第4話

「よし、完璧! じゃあ行こっか!」

「……」



 言葉が出ない。

 出るのは呻きにも似た声だ。


 遠隔宇宙遊泳衣リモートウォーカースーツに着替えたはいいものの、俺はすでに精魂尽き果てていた。きっと、去勢された犬はこんな気持ちなのだろう。もはや、羞恥心はおろか反発する気にもなれない。


 魂が抜けてしまった俺を見て、鈴音りんねはくすくすと笑っているが、そんなことはもうどうでもいい。無心のまま、ゾンビの足取りよろしく凪咲なぎさの後を追いかける。



「おいおい、やつれすぎじゃないか? これじゃあ、先が思いやられるぞ」

「……人に着替えろと言っておいて、自分は着替えないんだな」

「運動に関しては、からっきしでね。何事も適材適所と言うだろう?」

「俺も運動は苦手なんだけど?」

「おいおい、元バスケ部が何を言うんだか」



 なんで知ってるんだ? と思ったが、鈴音りんねには交換日記を読まれていたことを思い出す。この調子だと、俺が人並み以上には運動ができることを知っているだけではない。そのほかにも、俺のことなら色々と調べ上げていそうだ。


 そこで、俺と鈴音りんねがついて来ていないことに気が付いた凪咲なぎさが戻って来る。



「へぇ、バスケやってたんだ」

「まぁな」

「私の親友も中学時代やってたんだ~。いまはもう辞めちゃったけど、波ノ万江なみのまえ学園のエースって呼ばれてたほどだから、もしかしたら知り合いかもね!」

「……ふぅん」



 興味がない……とは言い切れなかった。


 凪咲なぎさの話に、ある人物が頭をよぎった。エースと呼ばれた人物。そして、俺がバスケを始めるきっかけでもあり、辞めるきっかけにもなった人物。だが、深入りすると面倒臭くなりそうで、これ以上の言及は避けることにした。




 *****




 向かった先は、第二十一号室。


 そこで俺たちを待っていたのは、壁じゅうに設置された電子機器と、部屋の中央に設置された数個のカプセルだった。カプセルは卵型で、成人が入って両手両足を広げてもまだ余裕がありそうな大きさ。各カプセルの前には、ゴーグルとヘルメットが一体となった被り物が設置してある。


 天井も高い空間で、見上げるとホログラム投影された地球を模した球体が浮かんでいる。そして、その周囲を人工衛星のアイコンが回っているが、恐らく〈アストラル・クレスト〉が所有する人工衛星のリアルタイムの位置を示したものなのだろう。さらにその隣には、人型を模した機体の三次元映像と、そのステータスを示すような文字列も投影されている。



「……すごいな」



 そう思わず口にしていた。眼前に広がる光景に、生気を失っていた俺も流石に目が覚める。圧倒されるような広さ。そして、一気に近未来に足を踏み入れたような感覚に、胸が高鳴り始める。



「人型の機体の3Dモデルが映し出されているだろう? あれが、〈リモートウォーカー〉。――宇宙空間での君の身体だ」

「置いてあるカプセルが操縦席ってことか?」

ではないけれどね。カプセル内では無重力が再現される」

「……じゃあ、実際に浮かびながら操作するってことか?」

「おっと、急に乗り気だな。やっぱ好きなんじゃないか。君もなんだな」

「……るせぇよ」



 とはいえ、目の前で実際に装置を見せられると、俄然興味が湧いて来るというものだ。自然と足はカプセルの方へと進む。


 そこでカプセルの異様さに気が付く。なんだか目の前の乳白色の塊が、対流しているようにも思えたからだ。不思議に思い、試しに触れてみれば、手がカプセルに沈み込む。驚いた俺は、慌てて手を引っ込めるが、なんとなれば目の前にあるのは固体ではない。いわば形状記憶された流体の塊だった。



「おっと。はやる気持ちも分かるが、ゴーグルと酸素マスクはしてからにしてくれよ」

「……!」

「その先は、君の宇宙だからな」



 はい、これ。と、凪咲なぎさに手渡されるゴーグルとマスク。


 そのまま凪咲なぎさは、てってってーと、もう一つのカプセルの元へと駆けて行くと、自分用のゴーグルとマスクを装着する。はたから見ると、ガスマスクをつけた特殊部隊のようにも思えて、不覚にもカッコいいと思ってしまう。が、凪咲なぎさのスタイルだから様になるのであって、人によってはダサくも見えるのかもしれない。



「じゃ、先に行って待ってるねー!」



 手を振る凪咲なぎさ。そのまま、カプセルに身を預けると、沈んでいくように姿を消した。その後、波紋と対流とで乳白色のカプセルの表面は揺蕩うが、しばらくすると卵のように凪いだ。


 先ほどまで騒がしかった凪咲なぎさが消え、静寂が訪れたことで、急に不安になってくる。この先の空間は、飛び込めば一人。重力もなければ、酸素もない。直径三メートル弱の牢獄に閉じ込められることになる。


 何か事故があったら? 声は聞こえるのか? 息ができなくなったら? そもそも入ったら戻って来ることはできるのか?



「なあ、これって安全なんだろうな?」

「せっかく乗り気になったと思ったのに、今度はなんだ? 忙しい奴だな」

「いや、そうじゃなくて……」

「何かあった時のための私だ。安全装置は二重三重にしてある。私も人殺しにはなりたくないからね」

「……」



 不安は残るが、自信たっぷりの表情に、俺はマスクとゴーグルをつける。すると、視界の端に満タンになっているゲージが出現した。おそらく、酸素の残量なのだろう。


 改めて、カプセルに触れる。はじめはゼリー状のものに触れているようなドロっとした感触を覚えるが、突っ込んだ手の先から空気に触れているのとほとんど変わらない感覚になっていく。それこそ、液体なのは境界面だけで、なかは空っぽなのではないかと。


 恐る恐るなかへと足を踏み入れる。やはり、はじめは液体のなかに入るような感覚。そして、カプセルに入り切ると、俺の身体はふわりと宙を浮いた。


 目の前に広がっているのは、どこまでも続く白い世界。


 確かここは、直径三メートル程度のカプセルだったはず。ところが、知覚器官は白一色の光景に誤認識を起こし始めた。ここは三メートルどころではない。一キロ、二キロ……いや、無限に続いているのかもしれない。そんなふうに、瞬時に認識が書き換えられた。




『――ようこそ』




 耳元に電子音によるアナウンスが響いた。かと思えば、無機質な数列が現れ、凄まじい速さで駆け抜けて行く。



『――システムの正常な作動を確認しました』

『――生体認証、奥宮おくみや日向ひなた

『――機体番号RW-AC-004との接続を開始します』



 ふと、宙を浮く感覚そのままに、両腕、両肩、両足が背後から固定される。動かそうと思っても身動きできない。いったいなにが起こっているのかと、思考を巡らせていると、目の前が徐々に溶暗して、やがて暗黒の世界に変わった。



『――触覚同期確認、正常』

『――動作同期確認、正常』

『――視覚同期確認、正常』



 いいや、全くの闇ではない。天は身も悶えるほどの黒だが、眼下に目をやれば冴え渡るほど鮮やかな色彩が広がっている。


 空だ。

 海だ。

 雲だ。



『――システム、オール・グリーン』



 そして、水平線は青く燃え上がっていた。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る