第15話

「おっはよー!」




 〈占い喫茶・クンバKUMBHA〉に到着するなり、俺は嵐にでも襲われたのかと思った。快活な声と共に現れたのは、薄墨色のエプロン姿の少女。「NAGISA」のネームプレートを胸元につけた彼女は、俺の腕を掴んでは店のなかに引きずり込む。


 カランコロンと鳴り響くベル。

 ふわりと漂うコーヒーの芳純な香り。

 木目を基調とした温かな空間。


 相変わらず、凪咲なぎさの勢いのよさには慣れない。客から集まる視線のなか、気まずさを感じつつ、俺は掴まれた腕をさする。



「引っ張ることないだろ」

「店の前で入るかどうかウロウロするからじゃん。じゃ早速、今日もよろしくね!」

「お、おう。……って言われても何すればいいんだ?」

「あれ? 言ってなかったっけ?」



 少しばかり首をかしげる凪咲なぎさ。だがすぐに「まぁ、いいや」と、俺にとっては不穏でしかない言葉を、明るく笑い飛ばした。



「はい、これ」



 かと思えば、どこから取り出したのか、次の瞬間、白いシャツ、エプロン、それから「研修中」のプレートの一式が手渡される。ただただ、戸惑ってばかりの俺に、「飲み込みが早い奥宮おくみやくんなら、すぐ『研修中』は外れるかもね」と、さらにわけの分からないことを畳みかけられる。



「ちょ、ちょっと、待ってくれ!」

「およ?」

「これに……着替えるのか?」

「そう! いいでしょー、これ!」



 くるりと回転してみせる凪咲なぎさ。言うだけあって、確かにエプロン姿は様になっている。それこそ、天代あましろグループのホテルで会った時の微妙に似合っていないスーツなんかとは違う。あの時、感じた幼さやあどけなさが、いまは明るさや愛嬌のよさに見事に昇華されている。それも、ふとした瞬間に、キラキラという効果音が聞こえてきそうな感さえある。


 いや、そんなことを言っている場合ではない。



「待て待て待て! なんで俺が? 今日、俺は鈴音りんねに呼ばれたから来たわけであって……。遠隔宇遊泳衣を着るんならまだしも、なんでこんなん着なきゃいけないんだよ?」

「え? 喫茶店で遠隔宇宙遊泳衣リモートウォーカースーツは、ちょっと斬新すぎない? まぁ、〈アストラル・クレスト〉の宣伝を兼ねてやるってんならアリかも。うん、アリかも! 早速、鈴音りんねちゃんに相談――」

「そういうこと言ってんじゃねぇよ! 喫茶店で働くのが、〈アストラル・クレスト〉の仕事なのか?」

「うん!」

「う……うん?」



 元気よく返事をされて、わけが分からなくなる俺。そんな俺に凪咲なぎさは、「まあ、正確にはなんだけどね」と説明になっているような、なっていないような捕捉をする。



「ほら、〈アストラル・クレスト〉ってさ、私たちが働けば働くほど、帳簿は赤くなっていくだけじゃん? 出資を募ったり、色々やってはいるけど、毎日毎日稼働させるわけにはいかないんだよねー」

「副業的に何かする必要があると?」

「そゆこと! まぁ、副業というか二足の草鞋わらじというか……」



 改めて、店内を見渡す。


 最初は気が付かなかったが、店内のいたるところに〈アストラル・クレスト〉のポスターが掲示されていたり、メニューにも宇宙にちなむものがあったりする。なんなら店のマークも「一筆書きされた三つのジグザグの山」。星を繋げた〈アストラル・クレスト〉のロゴと雰囲気が似ていたりと、言われてみれば同じ系列だと分かる。


 それから店の造り自体も、どこか既視感を覚える。窓から差し込む穏やかな陽気と店内で流れるジャズとを、吹き抜けで吊るされたファンがゆっくりとかき混ぜていく。そんな優しげな雰囲気も、どこか天代あましろグループのホテルに併設された喫茶店と似ていた。あの喫茶店の名前は忘れてしまったが、その二号店あるいは波ノ万江なみのまえ支店だと言われたら納得してしまうだろう。


 そして極めつけは、一階の隅のスペースだ。一箇所だけ独特なオーラを放つブース。俺を呼びつけた鈴音りんね本人の姿が見えないと思っていたが、そこで一人の女性客を相手にしているところだった。「占い処」と掲げられたバナー。そして、「十五分三〇〇〇円」の文字に、俺は自分でも表情が渋くなっていくのを感じた。



「大丈夫か……この組織……」

「?」



 あまり儲けになる……とは思えない。鈴音りんねの的中率はいかほどだろうか。それとも巧みな話術を駆使して、客の安心や納得感と引き換えに、半ば詐欺師のようにお金を巻き上げるのだろうか。いずれにせよ、この状況がおかしいと思っているのは俺だけのようで、凪咲なぎさは俺の独り言に疑問符を浮かべている。



「と、そういうわけだから奥宮おくみやくんも今日からよろしく!」

「いや、そんなんで納得できるか」

「まあまあ、不満は後で聞くからさ。騙されたと思って、とりあえず着替えよっ」

「実際に騙してんだろうが」

「じゃあ、本業から左遷されたと思って」

「余計タチ悪いわ」



 ねっ、ねっ、と距離を詰めてくる凪咲なぎさ。と、俺はなんだか嫌な予感がして後退る。


 着替えさせたい凪咲なぎさと、不平を言う俺。こんなやりとりを前にもしたなと考えたところで、脳裏に屈辱的な記憶が蘇ってくる。


 ――強制脱衣。


 記憶と共にフラッシュバックしたその四文字が、バックステップを踏ませた。そして、手渡されたユニフォーム一式を前方に放り投げては、凪咲なぎさに対する目眩めくらまし代わりにする。



「うおっ!」



 穏やかな場を割く驚嘆の声。俺の着地音も相まって、再び周囲の視線を集めることになったが、気にしている場合ではない。凪咲なぎさはオーバーなリアクションを取ってはいるが、咄嗟に投げつけられたエプロン類を見事にキャッチし、かと思えば既に片手をフリーにしている。


 突然の出来事に「ちょ、なに?」と困惑の様子を見せる凪咲なぎさだが、俺は間合いを保つことに意識する。油断したら最後。待っているのは猥褻物陳列による羞恥だ。



「――ねぇ、何やってんの?」



 途端。

 空気が凍りついた。


 背後から響いた冴えた声に、俺は突き刺されて動けなくなる。よく知っている人の声。それなのに、別人のように冷たく鋭い。振り返らずとも、睨まれているのが伝わってきた。



「……どうして、ここに?」

「それはこっちのセリフなんだけど?」



 恐る恐る視線を向ける俺。目に飛び込んでくるのは、薄墨色のエプロンを着た仏頂面のポニーテールの幼馴染。


 湖上こじょう風花ふうかだった。




 *****




風花フウ! 今日から応援に加わってくれた、奥宮おくみやくんだよ……って、二人は見知った仲なんだよね」



 風花ふうかの横に、飛び跳ねるようにやってくる凪咲なぎさ。二人が既に交流していることは、何となく会話の節々から知っていたが、凪咲なぎさが「風花フウ」呼びをするとは、やはりそれほど深い仲なのだろう。


 なぜ、風花ふうかがここにいるのか。その答えは、胸元にある「FUKA」の文字だった。既に以前から勤めていて、それが凪咲なぎさとの接点になったのだろう。〈アストラル・クレスト〉の事情を知っていたのはそういうわけかと納得する。


 一方の風花ふうかも、凪咲なぎさの言葉を受けて、大体の事情を飲み込んだようだ。心なしか表情を柔らかくすると、凪咲なぎさの問いかけに「まあね」と答える。



「じゃあ、とりあえず着替えて。バックヤードはあっち。ロッカーは特に決まってないから」

「……お、おう。って、そうじゃなくて!」

「なに?」


 

 後に続くはずだった言葉は、風花ふうかに制される。別に怖いと感じたわけではない。むしろ、いまの風花ふうかは、半開きの目をしているが、声色は「なにか質問があれば、なんでも言って」と言ってくれそうなほど穏やかなものになっている。


 改めて、風花ふうかの姿を見るとドキリとする。普段見ているのが、パーカー姿だからだろうか。様になっているのはもちろん、いつもより一段と大人びて見える。相変わらず前髪で右目を隠しているが、それさえもどこかアンニュイでクールな雰囲気を醸し出すのに一役買っている。


 こうして見ると、凪咲なぎさとは正反対のタイプ。そして、エプロンの上からでも分かる胸の膨らみに目が行った。


 すぐに視線を逸らすが、変に意識してしまうのはバスケ部時代の風花ふうかを知っているからだろう。遠目に見ながらも、「スタイルいいよな」と男子部員の間で話題に上がることがあった。その時は、「どこがだよ」とはぐらかしたが、引き締まっているのに柔らかさを感じる身体に、いまなら容姿端麗という言葉こそ相応しいと思ってしまう。



「いや……えっと……、湖上こじょうさんってなんでも似合うなーって」

「? いきなりなに?」

「別に、ふと思ったっていうか……それだけ……です」

「そう。ありがと」



 無感情な謝礼。もう少し、何かあってもいいだろと思わなくもないが、省エネな会話はいまに始まったことではない。


 物足りなさは、「はい、これ!」と横から凪咲なぎさに手渡されたユニフォームで埋まる。風花ふうかのエプロン姿を見たためか、着替えることへのハードルはかなり下がっていた。



「それじゃあ――」

「分かった分かった。着替えればいいんだろ、着替えれば。一人でできるから来んなよ」



 しつこく絡んで来ようとする凪咲なぎさに釘を刺したつもり。

 だった。



「?」

「……」

「――ッ」



 言葉にして一秒。

 時が止まる。


 コテンと首をかしげる凪咲なぎさ。その横で、何を言ってるんだと訝しむ風花ふうか。そして、漏らしてしまった言葉に冷や汗が流れ始める。


 そもそも、着替えるなんて一人でできるのが当たり前だし、誰も俺の着替えについて来るなんて言っていない。


 それなのに、俺は「一人でできるから来んなよ」と言ってしまった。これに風花ふうかは、「当たり前でしょ? 何言ってるの?」と無言のうちに語る。


 そして、よく分からないぞと、凪咲なぎさが口を開く。



「ん? 言われなくても行かないけど?」

「着替えるくらい一人で……できない?」

「違う! 無し無し! 誤解だ!」



 不思議そうな顔をしている凪咲なぎさ。と思いきや、最悪なタイミングで、合点がいってしまった。「そういうことか!」と手を打つ。



「あーッ! すっごい警戒するじゃんと思ったら、そう言うことか! いやー、あの時は、タイムスケジュールが決まってたのに奥宮おくみやくんがモタモタしてたからさ」

「――ッ!」



 そして、風花ふうかの半開きの目が、さらに閉じる。



「? じゃあ、着替えるの手伝ってもらってるってこと? ……え。マジ? あれってそんなに着るのに難しい造りじゃないハズ……」

「違う! 誤解だ、湖上こじょうさん! 話を聞いてくれ! あれは、勝手に凪咲なぎさにやられただけで! だから――」

凪咲なぎさは無茶苦茶な子だけど、変態じゃないよ。常識的に考えて、脱がせるとか頼まない限りやらないでしょ。……頼まれても嫌なんだけど」

「だろ! 常識的に考えたら、もちろんそうだろ? でも、そうじゃなくて――」



 俺は言葉を切った。

 まるで俺を虫ケラとでも言わんばかりに、蔑む目がこちらを覗いていたからだ。



「いいよ。着替えるの手伝ってあげる。――変態くん」








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