変面自在

伊地知 和義

第1話 藤代大智

 ――とある街の入り組んだ裏路地、その奥に寂れた扉が一つある

 一見するとただの廃墟だが、よく見てみるとその扉の上には『面屋』と消えかかった文字で書かれた看板があった





 日が高く登った正午、学校の門から沢山の学生が出て行っている

 その中でも我先にと勢いよく自転車を漕いで校門を出て行く少年がいた


「クソ、早くしないと売り切れる!せっかく午前授業で終わりの日なのに、このチャンスを逃してたまるか!」


 そう言って自転車を立って漕ぎ目的地へと向かう少年は、赤信号と睨み合いをしながら横断歩道の前で急ブレーキをする

(早く青になれ)と心の中で何度も呟きながら片方の足をペダルにかけ、もう片方の足は地面につけている

 信号が青になった瞬間思い切り足に力を込めてペダルを漕ぎ、あっという間に勢いをつける



 そうしてしばらく額に汗を滲ませながら自転車を漕ぐと、目的地に着いた少年は店の横に自転車を停めて中へと入る。

 店の中へ入ると香ばしい焼いたパンの匂いに鼻をくすぐられる

 中はお昼時のためたくさん人がおり、そう狭くない店内が窮屈に感じられた

 少年は中に入るや否や店の中を見回して目当ての物を見つける

『平日限定商品!!※お一人様1つまで』と書いてある紙の下のトレーには残り少なくなったパンが並べられていた

 少年は入口の隣にあるトレーとトングを持って、人にぶつからないように急ぎ足で商品のもとへ向かう


「危ねー、ギリギリセーフ!」


 そう言って少年はトングで残り少なくなったメロンパンの一つを取って自分の片手に持つトレーへと乗せる

 他にも何個かパンをトレーへと乗せた後にレジへと向かい、会計をする


「お、大ちゃんじゃないか。どうやら今日は間に合ったみたいだね」


 レジを打つ小太りの女性店員に話しかけられる

 少年、大智は息を吐いて言葉を返す


「はぁ……ホント大変でしたよ。なんせ今回は赤信号に三回も捕まって、間に合うかどうか不安でしたけどギリギリ間に合って良かったです」


「そうかいそうかい、この前来た時は汗でびしょ濡れになりながら来たってのにとっくに売り切れちまってたからね。今日は私も嬉しい気分だよ」


 そう言って店員は笑みを浮かべながら「はいこれ」と言って商品の入ったビニール袋を手渡してくる

 それを会釈して受け取り、軽く手を振って大智は店の外へと出る


「さて何ヶ月ぶりに食べるかな、前回のテスト期間は全敗だったし……半年ぶりとかか」


 そう呟いて大智は待ちきれないと言わんばかりにビニール袋の中に手を入れてメロンパンの入った紙袋を取り出す

 包装を取ると、ほんのりと甘い匂いと香ばしい香りがして食欲を掻き立てる


「いただきます」


 そう少年が口を開けてメロンパンを噛もうとするが、何も起こらない

「カチッ」という音を立てて空気を噛んだ大智は、本来あるはずだった味、食感、風味それらが無いことに疑問を浮かべながらようやく起きた事象に気付く


「え、アレ?俺のメロンパンが……ない」


 少年はどうしてこうなったのか理解の追いつかない様子で必死に状況を飲み込もうとするが

 こんがらがった頭ではそれも難しい


(あれ、もしかして美味すぎて一瞬で食べた?いやいや、そんなはずは……って)


「あ!!」


 大智が思考を、視界を巡らせていると答えが見つかる

 目の前に先程自分が食べる筈だったメロンパンが黒い猫の口に嵌っていた


 まるで時が一瞬止まったかのようにしばらくお互いに見つめ合った大智と猫だったが、その止まった時間を再び動かしたのは大智の声であった


「お前……よくも、よくも楽しみにしていた俺のメロンパンを奪いやがったな!!」


 その大きな声からは楽しみにしていたものを台無しにされた怒りが込められていた

 大智は残りのパンが入ったビニール袋を自転車のカゴに放り込むと、その場に自転車を置いたまま黒い猫の方へと勢いよく駆け出す


 猫はすぐさまそれに反応しパンを口に咥えたまま走る

 当然猫の足に人間が叶うはずもなく、しばらく追ったところで人の敷地に入って猫が逃げるのを見て仕方なく諦める


「はぁ……最悪」


 そう呟いて彼は自転車の方へ戻ると帰路につく


「美味い……」


 萎れた心を慰めるべく他の購入したパンを食べながら










「――って事が昨日あってさ……ホント最悪だわ」


 机に突っ伏した大智が嘆息する

 無理もない、半年お預け状態でやっと味わえるとなった所を横取りされたとあっては誰でもこうなるだろう


「あー、なんかそれはドンマイ……」


「圭、お前絶対それ思ってないだろ」


 心にも思っていない同情の言葉に対してぴしゃりと返す

 前の椅子に後ろ向きで座ってこちらを見る少年、圭は幼馴染である

 何だかんだ腐れ縁であり小学から高校まで同じ、もはや仲が良いとか悪いとかそういう次元ではないのだ


「いやいや、俺は大智と違って猫派なんだよ」


「お前は俺と猫どっちの味方だっつーの」


 圭の放った言葉に頭を搔く大智はやれやれと言わんばかりにため息をつく

 他愛も無い会話を二人がしているところにふと一つの人影がやってくる


「へー、大智くんて猫嫌いなんだ?」


 そう言って会話に割り込んだのは、腰あたりまで髪を下ろした整った顔立ちの少女

 少女は背中の後ろで手を組んでこちらを覗いてくる

 その顔はにこやかでとても愛らしい


 いきなり会話に割り込んできた彼女に大智は一瞬動揺しつつも、その問いに言葉を返そうとする


「えっと、俺は別に猫を嫌いとは言ってな……」


「そーなんすよ倉田さん、こいつ昨日楽しみにしてたメロンパ……っ!」


 ニヤニヤしながら事情を説明し始めた圭が苦悶の声を漏らす

 己の醜態を彼女にバラされそうになったため大智が慌てて圭の脛を軽く足で蹴って黙らせた


「いってえー、お前いきなりなにすんだよ!?」


「うわっ、ビックリした。なになに?どうしたの三浦くん」


 圭が声を上げて立ち上がったのに倉田さんが驚いた後に、一人だけ起きた事に追いつかず首を傾げる

 その時チャイムが鳴り、学生達がぞろぞろと教室を出て行きだした

 チャンスと言わんばかりに大智はカバンを持って席を立つと


「倉田さん、じゃあまた」


 と挨拶をして逃げるように教室から出て行った


「あ、うん……?じゃあね!」


 一瞬戸惑った後にそう言いながら彼女は大智の方へと手を振る

 大智が見えなくなったあたりで手を止めて、カバンを持ち上げると


「さて私も帰ろうっと。あ、三浦くん大丈夫?」


「まあそんな大したことないから大丈夫っす」


 心配そうにこちらを見てくる彼女にスカした態度で圭は答えるが、実際のところ加減されていたので大したことは無い

 痛みと言うよりは脛を蹴られた事に反射で声を上げてしまったのだ


「そっか、そういえば大智くんが楽しみにしてたモノがどうしたの?」


 彼女が興味ありげに聞いてくるのを見て圭はどうしたものかと困る

 だが一瞬考えた後に、ここでそれを言うと後で大智に怒られそうなので適当にはぐらかす


「い、いやー?別に大したことないっすよ。なんでもないっす」


「本当に?まあいいや、私も用事があるから帰らなくちゃ。じゃあね三浦くん」


 薄く笑って彼女が教室の外へ出ていくのを圭は呆けたように見ている

 しばらくしてハッとすると首を振りかぶり意識を呼び戻す


「は、はは……やっぱ俺だけ下の名前じゃない……」


 どこか悲しげな顔で呟いた圭は、先程蹴られた脛をさすって大したことが無いのを確認すると歩き出した


「三浦、鍵」


 その声を聞いて周りに人が居ないか確認する、が教室にはもう自分しか残っていないため自分に対して言っているのだと理解する


「あ、俺ですか?」


 声の主である担任の教師が早くしろと言わんばかりに片手に持った鍵を示しながら睨みつけてくる

 圭は「はい……」と力なく返事をして渋々鍵を受け取り教室に鍵を掛ける


「なんか疲れたな、帰って寝よう」


 そう口の中で呟く彼は息を吐いて空を仰ぐ






「しっかし圭の奴、倉田さんの前で恥ずかしい事バラそうとすんじゃねえよまったく。それに加減はしたけどあんくらいで騒ぐこともないだろ……ん?」


 大智が悪態をつきながら自転車を漕いでいると目の前に黒い物体……ではなく黒い猫が道の真ん中で居座っているのを見る

 目を凝らして観察し確信する


(間違いない、昨日の猫だ)


 段々と近付いてくる大智に怯む様子もなく黒い猫はこちらを見つめてくる


「誘ってるのかコイツ?」


 その猫の毅然とした態度にやってやろうじゃないかと大智もその気になる

 しかし彼も動物を痛めつけるような外道では無い。ボコボコにしようという訳ではなくちょっと仕返しにイタズラを仕掛けてやろうという程度だ


 そうして距離が5メートル程近付いたところで猫が建物と建物の隙間に消える

 大智は自転車を道端に停めて猫が消えた先を確認する

 あるのは薄暗い裏路地のみ


「自分から行き止まりに行くなんて、バカだな」


 フンと鼻を鳴らして路地へと大智も姿を消して行く

 しかし直ぐに猫を見つけられるだろうと思っていた大智だが、以外にも複雑になっている路地に少々驚く


 しばらく進んだところでようやく行き止まりに辿り着いたが、あの黒い猫はどこにも見当たらない

 あるのはただ、薄気味悪い奥の扉だけ

 廃墟にも思えたそれは、良く目を凝らしてみると扉の上に看板がある


(なんだろう、『面屋』……?って書いてあるし何かの店?)


 大智は怪訝そうに扉の方を見つめる

 しかしこうして立ち止まっていては猫を見つけられない

 だが段々と薄気味悪くなってきた大智はどうしたものかと興味と不安に駆られながら思考を巡らせた後、一歩踏み出した


 まだ日中だと言うのにその裏路地は薄暗く、大智の額を冷や汗が伝う

 一歩を踏み出す度に聞こえる自分の足音が、何故か段々と大きくなっているように思えてくる

 ようやく辿り着いた大智は扉の一歩手前で止まる


(多分大丈夫だ、どうせ何も無い……)


 大智は唾を飲み込んで目の前の扉に対峙する

 深呼吸して息を整えた後、覚悟が決まったのか扉に手をかける


「3……2……1、おらぁ!」


 そして大智は扉を思い切り開いた




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変面自在 伊地知 和義 @kazuyosi220

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