ヤドカリ王子の友達

花大猫

ヤドカリ王子の友達

 ヤドカリ王子はきょうもソロソロ、ソロソロ、と歩いています。


 深い緑色をした海の底は、いつもはとても暗いのですが、時たま、お日さまの光が差し込むと、ぼんやりまわりが見えてくることがあるのです。

 そんな時の海はたいそうきれいでした。光がまっすぐに海の底にまで届くと、辺りは淡いエメラルド色に変わります。銀色のお腹をした小アジの群れが、光の束をめぐるように泳いで行くのが見えますし、赤いサクラダイが小アジの群れを突っ切って泳いで行くのもよく見えます。白い砂地には大きなイソギンチャクがいて、紫色に光る手を何十本も、何百本も、ゆうらり、ゆうらりなびかせています。そうして、向こうにはピンク色の珊瑚の森がどこまでも続いているのです。

 けれども、それはほんの短い間だけのことでした。しばらくすると、お日さまの光は すうっと消えて、海はまた深い緑色に戻るのです。


 ヤドカリ王子はゆっくりゆっくり歩きます。

 ヤドカリ王子はとても小さいので、あんまり急いで歩くと、波に流されてしまいます。また、あんまり急いで歩くと、ウツボやウミヘビやイカに見つかって、食べられてしまいます。

 ヤドカリ王子は、もう長いこと、こうして一人で歩いていました。

 ヤドカリ王子はお友達を探しているのです。

 ヤドカリ王子にはお友達が一人もいません。

 だから、ヤドカリ王子は生まれ育った浅瀬の砂地を離れて、旅に出たのです。この広い海の中を、いっしょうけんめいに探して歩けば、いつかはお友達が見つかるに違いありません。

 旅は幾日も幾日も続きました。何人ものヤドカリに出会いました。小カニや小エビ、小鯛たちにも出会いました。けれども、誰ともお友達になれませんでした。なぜなら、言葉が全然通じなかったからです。

 カニにはカニの言葉が、鯛には鯛の言葉があって、ヤドカリ王子にはひとつも分かりません。同じ仲間のはずのヤドカリでさえ違う言葉を話していました。ヤドカリ王子が話し掛けても、みんな知らん顔で泳いで行ってしまうのです。

「さびしいなあ」

 ヤドカリ王子は呟きます。

「僕のお友達はどこにいるんだろう。あと、何日歩けば見つかるのかなあ」

 ヤドカリ王子は小さな赤いハサミで砂をかきわけながら、今日もゆっくりゆっくり歩いて行きます。


 ある日、久しぶりにお日さまの光が差しました。ヤドカリ王子はたいそう風変わりなヤドカリに出会いました。背中にしょっているのは普通の貝ではなく、透明な細長い筒状で、ぎゅうぎゅうに押し込んだ身体が丸見えになっています。

「こんにちは」

 ヤドカリ王子は挨拶しました。

「変わったおうちを持っていますね。どこで見つけたんですか? 僕はお友達を探しているんです。よかったらお友達になってくれませんか?」

 けれども相手のヤドカリは、黙ってこっちをにらんでいるばかりです。

「ああ、この人ともやっぱり言葉が通じないんだ」

 ヤドカリ王子はがっかりしました。その時、相手のヤドカリは、急にこちらへ向かって走って来ました。そして、背中にしょっていた透明な筒状の貝を思い切りヤドカリ王子の貝へぶつけたのです。

「痛い!」

 それはとても硬い貝でした。ヤドカリ王子の小さな薄い貝殻は真っ二つに割れてしまいました。ぶつかってきたヤドカリは、何も言わずに走って逃げて行きました。

「ひどいよ、ひどいよ」

 ヤドカリ王子は泣きべそをかきました。

「早く、早く、新しい貝殻を探さなくちゃ」

 ヤドカリ王子は壊れてしまった貝殻を捨てて、辺りを見回しました。裸になったしっぽが、水の流れでぐらぐらします。ヤドカリは背中の貝殻がないと、とても恐いのです。まっすぐに立っていられないほど恐いのです。

「あっ、いいものがあったぞ」

 すぐそばの岩陰に、さっきのヤドカリがしょっていたのとそっくり同じ、風変わりな透明な筒状の物が積み重なって落ちていました。

「とにかくここに入ろう」

 その風変わりな貝はつるつるしていてとても居心地が悪いのです。それにとても重くて、しょって歩くのにたいそう骨を折りました。それでもヤドカリ王子は我慢をしました。裸になる方がずっと恐かったからです。

 

 それからまた幾日も幾日も、重い透明な貝をしょって、ヤドカリ王子は歩き続けました。

 次にお日さまが差した時、また別のヤドカリに出会いました。まだ小さなヤドカリで、軽そうな小さな薄い貝殻をしょっています。ヤドカリ王子を見ると、嬉しそうに何か話し掛けて来ます。

 けれども何日も重い貝殻をしょっていたので、ヤドカリ王子はとても疲れていました。そして、小さなヤドカリの背中のきれいな貝殻を見ると、とても腹が立ちました。そこで、ヤドカリ王子は、背中の重くて硬い貝を思いきりぶつけてやりました。小さいヤドカリの貝殻は真っ二つに割れてしまいました。

「いい気味だ」

 ヤドカリ王子は走って逃げました。けれども、小さいヤドカリの泣き声が聞こえてくると、とても後悔しました。

「僕ったら、なんてことしちゃったんだろう。これから引き返して謝ろうかなあ」

 これども、振り返って見ると、小さいヤドカリの姿はどこにもありません。

「せっかくお友達になれたかもしれないのに。どうしてあんなことしたんだろう」

 ヤドカリ王子は重い貝殻をしょったまま泣きました。


 ある日、急に大波が起って、ヤドカリ王子はあっという間に流されてしまいました。急な波に目が回って、気を失ってしまいました。そうして気がつくと、あたりは真っ暗でした。

「ここはどこだろう。きっととても深いところまで流されたんだな」

 本当に真っ暗です。どうやら、お日さまの光も届かないほど深い海のようです。ヤドカリ王子は少し恐くなりました。

 けれども落ち着いて辺りをよく見ると、遠くの方でぼんやりと何かが光っています。

「あそこへ行ってみよう」

 ヤドカリ王子はぼんやりした光に向かって、ソロソロと歩いて行きました。

 長いこと歩いて近くまで来ると、光るものが何なのか、だんだん見えてきました。

 それはたいへんにたくさんの灯りでした。真っ暗な海の中、何千、何万もの灯りが、白く、黄色く、青白く、ついたり消えたりしています。

 よく見ると、それは何段も何段も、横向きに高く積み重ねられた丸い壷の集まりでした。一番上がどこまであるのか見当もつかないほどです。それぞれの壷には二つずつ、灯りがともっていました。

 ヤドカリ王子はぞおっと恐ろしくなりました。なぜってこの灯りは、ヤドカリたちが一番怖がっている、ウツボやウミヘビの恐ろしい眼にそっくりだったからです。

「あの壷の中には何か恐いものがいるぞ」

 見つからないうちに逃げようとしたその時、どこからか声が聞こえてきました。

「どうしたの? そこに誰かいるの?」

 歌うように優しい女の人の声です。

「誰かいるのなら、こっちへいらっしゃい」

 ヤドカリ王子は恐いのも忘れて、その声にうっとり聞き惚れていました。

「返事をしてくださらないの?」

「はい。ここです、ここです」

 ヤドカリ王子はうれしくてたまりません。

「あなたはどなたですか? 僕の言葉が分かりますか?」

「分かるわ。あたしはタコツボ姫。ここにはあたしたち、タコが住んでいるのよ。あなたはどなた?」

「僕はヤドカリ王子です」

「外にいらっしゃるの? あたしはこのタコツボの中よ」

「壷の中にいるんですか? でもどの壷に? たくさんありすぎてわからないや」

「一番上よ。右の端の一番上。よく見てごらんなさい」

 そういえば、右側のはるか上の方に、優しそうな水色の灯りが見えます。

 ヤドカリ王子はすっかり喜んで言いました。

「ああ、見えました。あれですね。あれがタコツボ姫ですね? 僕、言葉が通じる方に初めて会いました」

「あたしもよ」

「壷の中は全部、タコツボ姫の仲間でしょう? 誰とも話をしないんですか?」

「誰とも話をしないの。誰とも言葉が通じないのよ。あたしも初めのうちは、隣りの人や下の人に話し掛けてみたんだけど、誰も返事をしてくれないの」

「それじゃあ、僕とおんなじだ。タコツボ姫。僕とお友達になってください」

「いいわよ」

「タコツボ姫、お顔を見せて。そこから出てきて下さい」

「ダメなの。あたし、ここから出られないの。出たらきっと恐くて死んでしまうわ。あなたがここへ来てくださらない? ヤドカリ王子」

「いいですとも」

 そこでヤドカリ王子は壷の後ろ側に回って、一つずつ昇りはじめました。

 タコツボ姫の住んでいる壷は一番上にあります。とてもとても高いところにあるのです。いっしょうけんめいに昇ったのですが、少しも昇らないうちに、ヤドカリ王子はへとへとに疲れてしまいました。重たいピカピカの貝殻をしょっているからです。

 ヤドカリ王子は思い切って、貝殻を捨ててしまうことにしました。裸になるのは本当に恐ろしかったのですが、それ以上にタコツボ姫のそばへ行きたいと思ったからです。

「ヤドカリ王子、まだ来ないの?」

「もうすぐ行きますよ」

「ヤドカリ王子、今、どこ?」

「もうすぐですよ! もうすぐだから、待っていてくださいね」

 長い長い時間をかけて、ようやくヤドカリ王子は積み重ねた壷のてっぺんにたどり着きました。


「タコツボ姫!」

 ヤドカリ王子はうれしそうに呼びかけました。

「今、あなたの壷の真上にいますよ!どうやって入っていったらいいんですか?」

「そこから飛び降りて」

「飛び降りたら落っこちてしまいます」

「大丈夫。あたしが受け止めるわ。てっぺんから入り口側に向かって飛び降りて」

 見ると壷の中からピンク色の足が、何本も何本も出て来て、ゆらゆらヤドカリ王子を手招きしています。

「では、行きますよ。ちゃんと受け止めてくださいね」

「ええ、受け止めるわ」

 本当を言えば、ヤドカリ王子は飛び降りるのがとても恐かったのです。けれどもタコツボ姫の言葉を聞いて勇気が湧いてきました。そこで、壷の縁からえいやっ、と掛け声をかけて飛び降りました。すぐにタコツボ姫のピンク色の足が伸びてきて、ヤドカリ王子を優しく受け止めてくれました。ヤドカリ王子はタコツボ姫の柔らかい足でふんわり包まれました。とてもいい気持ちです。

「よく来てくれたわね。ヤドカリ王子」

「タコツボ姫、お招きいただいてありがとう」

 柔らかい足の向こうに、淡い水色の眼が輝いています。壷の中は暗いのでタコツボ姫の顔はよく見えませんが、水色の眼はとても優しそうに見えました。

「これからはここで仲良く暮らしましょう」

「いいですとも」

「あたしたち、お友達ね」

「僕たちはお友達ですよ!」

 すべすべした壷の中は、とても清潔で広々としています。ヤドカリ王子はタコツボ姫のピンク色の足の一本に、ゆったりともたれて座りました。そして、二人とも、その夜、遅くまでおしゃべりをしました。


 四、五日経って、ヤドカリ王子はタコツボ姫が大きなため息をつくのを聞きました。

「タコツボ姫、どうしたんですか?」

「なんでもないわ」

「なんだか、とても心配そうですよ」

「そうかしら」

「話してください。僕たち、お友達でしょう」

 タコツボ姫はしばらく黙っていましたが、思い切ったようにこう言いました。

「ああ、どうしましょう、ヤドカリ王子、あたし、あなたを食べてしまいたいの」

「なんですって?」

「あたしたち、タコはヤドカリが大好きなのよ」

「そうだったんですか」

「あなたはとてもいいにおいがするのよ!」

 タコツボ姫の足がヤドカリ王子の体に何本も何本もからみつきます。そうして、すぐ間近に、タコツボ姫の大きな口が迫っています。

「やっぱりお友達になるのは無理だったんだなあ」

 ヤドカリ王子は悲しく思いました。それに恐ろしくも思いました。だってこれまではとても優しかったタコツボ姫の水色の眼が、今は不気味に青白く光っているのです。けれども、今までタコツボ姫に優しくしてもらったことや、この壷の中で楽しく過ごしたことなどを思い出して、こう言いました。

「いいですよ、タコツボ姫、僕を食べてください」

「いいの?」

「構いません。これまで親切にしてくれてどうもありがとう」

 ヤドカリ王子は目を閉じて、体の力をぬきました。

「ダメよ、あなたを食べるなんて、できないわ」

 タコツボ姫は悲しそうに叫ぶと、足をヤドカリ王子から放しました。

 二人はその夜もおしゃべりをして過ごしました。


 ある日、タコツボ姫はとうとうヤドカリ王子を食べてしまいました。

 ヤドカリ王子は眠っていました。タコツボ姫はそうっとヤドカリ王子を抱き上げると、パッと口に中へほうり込みました。

 ヤドカリ王子はタコツボ姫の口の中で目を覚ましました。ヤドカリ王子の小さなハサミはすでにくだけていましたし、短いしっぽもすぐにちぎれてしまいました。

「ああ、僕はこうやって死ぬんだなあ」

 体がパリパリ、パリパリと砕ける音をぼんやりと聞きながら、ヤドカリ王子は考えていました。

 ヤドカリ王子をすっかり食べてしまうと、タコツボ姫は、ふうっと大きなため息をつきました。そうして、水色の眼から、ポロリと涙をこぼしました。

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