第8話

「……」

「……」



 なんとなく気まずい。


 図書室を出てからというもの、無言の時間が続く。話があると言うから、自販機まで散歩する風花ふうかについて行くことにしたが、彼女は話を切り出さないばかりか、パーカーのポケットに両手を突っ込んだまま歩を進める。


 のらりくらりと揺れるポニーテール。脱力感を覚える佇まい。それでいて、その背には一本の筋が通ってるように感じてしまうから不思議だった。


 俺はと言うと、もう隠す必要のないセピア色のノートを手にしながら、けれど半歩後ろを歩く。すぐに話を切り出してくれたら、自然なかたちで隣に行けたのだが、早いのだか遅いのだか分からない風花ふうかとは、なんとなく歩調が合わなかった。


 と、自販機のある渡り廊下に差し掛かり、半歩の距離が一歩になりかけたところで、ようやく風花ふうかが切り出した。



「そういえば、〈アストラル・クレスト〉に一本釣りされたんだってね。おめでとう」

「お、おう。ありが……とう? というか、話が早いな」

凪咲なぎさから聞いたんだよ。めちゃくちゃ嬉しそうに、『即戦力』って言ってたから、相当才能があったんだろうね。やるじゃん」

「なるほどね……。てか、知り合いだったのか?」

「まあね」



 お前って意外と顔が広いんだなと言いかけて、言葉を飲み込む。なんとなく風花ふうかのことを「お前」呼びするのが躊躇ためらわれたからだ。そういえば、いままで俺は風花ふうかのことをなんと呼んでいただろうか。小学生の頃は、何気なく「風花ふうかちゃん」と呼んでいたが、中学にあがってからは周りの目もあってか「湖上こじょうさん」呼びをしていた気がする。するとなんだか、疎遠になっていく気もして……


 なら、どう呼べばいいんだろう。あだ名みたいな感じで、「フウ」と気軽に呼べたら逆にいいのかもしれないが、それはそれで急に距離を詰めすぎる気もする。「風花ふうか」と呼び捨てするのも、同じ様に一歩踏みこめない。



「でも、どこで知り合ったんだ? 他校の奴だろ? バスケやってた時の知り合いとか、そんな感じか?」



 ピタリと止まる足。


 お目当ての自販機の前まで来たということもあるが、それ以上に俺の言葉に驚いたのか、訝しそうな表情を俺に向けた。あまり踏みこんではいけない話題かと瞬間的に焦るが、どちらかというと信じられないものでも見ているといった顔だった。



「それ、マジで言ってる?」

「?」

「他人に興味ないのか……それとも健忘症なのか……。忘れっぽいのは相変わらずだね」

「?????」



 風花ふうかは自販機のボタンを押す。それから少し遅れて、指紋認証の電子音が鳴ると、ゴトンと飲み物が落ちた音がした。


 屈みこむ風花ふうか。手にしたのは紙パックのグレープジュースだったが、ストローを差して吸い始めても、目を合わせてくれない。何か地雷を踏んでしまったのだろうか。けれども、俺にできることと言えば頭に疑問符を浮かべることだけだ。


 忘れっぽいと言うのは、確かに昔から言われてきたことだが、何か呆れられるようなことを言ってしまっただろうか。分からない。そして、風花ふうかもその様子を察すると、小さく溜息をこぼした。



月雲つくも凪咲なぎさのクラスは1-D。あんたと同じクラスなんだけど?」




 *****




 俺は凍り付いた。


 同じクラスメイトに、あんなハチャメチャな奴がいたという事実もそうだが、それを忘れてしまうなんてことがあるだろうかと、自分の記憶力の無さに混乱し始める。



「まあ確かに、最近は〈アストラル・クレスト〉の方で忙しくしてるみたいで、学校に来ない日もあるみたいだけど」

「それを先に言えよ……。てか、原因は絶対それだろ。いたら忘れねぇよ、あんなの」

「あんなのって……。一応、私の親友なんだけど?」

「ッ! ご、ごめん!」



 すぐさま頭を下げる。


 妙に風花ふうかのことを意識しているせいなのだろうか。口にする言葉が、すべて裏目に出ている気がする。その上、喜怒哀楽がいまいち読み取りづらい風花ふうかのこの能面っぷりだ。語調からも、怒っているのか、それともあまり気にしていないのか、全然読み取れない。


 読み取れないどころか、実は風花ふうかのことを全然知らないのだと気が付く。幼い頃からの仲だから、色々知っている気でいたが、風花ふうかの持っていた運動能力にしても、交友関係にしてもそうだ。



「……」


 

 俺は手に持っていたノートに力を込める。


 だからこそ、風花ふうかのことを知りたいと思って交換日記を置いた。思えば図書室を選んだのも、もしかしたら風花ふうかの目に留まって、返事を書いてくれるかもしれないと、そんな淡い期待からだ。だから、返事があった時は、恥ずかしさや驚きがあったものの、それ以上に嬉しかった。


 普段は誰も来ないような図書室の、しかも誰も見ないような禁書コーナーにあるノートだ。気が付くのは風花ふうかくらいなものだ。だから、相手は風花ふうかで決まっている。やり取りをするなかで、普段は見せない側面に気が付いて驚いたこともある。


 とりわけ、星や天体に興味があるんだというのは、初耳だったし、思えば交換日記でのやり取りが、自分も宇宙に興味を持つきっかけだった。


 でも、交換ノートでやり取りをすればするほど、風花ふうかとの距離ができていくような気がするのも事実だ。「宇宙の年齢よりも古い天体がある」という話をした時も、「ふーん」と興味のない素振りをされた時はショックだった。――いや、もちろん顔に出さないだけで、内心では興奮していたのかもしれないが。



「あ、そうだ」

「?」

「忘れかけてたんだけど、そのノートさ――」



 心臓が縮む気がした。


 不意打ちのように、ノートに言及するキレ味。しかも、同じようなトーンで話が繰り出されるものだから、覚悟を決める時間などあるハズもない。一体何を告げる気だと、視界が眩む気がした。


 が。

 そこで横槍が入った。



「おお、日向ひなた氏! ちょうどいいところに!」



 背後から聞こえた男の声。

 

 振り返れば、白髪混じりの丸メガネの中年。白衣を身に着けた、教師の常泉じょうせんがいた。



「君に頼みたいことがあるんだ。いいかな?」







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