第12話

 俺はただの場違いだった。


 

 ホテルでディナーに行こうと言うくらいだから、少しは奮発したものを食べに行くのだろうとは思っていたが、それどころの話ではなかった。


 向った先は、特別個室の会食場だった。開けた空間と、純白のテーブルクロスが敷かれた長テーブル。天井から吊るされたシャンデリアの灯りが控え目なのは、窓から一望できる東京の夜景を映えさせるためだ。



「その後、〈アストラル・クレスト〉の経営も軌道に乗ったようで何よりだ。しかし、まぁ、その歳でここまでの功績を作り上げるとは。ふーむ。いつも天代あましろ家には驚かされる」

「恐縮です。もお変わりないようで。昨今では、重大寄生虫特別対策法案の策定に向け大忙しなのでは? 与野党の攻防も増すばかりで、何かと気苦労も多いことでしょう」



 喋っているのは、この国の大臣と〈アストラル・クレスト〉の社長。だが、話はまるで入ってこなかった。


 厳粛な雰囲気のこの会場に集まったのはスーツ姿の人間ばかり。そこに学園の制服のまま放り込まれたのでは、ただただ身を小さくしてしまう。


 対面に座っているのは、永田町の人間ばかり。そして、その中心にいるのは現職の雨沼うぬま越夫えつお保健衛生大臣ときた。もはや画面のなかの遠い存在としか思っていなかった人物だ。


 そして、この空間にあって、俺が異質な存在だとは思われていたようだ。雨沼うぬまの視線が俺の方に向けられる。



「ところで、彼は?」

「彼は奥宮おくみや日向ひなた。この春より、弊社で働いている者です。私共と同じ学園に通っており、先輩に当たる方です」

「ど……どうも」



 情けない声が出た。いや、まともに声が出なかったという方が正しいか。それ以上、何を口にすればいいのか分からなかったし、独特な淀んだ目力のせいか、心なしか雨沼うぬまには睨まれている気もして言葉に詰まった。


 俺の委縮する様子を見て、ふっと微笑む鈴音りんね。対して、雨沼うぬまは「なるほどね」と、さして俺に興味が無かったのか、すぐに鈴音りんねに視線を戻した。まるで対等とは思われていない。この場で話ができるのは鈴音りんねだけ。そんな様子が態度に滲み出ていた。


 距離にして数メートルもない。だが、二人は遥か遠くの場所にいるようだった。それこそ、目の前には画面があって、二人はそのなかで動いているようにも思える。しかも、そこにいるのはクソガキみたいな学校の後輩ではない。俺にちょっかいをかけて来る鈴音りんねは、たまたま俺に土俵を合わせるために降りてきた天上界の人間。さながら、水浴びをしに天から降りてきた天女。


 本来はこちら。天代あましろの名をいただく、遥か高みの存在なのだ。


 こんなものを見せられては、もう二度とタメ口なんて利けない。「お前」はおろか、「天代あましろさん」と呼ぶことだってできないかもしれない。



「よっ!」



 俯きかけた俺に、真横から肘が入った。

 

 小突いただけのつもりだろうが地味に痛い。誰だよと、痛みが走る左肩をさすりながら隣に座る人物を見ると、向けられていたのは琥珀の双眸。快活な調子で笑みを浮かべている凪咲なぎさがいた。



……いつから?」

「おっとぉ? 最初から居たじゃん。ひょっとして、いま気付いた?」

「いま……気付いた」



 スーツを着ていたから気が付かなかった。最初は様になっていると思ったが、よく見れば見るほど言うほど似合っていないし、むしろ自由奔放な彼女とスーツはミスマッチな気さえしてくる。


 そんな違和感を覚える風貌なのにもかかわらず、隣にいた凪咲なぎさに気が付けなかったのは、それほどまでに緊張していたということなのだろう。彼女から向けられた何気ない笑顔に、俺は居場所を得たような気がして安堵を覚え始める。



「食べなよ。さっきから全然手を付けてないじゃん」

「いや、こういうのはガツガツ食うもんじゃないだろ? ……多分。てか、この状況でよく食えるよな」

「経費で落ちるから、食わなきゃ損、損」

「そういう話をしてるんじゃねぇよ」



 とはいえ、場違いであることには変わりない。凪咲なぎさはまったく気にしていない様子だが、俺は小声でやり取りをする。


 いま目の前にあるのは、フォアグラのソテー。コースのため、料理が運ばれてくるたびにその内容に目が飛び出そうになる。もはや味は二の次のようにも思えて来るし、なんなら盛り付けられた高級食材に意識が奪われて、どんな味なのか素直に楽しむことができない。


 凪咲なぎさは逆の意味で楽しんでいなかった。大臣と社長の話は聞いていても詰らないし、加えて、運ばれてくる料理も少量であっという間になくなってしまう。それで、常に空の皿が目の前にあるものだから、退屈しのぎに俺の皿への侵攻が始まった。最初こそ、「一口ちょうだい」と可愛げがあったが、そのうち人目を盗んで素早く強奪し始めたから、別の意味での緊張が始まった。



「もっと味わって食えよ……」

「いやー、言うほど美味しいかなぁ? 学校近くの中華屋さんの方がおいしくね?」

「それは……そうかも」

「だよね! たくさん食べられるし! ご飯はおかわり無料タダだし!」



 興奮気味に声をあげる凪咲なぎさ。俺は慌てて周りを見回すが、周囲の大人たちは雨沼うぬま鈴音りんねの会話に夢中なのか、はたまたもう俺たちには興味がないのか、俺と凪咲なぎさだけガラパゴス状態になっていた。


 夕食会にはまるで貢献できていない。大切な場だというのに、俺や凪咲なぎさを連れて来るとは、明らかに人選ミスだろと思いつつ、少しだけ雨沼うぬま鈴音りんねのやり取りに耳を傾けてみる。



「――しかし、中央省庁だけで寄生虫研究を進めようにも限界がある。そこで官民連携、そして民間主導で事に当たる必要があると、私は再三議会で述べてきた。重大寄生虫特別対策法案にもその旨は盛り込まれている」

「ええ、そのための研究費用が、予算に組み込まれるところまでは伺っています。それで、どこに委託しようとお考えなのですか? ……機微に触れる話題ですので、もちろんお答えは難しいかと思いますが」

「ふふっ。分かって訊いているのかな? 確かぁ……生物科学ぅ研究所ぉ……だったかな? 〈アストラル・クレスト〉の傘下にそんな名前の機関が立ち上がると聞いていたが……」

「さて? なんの話しでしょう?」



 だった。


 どうにも話の詳細は読み取れないが、世界的に猛威を振るいつつある寄生虫対策のための研究を、〈アストラル・クレスト〉に任せようという話だ。



「私の構想では、これは官・学・民を巻き込んだ大きなプロジェクトとなる。そして天代あましろグループ系列の機関がハブとなることは、君にとっても悪くない話のハズだ。最初の一年間は、〈棲脊食念虫ディマーガ〉が我が国に与える保健衛生上の影響の分析をし、政策提言をおこなってほしい」



 〈棲脊食念虫ディマーガ〉。


 それが、いま世界で問題視されている寄生虫の名前だった。話題にあがり始めたのは最近で、いまだ謎が多いとされている生態。


 最大の謎にして人々の関心は侵入経路だった。どこに生息しており、いつ侵入するのかも分からない。とにかく、気が付いた時には侵入されていて、脊椎などの中枢神経を脅かす。


 初期症状としては、脳に作用して記憶障害や精神異常などを引き起こす傾向にあるが、悪化すると自己破壊衝動に襲われ、最終的には宿主を死に追いやるケースも報告されている。


 〈棲脊食念虫ディマーガ〉に対する全容の解明は急がれているが、いまのところ対症療法しかないのが現実だ。そんな不可解な存在であることから、大国は既に秘密裏に兵器化しているとの陰謀論も、都市伝説界隈では語られ始めている。


 いずれにせよ、その解決に向けた動きの最前線が、いま俺の目の前にある。まさにここから世界が動く音が聞こえて来るようだった。研究所の立役者となるのは天代あましろ鈴音りんね。彼女が中心となり、世界を変えるのだ。



「なるほど、壮大な構想があるのですね。しかし、〈棲脊食念虫ディマーガ〉に関する研究は、羽久桜はくおう大学の貫観川ぬけみかわ教授を中心とする研究グループが相当程度力を入れていたと記憶しております。ノウハウを持っているのは彼らですので、新しく研究機関を設けるより、そちらに投資した方がいいような気もするのですが?」

「これは完全にオフレコだが、このプロジェクトは初年度に五〇〇〇万円規模の予算が投入される予定でね」

「ご……っ」



 驚きのあまり声を出してしまったのは俺だった。それで雨沼うぬまは俺に冷たい視線を向け、鈴音りんねまでも黙っていろと言わんばかりに一瞥をくれる。


 けれど、何を思ったのだろうか。鈴音りんねはフッと小さく笑うと水を口に含む。その姿には、どこかいつもの鈴音りんねの雰囲気を感じさせるものがあった。隠してはいるものの、口元には不敵な笑みが浮かんでいる。



「大臣。お声がけいただきましたこと、感謝しております。しかし、こちら側としても、すぐにお引き受けすることはできかねます。検討致しますので、少々お時間をいただけませんでしょうか」

「うむ……、色よい返事を待っているよ」




 *****




 ディナーが終わり、雨沼うぬまを見送った後、俺はホテルに併設されたカフェに通された。しかし、そこはどこか人気ひとけのないカフェ。それもそのハズで、お洒落ではあるものの、どこか庶民臭さを感じる店だった。



「ふぅ……」



 ソファーに着席すると同時に俺は思わず伸びをする。


 雨沼うぬまら一行が帰ったため、変なプレッシャーを感じずにすむというのもあるが、一気に住み慣れた場所に戻って来たような感覚に、どっと安心感が押し寄せた。


 それで一瞬、咎められないかと鈴音りんねの方に視線を向けたが、彼女もまた同じように伸びをしていた。表情もいつもの憎たらしい生意気な顔に戻っている。


 そこへ、付き人の青年が鈴音りんねへメニューを手渡した。仕事のできそうな雰囲気の人物で、常に鈴音りんねの傍についている。根雨ねうさんというらしい。



「お疲れ様です、鈴音りんね様」

「ああ、本当に疲れたよ。あの老害の相手は、これで最後にしてほしいものだ」

「言葉が過ぎますよ。しかし、そう言いたくなる気持ちも分かります」

「だろう? ――チャイティーを頼む。凪咲なぎさ先輩と奥宮おくみや先輩も好きなのを選んでくれ」



 隣に座る鈴音りんね。その距離は十数センチもない。いつもの調子に戻った鈴音りんねだが、それでも黒ドレス姿の鈴音りんねに距離を感じてしまう。住む世界が違いすぎる人間。こんな人が隣にいていいのだろうか。


 と、そんなことを思うや、鈴音りんねはパタリと転がった。そうかと思うと俺の太ももを枕にして、仰向けになる。根雨ねうさんが「はしたない」と止めるかとも思ったが、そんな素振りは見せない。状況を飲み込めずにいると、鈴音りんねは不敵に笑いながら、けれどやはり疲れたような表情で、俺の頬に手を伸ばしてきた。



「はは……どうだ? いつもとは違う私にキュンとしたかな? それとも、別人かと思って怖くなったかな?」

「……それは……思いました」

「敬語はやめてくれ。君は私の先輩だろう? さっきは助かったんだぞ?」

「? 俺は……ただ居ただけで。邪魔ならしたかもしれない……けど」

「居てくれるだけですごく助かった。単なる私の我儘だよ。君からすれば、変なところに連れ出されて迷惑だったと思うけれどね」

「そんなことは……」

「だが、話を強制終了させるきっかけをくれるとは思わなかったよ」



 クククと弱々しく笑う鈴音りんね


 嫌味、だと思った。だから謝ったが、今度は「なぜ、謝る?」と不思議そうな顔をされた。



「助かった、と言ってるじゃないか」

「? 五〇〇〇万円の件……引き受けるんじゃないのか?」

「ははっ。おいおい、私を過労死させたいのか? 常泉じょうせんの時と言い、提示された金額に踊らされすぎだぞ? 一〇〇万円でテロリストにしようとしたり、五〇〇〇万円で寄生虫博士にしようとしたり、君は本当に忙しい奴だな」



 穏やかに目を閉じる鈴音りんね。顔をあげると、凪咲なぎさは運ばれてきたミートソースパスタをモシャモシャと頬張りながら「うんうん」と頷く。そんな凪咲なぎさに引きながらも、根雨ねうさんも柔和な表情を浮かべている。


 そして、心地よいジャズが耳元を撫でた。



「引き受けないよ。――検討すると言ったが、するまでもない。あれは嘘だ」







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