第5話

「あー、聞こえるかな? 奥宮おくみや先輩」



 耳元から声が聞こえた。


 声の主は、約四〇〇キロメートル下にいる。――いや正確には、ここは拡張現実によって見せられている宇宙空間。だから実際には、声の主である鈴音りんねは、数メートル後ろに控えている。それでも俺は、海岸線によって縁取られたシルエットのなかに〈アストラル・クレスト〉の拠点を探していた。


 どの辺りの山だろうか? そこに、鈴音りんねがいる。……そして、俺の肉体も。


 だが、探そうとする前に、そんな景色はすぐに流れて行く。宇宙船に固定された俺は、第一宇宙速度そのままに夜の世界へと突入して行く。



「ああ……聞こえるよ」

「返事がないから、少し不安になったぞ。音声回路も問題なさそうだな。――心の準備ができたら言ってくれ。安全ロックを解除する」



 と、目の前に白い人型の機体がやってくる。二十一号室の天井に三次元投影されていた機体――〈リモートウォーカー〉だ。そうかと思えば、機体は頭から溶けるように金属が剥がれ落ち、遠隔宇宙遊泳衣リモートウォーカースーツ姿の凪咲なぎさが姿を現す。



「おっ、来たね。調子はどう?」

「……ッ!」



 真空の世界なのに生身。それで、何事もないかのように自然な笑みを浮かべるものだから、思わずぎょっとしてしまう。


 けれども、なんということはない。実際に目の前にあるのは金属の塊で、俺が見ているのは、あくまで装着したゴーグルが見せる拡張現実。金属の肉体の上に塗装された凪咲なぎさの姿だ。いいや、この宇宙でさえも白地の世界に投影された映画のようなもの。


 そんなことは分かっていた。


 それなのに、俺は思わず、目の前の少女に手を伸ばしていた。



『――安全ロック、解除』

『―― RW-AC-004リフトオフ』



 手と手を繋ぐ。


 金属と金属が重なりあっただけ。それなのに、凪咲なぎさの体温が伝わってくる。「それじゃあ、行こっか」と手を引っ張られ、俺は暗黒の海へと飛び出す。


 ふわりと浮かぶ身体。


 見下ろせば、紫黒しこくの地表に散りばめられた光の粒。それが線をなして、地上の人々の営みを描き出している。それはさながら星々が集まって星団を成すように。眼下にはもう一つの宇宙が広がっていた。



「ようこそ、私たちの世界。 星幽の尾根アストラル・クレストへ!」




 *****




「お楽しみのところすまないが、仕事の時間だ。凪咲なぎさ先輩」



 鈴音りんねの声がした。凪咲なぎさは顔色を変えずに「あいよー」と淡々と返事をする。



標的ターゲットとは百二十秒後にエンカウント」

「おっけー。こっちも目視で確認したよー」



 いったい何が始まるというのか。


 凪咲なぎさの視線の先を見ると、宇宙空間を漂う物体が目に留まる。だが途端に、俺はそれが「標的ターゲット」と呼ばれる理由が分からなくなった。ただっぴろい闇のなかで、俺たちの視線の先にあるのは、両手を広げたように太陽光パネルを備え付けている円筒状の人工物。


 なんてことはない。

 誰がどこからどう見ても、普通の人工衛星だった。


 けれども、俺たちと命綱で繋がっている宇宙船は、その人工衛星に接近していく。辺りを見回してみても、ほかに「標的ターゲット」と思しきものは見当たらないし、鈴音りんねのカウントダウンに合わせて、ほぼ正確に人工衛星の元へと誘導される。



「これが……標的ターゲット?」

「おや? 宇宙人と戦うとでも思ったかな? 先輩の目の前にある人工衛星――いいや、その成れの果てだな。もとい、その産業廃棄物が今回の我々の回収物だ」

「廃棄物? ってことは、もう機能してないってことか?」

「そう。もうそれは宇宙ゴミスペースデブリ。傍迷惑な国の傍迷惑な置き土産さ。まったく、公共の場にポイ捨てするなよなぁ。使った後のゴミ処理もできないとは、程度の知れたカス国家なんだろう」



 呆れ口調で鼻を鳴らす鈴音りんね。半分ジョークなのだろうが、それにしてはいつもより語気が荒いと感じる。


 そんな鈴音りんねとは対照的に、凪咲なぎさは「じゃあ、取り掛かるよ」とご機嫌な様子で人工物に飛びつく。何をするのかと思って見守っていると、腰に携えていた懐中電灯にも似た装置を手に取り、レーザーを出力して、人工物の切断を始めた。



「よっ……と」



 そうかと思えば、切断した部品を捕まえると、宇宙船から伸びてきたアームによって渡される誘導弾を装着。そして、地上に目掛けて降下させる。遠心力を奪われ、重力に捕まえられた部品は、あっという間に地球へと落ちていき、閃光を放っては闇のなかに消えていった。



「何やってるんだ?」

「そのゴミの処分さ」



 答えたのは鈴音りんねだった。



「そのまま放っておいたら、他のスペースデブリと衝突してゴミをまき散らしかねない。巻き散ったゴミは、さらに新しいゴミを作る。そうならないために、スペースデブリの処分をするのも〈アストラル・クレスト〉の仕事でね。いまは、確実に焼却処分するために小さくしているところだ」



 もちろん、その過程でゴミが出ないように細心の注意を払いながら、と口にする鈴音りんね。そう言い終わるか終わらないかのところで、凪咲なぎさは俺が手持無沙汰だと思ったのだろうか? 



「やってみる?」



 すっと、俺の隣にやって来た。ピタリと触れる肩と肩。それから、レーザー発振器が手渡される。



凪咲なぎさ先輩、相変わらず軽いなぁ……。奥宮おくみや先輩、言っておくが絶対にそれから手を離すなよ」

「なめてんのか? そんな、ドジっ子じゃ――」

「落としでもしたら、そいつは宇宙を漂うゴミになる。時速二万八千キロで飛翔する凶器だ」

「……」



 聞こえてくるのは声だけ。きっと、鈴音りんねのことだから、ニヤニヤしながら言っているのだろうと伝わってくる。


 だが、急に手に持っているレーザー発振器が重くなったように感じ始めた。それだけれはない。手からすり抜けてしまいそうな気がして、強い力で握りしめる。けれども、握れば握るほど、滑り抜ける気がしてきてしまうから不思議だった。


 揶揄からかっているのはその通りだろう。だが、その反面それだけ責任の伴う作業だと言葉だけで諭される。



「もー、鈴音りんねちゃん。変なプレッシャー与えすぎだって。そんなんじゃ、できることも、できなくなるよ」



 凪咲なぎさが空をなぞる。すると、目の前にディスプレイが出現して、人工衛星が赤・黄・緑に色分けされた。



「見えてる? これはシミュレーションシステムが分析した結果だよ。赤と黄色の部分は切ると、バラバラになってデブリを生み出すからアウト。緑の部分を切ってる限りは、問題は起きないから大丈夫! あとは、懐中電灯と同じ要領で、そのボタンを押せばレーザーが出るから。ねっ、簡単でしょ?」

「……お、おう」

「まぁ、万が一デブリが出そうになっても、すぐ私がカバーするから。やってみて!」



 トン、と軽く背中を叩かれた。その反動で俺は前方に、凪咲なぎさは後方に流れながら「ばっちこーい」と両手両足を広げる。


 彼女の表情に、俺は無言で頷く。

 気が付けば、手の震えは止まっていた。

 

 そして、表示されたガイドに向き合うと、レーザーの出力を始めた。照射された部分は、熱で融解し、切断されていく。思いのほか簡単に切れるものだから、ついつい楽しくなってしまう。


 それで、ついつい切断後のことを考えていなかった俺。切断された部品が飛んでいきそうになって少し慌てたが問題はない。すぐ近くで待機していた凪咲なぎさが、素早く捕まえて、先程と同様の手順で夜の世界へと降下させる。


 部品は、尾を引きながら閃光を放って焼失する。その様子は、さながら流れ星。――いや、さながらどころか、正真正銘の流れ星だった。



「この仕事の良いところはね、こうやって流れ星を地上の人にプレゼントできることだよ。そう考えると……よっと。流れ星を見せる仕事って言っても、大袈裟じゃないよね」

「……」



 会話をしながら、たまたま並走していた小型のデブリを見つけて捕まえる凪咲なぎさ。それをそのまま流れ星に変えてしまう。思い切りの良さといい、瞬発力といい、なぜ〈リモートウォーカー〉のパイロットに選ばれたのか、理解できた気がした。



「ゴミが減って宇宙は綺麗になる。衛星もゴミとして漂うんじゃなく、最期に光となって役目を全うする。そして、地上の人も天体ショーを拝める。ねっ、鈴音りんねちゃん」



 鈴音りんねに語り掛ける凪咲なぎさ

 すると鼻を鳴らす音が聞こえてきた。



「まったくだ。それで、何も知らずに無邪気に『流れ星だ』と願いを込める人を見て、ただゴミが燃えているだけなのにと、私も愉悦に浸ることができる。みんな幸せになれる仕事というわけだ」

「……なんて、言ってるけどさ。奥宮おくみやくんに宇宙を見せてあげたいからって、すぐに連れてきちゃうんだからすごいよね。日記見ただけで、普通そこまでするかなぁ?」

「おーい、るさいぞー。頼むから目の前のことに集中してくれ」

「だからさ、奥宮おくみやくん――」



 屈託のない笑みを見せる凪咲なぎさ


 そして、最後に残されたパーツに誘導弾を取り付けると、空をなぞる。すると、俺の目の前に点火スイッチが表示された。


 夜空に流れ星を生み出すスイッチだ。



「せっかく宇宙に来たんなら、神様になったつもりで楽しんでいいと思うよ!」







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