第11話

 都内にそのホテルはあった。




 案内されたホテルは、流石としか言いようがなかった。エントランスを抜けた途端に飛び込んできたのは、モダンで開放的なロビー。天井の高さといい、ラウンジといい、まずその広さに圧倒された。


 とはいえ、一番最初に受けた印象は「豪華」ではなかった。むしろ「調和」。柱も壁には特にこれといった装飾はなくシンプルなもの。しかし、それは無駄な主張を避け、その空間に与えられたテーマを追求したがゆえだった。着飾っているわけではないのに、高貴な印象を与える人のようだ。控え目に添えられたジャズピアノの響きでさえも、何から何まで全てが計算されている造りだった。


 初めて送迎車に乗った時もそうだが、決して庶民が気軽に足を踏み入れてよい場所などではない。それは、ホテルスタッフの放つ空気感からも伝わって来る。決して、嫌な顔をされているわけではない。むしろ、最高級のもてなしをしようとの矜持と品格が感じられる。この場に見合っていないのは、むしろ俺の方で、フロアを靴で汚さないようにつま先立ちで歩かなければと思ってしまうし、少しそうなっていたかもしれない。



「それでは、しばらくこちらでお待ちください」



 鈴音りんねの付き人にラウンジの一角に案内され、座って待つよう促される。鈴音りんねはどかっとソファーに身を預けるが、そんなことができるはずもない。俺は身を小さくしてそっと座る。


 ここ最近、一緒にいる時間が長かったからか、対等だと勘違いしてしまっていたが、本来は住む世界からして違うのだと実感する。それだけではない。弱冠十四歳にして、一つの会社の社長になるのは、天代あましろ財閥の娘だからという理由以上に個人としての資質も無関係ではない。経験値も違えば、知識量も違えば、見ている視野の広さも違う。


 それなのに、自分の尺度でしか天代あましろ鈴音りんねという存在を見れていなかった。



「なぁ、天代あましろ

「なにかな先輩?」

「ごめん」



 頭を下げる。


 それで驚いたのは鈴音りんねだった。それまでニマニマと俺のぎこちない一挙手一投足を見て楽しんでいたようだが、鳩が豆鉄砲を食らったように呆気に取られる。



「俺は、何も分かってなかった。何も知らずに、偉そうなことばかり……。本当にごめん」

「あ、ああ。何かと思えば……。謝らないでくれ。私は気にしていないし、むしろ先輩の色んな反応が見れて楽しかったよ」



 軽く肩を竦める鈴音りんね。それから、少し苦々し気な表情を浮かべると、辺りを見回すように俺に視線を送った。



「どうだい? すごいだろう?」

「……すごい…です」

「おいおい、そう委縮するな。言ってくれていいんだぞ? 『コイツ、いきなり金持ち自慢かよ?』とか『別にお前のホテルじゃないだろ』とかね。そっちの方が私も気が楽だ」

「……」

「ここは、天代あましろグループの総裁――つまり、私の母が管理するホテルでね。言ってみれば、天代あましろの威信を賭けたホテルというわけだが、どうだろう? 君の率直な意見を聞かせてくれ」

「……正直、居心地は悪い……かな?」



 つい漏れてしまった本音。その答えに、鈴音りんねはくすりと笑った。どうも、俺の反応を歓迎している様子。それどころか二言目には、もっと悪口を言ってやれと聞こえてきそうだった。



「私もそう思う。まるで薄汚い権力を金で塗り固めたような場所だよ。くつろぐどころか窒息しそうになる」



 嬉々として悪口を言う鈴音りんね。かと思えば、今度は急に寂しそうな顔をする。


 鈴音りんねが向けた視線を追うと、サイドテーブルに置かれた花瓶が目についた。普段なら気にも留めないが、少し歪な形をしていて、どこか不恰好だ。それこそ、小学生が図画工作で作ったと言われたら納得してしまいそうな出来栄えで、その異質さのせいで調和の取れた空間からは浮いて見える。


 これが芸術なのだ、と言われたらそれまでかもしれないが……。こんなホテルに置いてあるくらいだから、相当値打ちのあるものなのだろう。もしかしたら名のある芸術家の作品なのかもしれない。本当に芸術とは分からない。


 そんな花瓶を見つめては、鈴音りんねは弱々しく、そして苦々しそうに笑みを作る。気丈に振る舞おうとしているのだろうか。なぜかその不格好な花瓶に、自分を重ねているようにも見えた。



「けれどね、先輩。私は、こんなおかしな空間で育ってしまった。だから、が分からない……と言ったら、語弊があるが……。えっとだな……つまり……」



 いつもは淀みなく喋る鈴音りんねが、言葉を詰まらせる。訥々と語る様を見るに、言葉を選んでいるようにも見えるし、言いにくいことを喋ろうとしているのが伝わって来た。



「……感じてしまうんだ。凪咲なぎさ先輩と喋っていても、奥宮おくみや先輩とこうして話す時も。……自分はんだって」

「いや……そんなことは……」

「空から原子炉が落ちて来ることを想像して、ニヤニヤするような奴だぞ? ……きっと、私の方こそ、たくさん先輩には無礼なことをしてしまっている。そうだろう? 先輩は謝るようなことをしていないし、むしろ謝るべきことがあるんだとすれば、それは私の方なんだと思う」



 俺を真っすぐに見つめる鈴音りんね。その表情は、いつになく柔らかいものだった。そしてなぜだか、「お話したいことが、たくさんあるんです」と書いていたデス・ハーミットの面影を感じ取る。もっと先輩といたい。けれど、距離の取り方が分からない。そんな心の声が聞こえてきそうな気がした。



奥宮おくみや先輩。今日はこんなところに一緒に来てくれて、ありがとう。君がいてくれて……落ち着いた」

「……?」



 急に何を言い出すんだ? やけに素直というより、まるでこれから戦場に行くといわんばかりの様子に、俺は調子が狂わされる。



鈴音りんね様、それではそろそろお着換えに――」



 呼びに来た付き人。


 鈴音りんねは、「少し待っていてくれ」と言葉を俺に残すと、そのまま何処かへと消えて行ってしまった。




 *****




「お待たせしました」



 戻って来た鈴音りんねは、まるで別人だった。



 身体のラインが分かる黒いドレス。大人びたメイク。そして、ハイヒールが彼女の目線を高くする。そして、なによりも顔つきが、いつもの鈴音りんねではなかった。


 凛とした表情。そして、流れるような黒髪が、艶やかさを感じさせ、洗礼された佇まいが、安易に触れることを許さない高貴さを醸し出す。


 さながら黒い薔薇。


 というのも、まったく大袈裟な印象ではない。俺と並んだ時、何も知らない人に、どちらが年上かと訊いたら、十人に八人は鈴音りんねと答えることだろう。それほどの変身具合。それも格式高い空間にあっては、冷徹ささえ感じさせる彼女の雰囲気に、俺は言葉を失ってしまった。



「あま……しろ……?」

「それでは行きましょうか」



 あまりに澄んだ美しい声。

 心臓がドクンと高鳴った。


 言葉遣いも、声色もいつもと違う。鈴音りんねの声であることにかわりはないのだが、いつもの中性的な声を意識的に女声に近づけていた。そんな声遣いもできるのかと感心する以前に、途端に何も考えられなくなる。



「行くって……どこに?」

「夕食会ですよ、先輩」

「……の割には、気合入れすぎじゃね?」



 と。


 時を同じくして、ホテルのエントランスにスーツの一団が到着する。ただならぬ様子を感じ取ったのは俺だけではない。その場が物々しい雰囲気に包まれる。


 そんななかにあって、鈴音りんねはその一団の中心にいる人物に近づいていく。一体何をするのかと思いきや、一団の中心にいる初老の男性に挨拶を始めた。


 誰だろう? と思う前に、どこかで見たことがあると思った。第一印象としては、信用できそうのない人物。目つきも良くなければ、口を開けば詭弁ばかりが飛んできそうな印象を受ける。


 ヒントはホテルに来る道中に見せられたニュースにあった。世界的に危惧されているという「人食い寄生虫」のニュース。その政府対応について、議会答弁の場で登場した人物だった。



「お待ちしておりました。それではこちらへどうぞ――雨沼うぬま大臣」





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