Ⅱ おいおい、私を過労死させたいのか?

第7話

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【四月十九日】


コスモスさんへ



 いつもの場所にノートがなかったので、新しく作ることにしました。もし、コスモスさんのご迷惑でしたらごめんなさい。もう続けたくないとのことでしたら、遠慮なく仰ってください。はそれに従うつもりです。


 ノートが無いだけで、新しく作り直すだなんて……自分でもおかしいとは思ってます。ただ、なんだかんだで、コスモスさんとのやり取りが、僕のなかでは日常の一部になってしまっていたようです。なんだか物足りないというか……寂しいと言ったら女々しいですかね?


 いつも愚痴をこぼしているだけの僕でしたが、真摯に向き合ってくれるコスモスさんに助けられていたんだと思います。だから改めてお礼を。こんな僕に付き合ってくださって、本当にありがとうございました。


 実はお話したいことが、たくさんあるんです。最近、僕が進めているプロジェクトチームに愉快な仲間(しかも即戦力!)が増えたこととか。学校の先生が、やたらプロジェクトに口出ししてきて迷惑していることとか……。


 でも、それはあくまで僕の想いです。振り返れば、僕の一方的な振る舞いで、コスモスさんの想いを蔑ろにして来たんじゃないかと、少し反省しています。もし気分を害されたことをしてしまったのだとしたら、ごめんなさい。




デス・ハーミット


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 *****




 何気なく訪れた図書室の禁書コーナー。 


 俺はノートをパタンと閉じると、すぐさま周囲を見回す。そして、人がいないことを確認すると、すばやくノートをブレザーの下に隠した。



「……はぁ。なにやってんだ俺は」



 そして、呆れとも安堵ともつかない溜息を吐く。


 天代あましろ鈴音りんねに交換日記の存在をバラされてから約一週間。もう交換日記をやることはないと思いつつ、それでも、ふと訪れてみればノートが置いてあった。しかも、前と同じセピア色のノートだったものだから、回収し忘れたかと手に取らざるをえなかった。


 腹に抱えたノート。

 日記を続ける気はなかった。


 けれど、ノートが消えて不安だったとの旨の文面を思い出しては、申し訳ない気持ちになる。


 やめるにしても、ちゃんと伝えてからというのが誠実。……それは分かっているのだが、しかし事情が事情だ。既にこの禁書コーナーが鈴音りんねのテリトリーになっている以上、やりとりの全てが筒抜けだ。


 せめて、相手が分かればいいんだがとは思う。「デス・ハーミット」とかいう痛々しいネーミングや、一人称を「僕」にしているあたり、なんとか男の子を演じようと頑張っているが、文面などから察するに女の子なのだろう。だが、分かるのはそれだけだ。探そうにも探せない。



 ――それとも、ここに来そうな人間を張るか?



 俺は近くにある椅子に腰かけて、禁書コーナーに目をやる。


 そもそも、コスモス=奥宮おくみや日向ひなたと気付いていない可能性もある。あの日以来、交換日記のことで周囲から揶揄からかわれると思っていた俺だったが、思いのほか話題にはなっていなかった。どちらかと言えば、天代あましろ財閥の令嬢である鈴音りんねに目を付けられた理由とか、車で連れて行かされた場所の方に興味関心が寄せられていた。


 中等部の頃にバスケ部だった友達からは、「天代あましろ財閥を相手に、なにやらかしたんだ?」と訊かれた。そいつ曰く、この学園には、天代あましろ家の壺を割ってしまい、奴隷のようにこき使わされることになった奴がいるのだとか。噂好きな奴だったから、真偽は確かではないとその話は流したが――。いずれにせよ俺は、交換日記をしていたヤベー奴というより、天代あましろ家に目を付けられた可哀想な奴として知れ渡っていた。


 だから、「デス・ハーミット」だって「コスモス」の正体に気付いていない可能性が捨てきれない。とりわけ、俺のことを知らない中等部生だった場合、騒動自体を耳にしていないかもしれない。そうなると彼女は、俺が一方的になにも言わずに交換日記をやめたと捉えていることだろう。


 ならば、禁書コーナーを張るのが「デス・ハーミット」とコンタクトを取る最善策かもしれない。それに、たいていの本や資料ならネット上で手に入ってしまうこのご時世だ。図書室に来る奴は限られている。禁書コーナーとなればなおさらだ。



 ――いや?


 

 俺はそこで視線を向けられていることに気が付いた。


 見れば、カウンターで退屈そうにしている図書委員。黒いパーカーを着た、ポニーテールの少女だった。




 *****




「なぁ、訊きたいことがあるんだけど」

「?」



 何か用? と言いたげに顔を上げる図書委員。暇つぶしに動画を見ていたようで、宙に浮かべていたディスプレイを空をなぞって消す。とにかく不愛想気で、低血圧を体現したような人物。二言目には「いまいいところなのに」と聞こえてきそうな態度に、俺は相変わらずだなと少し苦笑する。


 湖上こじょう風花ふうか


 幼馴染というか、腐れ縁のような存在だから、よく知っていた。いつも、ぼーっとしていて何を考えているか分からないマイペースな奴。無口な不思議ちゃんだと、小学生の頃は思っていた。


 だから、中等部に進学し、バスケ部に入ると聞いた時は驚いた。運動とは無縁だと思っていたからだ。だが、いまとなっては、「運動できるのか?」と口を滑らせたことを後悔している。練習にしっかりとついて行くどころか、エースとまで呼ばれることになった風花ふうか。彼女が気がかりで、つられるようにバスケをやることになった俺だったが、結果としてはワン・オン・ワンをやっても勝てた記憶があまりない。



「禁書コーナーあたりをうろついてる女子見かけなかったか?」

「さぁ? どうして?」

「あ、いや。大した事じゃないんだけど、ちょっと気になって……」

「ふーん」



 次の言葉を待つ俺。


 だが、会話はそれで終了だった。


 風花ふうかは再び宙にディスプレイを浮かべると、動画の続きを視聴し始める。イヤホンをしていて、俺に音は聞こえないが、画面を見る限り、どうやら最近のニュースを見ているようだ。


 それよりも俺の気を引いたのは、風花ふうかの顔だった。単純に、顔かたちの整った奴だとは思う。それなのに、右目を髪で隠すようになったのは、中等部最後の大会からだ。そこで痕が残る怪我をしてしまった。


 そしてそれは、風花ふうかがバスケを辞めるきっかけになった怪我でもある。だから、彼女の顔の右側を見ると、胸が痛んだ。



「……じゃなくて! 図書委員だから、ずっとここにいるんだろ? 本当に誰か見てないのか?」

「いや、いるのは当番日だけだけど?」

「じゃあ、特に怪しげな奴は見かけてない……ってことか?」

「強いてあげるなら、あんたかな」



 うっ、と言葉に詰まった。


 チラリと腹に隠しているノートを、一瞥されたような気がして動揺する。対して、風花ふうかにとっては全く興味が無いのか、顔色一つ変えずに淡々と受け答えをする。


 とはいえ、風花ふうかの言葉を聞いて、少しだけ安心している自分もいた。洞察力のある風花ふうかのことだ。当番日がどうのと言ってはいるが、怪しげな行動をとる人物がいれば見逃すはずがない。実際に俺は、これまでにノートを隠そうとしたところで、カウンターの風花ふうかから視線を感じたことが何度かあった。


 普通は、何をしていたか訊くだろう。それなのに、風花ふうかとくれば、いまみたいに興味のない素振り。だが、そうかと思えば、何故か蔵書点検の日程を教えてくれることがあって、交換ノートの避難を手助けしてくれることがあった。


 その時には、不思議に思ったが、ノートの存在を知った上での敢えての行動だったのではないかと、最近になって思い始めていた。俺の行動を黙認する幼馴染。知らないふりをする幼馴染。俺がノートを置く日に限って、風花ふうかは当番日だ。


 まさに示し合わせたような行動。

 考えれば考えるほど思い当たる点。

 増えていく状況証拠。



 ――デス・ハーミットはお前なのか?



 そんな言葉が、喉まで出かけては飲み込む。


 きっとそうに違いないし、十中八九、正体は風花ふうかなんだと思っている。だが、決定的な確証が得られない。最後のピースが埋まらない。



「怪しげな行動して……悪かったな」

「?」



 口にすると、不思議と思考が進む。風花ふうかはいつも口足らずだ。だから、もしかしたら「怪しげな行動はするな」「だから鈴音りんねに気取られたんだ」と暗に伝えているのかもしれない。


 そして、風花ふうかは感情を表に出さない奴だ。こうやってポーカーフェイスをしているが、内心ではノートが第三者に見られたことに苛立っている可能性もある。わざわざ、蔵書点検の日を教えてくれたり、俺に注意喚起をしていたにもかかわらず、俺がヘマをしたせいで交換ノートの存在が鈴音りんねにバレてしまったからだ。


 

 ――お話したいことが、たくさんあるんです。



 日記に書かれた言葉が、ふと脳裏に蘇る。


 鈴音りんねにバレたとしても、それでもデス・ハーミットはやり取りを続けようとしてくれた。いいや、相談したいことがあるのだ。返事はまだ書けていないが、それに応えたい俺の気持ちは伝えておくべきだろう。待たせてしまっている。



「……あぁ、えっと。何か困ったことがあったら言ってほしい。こんな俺でよければ相談に乗るから。これからも」

「え? ……あ、うん」



 なんとも、割り切れない返答をする風花ふうか。ちゃんと伝わっているのか不安になる。風花ふうかがこんな態度だから、なんとなく噛み合っていないような、いま一つ以心伝心できていないような感覚があるから、最後のピースがはまらないのだ。


 と。


 おもむろに風花ふうかは立ち上がって伸びをする。それから、「只今離席中」のプレートを目の前に置くと、カウンターのなかから出てきた。



「? どっか行くのか?」

「自販機。……あんたも来る?」

「あー、どうしようかな……」

「時間あるんなら、久しぶりにちょっと話もしたいし。……そのノートのことも含めてね」

「……」



 来た!







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