第12話
俺はただの場違いだった。
ホテルでディナーに行こうと言うくらいだから、少しは奮発したものを食べに行くのだろうとは思っていたが、それどころの話ではなかった。
向った先は、特別個室の会食場だった。開けた空間と、純白のテーブルクロスが敷かれた長テーブル。天井から吊るされたシャンデリアの灯りが控え目なのは、窓から一望できる東京の夜景を映えさせるためだ。
「その後、〈アストラル・クレスト〉の経営も軌道に乗ったようで何よりだ。しかし、まぁ、その歳でここまでの功績を作り上げるとは。ふーむ。いつも
「恐縮です。先生もお変わりないようで。昨今では、重大寄生虫特別対策法案の策定に向け大忙しなのでは? 与野党の攻防も増すばかりで、何かと気苦労も多いことでしょう」
喋っているのは、この国の大臣と〈アストラル・クレスト〉の社長。だが、話はまるで入ってこなかった。
厳粛な雰囲気のこの会場に集まったのはスーツ姿の人間ばかり。そこに学園の制服のまま放り込まれたのでは、ただただ身を小さくしてしまう。
対面に座っているのは、永田町の人間ばかり。そして、その中心にいるのは現職の
そして、この空間にあって、俺が異質な存在だとは思われていたようだ。
「ところで、彼は?」
「彼は
「ど……どうも」
情けない声が出た。いや、まともに声が出なかったという方が正しいか。それ以上、何を口にすればいいのか分からなかったし、独特な淀んだ目力のせいか、心なしか
俺の委縮する様子を見て、ふっと微笑む
距離にして数メートルもない。だが、二人は遥か遠くの場所にいるようだった。それこそ、目の前には画面があって、二人はそのなかで動いているようにも思える。しかも、そこにいるのはクソガキみたいな学校の後輩ではない。俺にちょっかいをかけて来る
本来はこちら。
こんなものを見せられては、もう二度とタメ口なんて利けない。「お前」はおろか、「
「よっ!」
俯きかけた俺に、真横から肘が入った。
小突いただけのつもりだろうが地味に痛い。誰だよと、痛みが走る左肩をさすりながら隣に座る人物を見ると、向けられていたのは琥珀の双眸。快活な調子で笑みを浮かべている
「
「おっとぉ? 最初から居たじゃん。ひょっとして、いま気付いた?」
「いま……気付いた」
スーツを着ていたから気が付かなかった。最初は様になっていると思ったが、よく見れば見るほど言うほど似合っていないし、むしろ自由奔放な彼女とスーツはミスマッチな気さえしてくる。
そんな違和感を覚える風貌なのにもかかわらず、隣にいた
「食べなよ。さっきから全然手を付けてないじゃん」
「いや、こういうのはガツガツ食うもんじゃないだろ? ……多分。てか、この状況でよく食えるよな」
「経費で落ちるから、食わなきゃ損、損」
「そういう話をしてるんじゃねぇよ」
とはいえ、場違いであることには変わりない。
いま目の前にあるのは、フォアグラのソテー。コースのため、料理が運ばれてくるたびにその内容に目が飛び出そうになる。もはや味は二の次のようにも思えて来るし、なんなら盛り付けられた高級食材に意識が奪われて、どんな味なのか素直に楽しむことができない。
「もっと味わって食えよ……」
「いやー、言うほど美味しいかなぁ? 学校近くの中華屋さんの方がおいしくね?」
「それは……そうかも」
「だよね! たくさん食べられるし! ご飯はおかわり
興奮気味に声をあげる
夕食会にはまるで貢献できていない。大切な場だというのに、俺や
「――しかし、中央省庁だけで寄生虫研究を進めようにも限界がある。そこで官民連携、そして民間主導で事に当たる必要があると、私は再三議会で述べてきた。重大寄生虫特別対策法案にもその旨は盛り込まれている」
「ええ、そのための研究費用が、予算に組み込まれるところまでは伺っています。それで、どこに委託しようとお考えなのですか? ……機微に触れる話題ですので、もちろんお答えは難しいかと思いますが」
「ふふっ。分かって訊いているのかな? 確かぁ……生物科学ぅ研究所ぉ……だったかな? 〈アストラル・クレスト〉の傘下にそんな名前の機関が立ち上がると聞いていたが……」
「さて? なんの話しでしょう?」
談合だった。
どうにも話の詳細は読み取れないが、世界的に猛威を振るいつつある寄生虫対策のための研究を、〈アストラル・クレスト〉に任せようという話だ。
「私の構想では、これは官・学・民を巻き込んだ大きなプロジェクトとなる。そして
〈
それが、いま世界で問題視されている寄生虫の名前だった。話題にあがり始めたのは最近で、いまだ謎が多いとされている生態。
最大の謎にして人々の関心は侵入経路だった。どこに生息しており、いつ侵入するのかも分からない。とにかく、気が付いた時には侵入されていて、脊椎などの中枢神経を脅かす。
初期症状としては、脳に作用して記憶障害や精神異常などを引き起こす傾向にあるが、悪化すると自己破壊衝動に襲われ、最終的には宿主を死に追いやるケースも報告されている。
〈
いずれにせよ、その解決に向けた動きの最前線が、いま俺の目の前にある。まさにここから世界が動く音が聞こえて来るようだった。研究所の立役者となるのは
「なるほど、壮大な構想があるのですね。しかし、〈
「これは完全にオフレコだが、このプロジェクトは初年度に五〇〇〇万円規模の予算が投入される予定でね」
「ご……っ」
驚きのあまり声を出してしまったのは俺だった。それで
けれど、何を思ったのだろうか。
「大臣。お声がけいただきましたこと、感謝しております。しかし、こちら側としても、すぐにお引き受けすることはできかねます。検討致しますので、少々お時間をいただけませんでしょうか」
「うむ……、色よい返事を待っているよ」
*****
ディナーが終わり、
「ふぅ……」
ソファーに着席すると同時に俺は思わず伸びをする。
それで一瞬、咎められないかと
そこへ、付き人の青年が
「お疲れ様です、
「ああ、本当に疲れたよ。あの老害の相手は、これで最後にしてほしいものだ」
「言葉が過ぎますよ。しかし、そう言いたくなる気持ちも分かります」
「だろう? ――チャイティーを頼む。
隣に座る
と、そんなことを思うや、
「はは……どうだ? いつもとは違う私にキュンとしたかな? それとも、別人かと思って怖くなったかな?」
「……それは……思いました」
「敬語はやめてくれ。君は私の先輩だろう? さっきは助かったんだぞ?」
「? 俺は……ただ居ただけで。邪魔ならしたかもしれない……けど」
「居てくれるだけですごく助かった。単なる私の我儘だよ。君からすれば、変なところに連れ出されて迷惑だったと思うけれどね」
「そんなことは……」
「だが、話を強制終了させるきっかけをくれるとは思わなかったよ」
クククと弱々しく笑う
嫌味、だと思った。だから謝ったが、今度は「なぜ、謝る?」と不思議そうな顔をされた。
「助かった、と言ってるじゃないか」
「? 五〇〇〇万円の件……引き受けるんじゃないのか?」
「ははっ。おいおい、私を過労死させたいのか?
穏やかに目を閉じる
そして、心地よいジャズが耳元を撫でた。
「引き受けないよ。――検討すると言ったが、するまでもない。あれは嘘だ」
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