃から、変な奴だとは思っていた。


 でも、話を聞く限りでは、〈棲脊食念虫ディマーガ〉は宿主の行動様式や性格を好むように変更してしまう。それはまるで……



「いいや、そもそも、いま先輩と喋ってるのは誰なんだろうね。天代あましろ鈴音りんねなんだろうか?」



 それとも。



「〈未来観測フォーチュンテリング棲脊食念虫ディマーガ〉なんだろうか?」







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る