最終話

「ほら、いつまで寝てるの。早く起きなさい」


 うるさい目覚まし時計と、聞き慣れたうるさい声が、わたしの意識を引き上げた。

 冷たいアスファルトの上ではなく、あたたかい布団と柔らかな朝日の中だと分かる。目を開けると、ママが覗き込んでいるのが分かった。いつもの眉間のシワは見当たらない。

 すっかり目が覚めたわたしは、ママに抱きついた。


「どうしたの、急に」

「ちょっと、怖い夢を見ただけ。しばらくこうさせて」


 そうお願いするとママは何も言わず、わたしを強く抱きしめてくれた。こうするのはいつぶりだろうか。

 ママがこんなに柔らかくてあたたかいなんて、知らなかった。もっと前からこうしていればよかったと思う。こうしていたかったと思う。


 しばらく抱き合って満足すると、もういいよと言って、わたしから離れた。

 ご飯できてるから、早く準備しなさいね、といつになく優しい口調でそう言って、ママは出ていった。


 夢だった。ちょっとどころじゃない、とても悪い夢だったのだ。


 身支度を整えてからリビングに行くと、あたたかい朝食の場が待っていた。時間にもゆとりがあったし、いつも以上にパパやママと喋った気がする。パパが次の連休で休みが取れそうだとか、今度の週末どこに行くかとか、そんな話をした。

 テストの点数や、受験の話は一回もしなかった。


 そうしてまったりと過ごしていると、インターホンが鳴った。ママが出ると、インターホンから元気な二人組の声が、モーちゃん、と揃って呼んでいるのが聞こえてきた。


「モーちゃん、お友だちが来たわよ。さ、行きなさい」


 わたしは頷き、ランドセルを背負って玄関で靴を履いた。今日はママが、玄関まで見送りに来てくれた。


「それじゃあ、いってきます」

「いってらっしゃい、気を付けてね」


 ドアを開けると、二人の友だちが待っていた。


「おはよう」

「今日、日直でしょ? 早く行こ」


 わたしは走り出す二人の後ろについていった。


「シルバニアファミリーのお家、買ってもらったよ!」

「いいなあ! ウチのママ買ってくれないよ。みんな持ってるって言ってんのに、全然信じてくれないの」

「アンタいつもそう言ってるじゃん。たまには違うお願いの仕方覚えたら?」

「遊んでばかりじゃないって見せつけてやればいけるよ。ウチはそれで買ってもらえたし」


 なんてことのないことをたくさんお喋りしながら、学校へと向かった。

 そこでも、塾やテストの話はしなかった。


 とても、満たされた朝だった。朝日で満ちて、街がとてもキラキラしていた。



「わたしの箱庭、気にいった?」



 空から声が聞こえてきた。誰の声なのか、分からない。



「あなたたちが大好きだったもの全部、箱庭に入れてみたの。気に入ってくれた? みんな一緒なら、寂しくないよね」



 突如地面に大きな影が、差し込んだ。夜が来たのかと思ったが、そうではなかった。それは大きな手のひらのようだ。



「さよなら。わたしはみんな、大嫌いだった」



 声が響くと、空の黒が落ちてきた。

 それから音もなく世界が崩れ、本当の暗闇がやってきた。

 白になりゆく世界で、わたしが見つけたお気に入りの箱庭と、ここに来る前、最後に聞いた言葉を思い出した。



 ――こちらにおいで。大事なものは全部、わたしが箱庭に入れてあげる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

わたしの箱庭 鬼灯 アマネ @Gerbera09

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ