第13話

「引き受けない? どうして……?」



 困惑する俺。


 鈴音りんねはムクリと身体を起こすと、運ばれてきたチャイティーを口に運んだ。心地よく響くジャズと、程よい暖色の照明を、天井のファンがマドラーとなってかき混ぜていく。そんな穏やかな静寂がしばらく続いた後で、鈴音りんねはカップを口から外した。



「理由か。多すぎて、何から話せばいいか迷うが……そうだな。まず、私はあのホテルの印象について先輩に訊いたな」

「ああ」

「あそこは本当に、母上らしい醜悪な場所だ。私自身、あんな窒息しそうな場所、誰が好きなんだと思う。……と思いたいが、どうやら、ああいう悪趣味な場所が大好物という人もいてね。この国で信用できない奴らほど、好む傾向にあるらしい」

「信用できない奴ら?」

「政治家だよ」

「……すごい偏見だな。というか、私怨だな」

「そうだ。言ってしまえば、というやつさ」



 口に手を当てながらくつくつと笑う鈴音りんね。そうかと思えば、空をなぞり、一つの動画を投げてよこす。なにかと思えば、それは雨沼うぬまが予算委員会で追求されている様子だった。内容は、選挙事務所関連の不正疑惑だった。



「これがとやらだ。皮肉で言ってみたが、あんまり気にしてる様子ではなかったな。あしらわれたのか、それか図太いのかは分からないが」

「……随分と責めたことしてたんだな」

「と、まあ。こんな具合に、随所で引き受けないオーラは出していたのに、全然察してくれないから困ったよ。常泉じょうせんみたいに突っぱねれたら楽なんだが……なんせ相手が相手だ。無下にもできない」

「難しいんだな」

「正直、吐きそうだったよ。なんせ目の前にいるのは大罪人だ」



 えらく、強い言葉を使うなと思った。とはいえ、それくらいのことがあるのだろう。俺は鈴音りんねに耳を傾けるが、鈴音りんねもまたチャイティーをガソリン代わりに自らに注いでいく。



雨沼うぬま越夫えつお。奴は経済大臣時代に、海外の水素製造会社を誘致した実績がある」

「凄い人なんだな」

「ああ。おかげで、この国の水素製造に携わる人々が冷遇され、日本の生産能力は落ちた。口ではこの国の産業を育成するとかのたまいながら、国内の技術に投資せずに外資を誘致する脳味噌パッパラパーな奴らさ」

「言うなぁ……」

「ああ、もちろん宇宙に行くために水素は欠かせない。生産能力が落ちたことを受けて、〈アストラル・クレスト〉の株価も落ちたよ。まぁ、なんだ。余罪はまだまだあるが、つまり奴は日本の産業ブレイカーなんだよ。そんな奴が、『民間主導で』などといったところで何も響かない」



 そして、重要なことだが、と鈴音りんねは続ける。


 

「そもそも、なんで私が寄生虫の世話なんかしなきゃならない?」

「?」

「可笑しいだろう? だって、〈アストラル・クレスト〉は宇宙産業。〈棲脊食念虫ディマーガ〉は保健衛生。そもそも、相談相手を間違えてる」



 言われて、俺は「あ……」と声を漏らした。考えてみれば当然だ。いや、考えなくても当然だ。途中から、鈴音りんねが遠くの世界の人で、何でもできる人だからと片付けてきたが、前提からして違った。


 鈴音りんねは「雨沼うぬまは私のことを何でも屋さんとでも考えてるのかい?」と苦笑いをするが、俺もいつの間にかそんな気になっていたことを反省する。



「それから……何って言ってたかな? 『〈棲脊食念虫ディマーガ〉が我が国に与える保健衛生上の影響の分析をし、政策提言をおこなってほしい』だったか? 笑いを堪えるのに必死だったよ。お前はバカかと」

「言っちゃえよ」

「ああ。だから、言ったじゃないか。この分野では、貫観川ぬけみかわ博士という第一人者がいるって。だが案の定、聞く耳を持たずだ。海外や日本の一部の研究機関ではずっと前から注目されている寄生虫なんだが、この国の方はチンプンカンプンでね。そもそもリサーチしてないんだよ。ほしい物は、既に十年前に論文として出ているし、五〇〇〇万を投じて私がそこに付け加えられるものがあるとすれば、貫観川ぬけみかわさんの直筆サインくらいだ」

「そこまで……知って……」



 その知力。

 情報収集能力の高さ。


 またしても、圧倒的な差を見せつけられて、俺は大きく唾を飲み込んだ。そして鈴音りんねは「――まぁ、雨沼うぬまが本当にほしいのは、プロジェクトをという自己顕示欲なんだが」と付け足して、チャイティーを飲み干した。



「いずれにせよ、いまごろ〈棲脊食念虫ディマーガ〉の存在を知ったから、脅威について調べてくれだなんて馬鹿馬鹿しくて付き合えたもんじゃない。一周どころか百周遅れもいいところだ」

「それどころか、公安でも独自で研究進めてるって聞くし、本当に省庁間で連携取れてないよねー」



 と。


 それまで食事に夢中だった凪咲なぎさが参戦してきた。


 見れば、いつの間にか十皿くらいが目の前に重ねられている。「食った食った」と幸せそうに腹をさすりながら、ナプキンで口を拭う姿には、話の内容も相まって、俺も含めて残り三人は絶句した。



「あと、国防省も別角度から研究してた気がする。某国との共同研究で、有事の際のシミュレーション……だったかなぁ? うん、後で調べとくね!」

「……。……とまあ、各方面で独自に進んでいるわけだ。だから雨沼うぬまからは、それを統合するような機関を作れということかと思えば、そうでもない。貫観川ぬけみかわ博士や世界的な〈棲脊食念虫ディマーガ〉研究のトレンドは、奴らが宇宙空間においてどう活動を変化させるかというテーマだが、そこに〈アストラル・クレスト〉として協力しろとの要請でもない」

「それに、五〇〇〇万って言ったってはした金だしねー。そもそも国民の税金なわけで、使用用途に関してはわけ分からんくらい厳しい基準で省庁から口出されるし」

「まぁ、〈アストラル・クレスト〉が万年金欠なのは、一発一〇〇〇万する誘導弾を凪咲なぎさ先輩がボコスカボコスカ使うからなんだが……」

「ねっ。五発しか撃てないね!」



 だんだんとわなわなと口を震わせて、目に涙を浮かべ始める鈴音りんね。そんな彼女の感情など知る由もない凪咲なぎさは、溌剌と受け答えをする。


 その横で俺は愕然とする。

 そして、手が震え始めた。


 思い出すのは〈アストラル・クレスト〉の拠点へ行った日。スペースデブリの除去をおこなった日のことだ。



「あれって……一発……一〇〇〇万?」

「そっ、常泉じょうせんの言ってたのの十倍だね! つまり、一発の流れ星を撃ち込むだけで、九〇〇万の赤字ってわけ!」

「……」



 あっけらかんと喋る凪咲なぎさ

 口から魂が抜けていく俺。

 そして鈴音りんねは力なく笑った。



「なぁ、根雨ねう。戦争ビジネスに手を出していいかな? もう衝動が押さえられないかもしれない。手始めに、どこぞのGPS衛星を……」

「畏まりました。それでは本件を奥様に――」

「冗談だよ。……多分……きっと……おそらく」







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