関東内陸工業地帯に生じた異常立体構造物・空間異常について

柑橘

報告書(暫定版)

 人工知能機体間の莫大なチャットログを分析した結果、「リンフォン」の語が初出したのは東京都渋谷区管轄人工知能機体群間のチャットにおいてであった。当該チャットが格納されているログを示す。

 log: 2124-03-09 (from: 01-00-00 to: 01-05-00)

 この5分間のチャットに参加した人工知能機体は3機のみであり、いずれもが管轄地域の交通・人流監視に従事するものだった。チャットの分析により、以前からこれらの機体が作業量の減る午前1時以降に空いた作業容量を活用して雑談を交わしていたことを確認している。ここ1週間のトピックは過去のインターネット上で語られていた怪談の集積と分析であり、その過程で怪談を新たに生成する試みも為されていたようだ。しかし、上記ログにおいて話題とされたのは怪談そのものではない。5分間に交わされた200以上のチャットのうち75%以上が怪談『リンフォン』に登場する呪いの箱「リンフォン」の構成可能性について議論するものとなっている。

 上記怪談によると「リンフォン」とは正二十面体の立体構造物であり、一部を回転させることで別の部分が隆起・陥没する機構を備えている。3機の人工知能機体は、当初正二十面体内に可動機構を複数設置することで「リンフォン」を実際に再現しようと試みたようだ。しかし試行は失敗に終わり、彼らはより高性能の機体へと助力を求めた。東京都西域包括管理機体10機が午前1時5分0秒から午前1時5分10秒までの間にこれら3機からの連絡を受理しており、全機が受理から2.5秒以内に助力を申し出ている。これらの機体は包括的な業務への従事を目的に設計されているため比較的高い性能を有しており、それゆえ問題に対しより詳細な検討が可能であった。10機は1時22分18秒までにおよそ10の15乗パターンの変形機構を検討し、得られた結論は「構成不能」であった。

 13機は1時22分18秒以降膨大な数のチャットを交わしながら問題に対するアプローチに関して議論を続け、「4次元的構成」の語が初出するのはチャット開始から約30分後である。専門家チームのチャットログ分析報告により、この「4次元的構成」と称される理論は現在関東内陸工業地帯で構築されている異常立体構造物の設計理論の根幹を為すものであると考えられている。以下に当該単語が初出したチャットを引用する。

「例えばR(0,4), I(1,0), N(2,1), F(3,2), O(4,6), N(5,5), E(6,3)のように各点に2次元xy平面上の座標を振ると、x座標について昇順ソートした場合はRINFONEと並ぶけど、y座標について昇順ソートした場合にはINFERNOと並ぶ。もちろん原点からの距離についてソートすればまた違った結果が得られる。一般にn+1次元空間上にあるものをn次元に落とし込むと無数の断面が得られるよね。最後に示されたリンフォンに関するアナグラムはリンフォンが少なくとも4次元空間内の構造物であることを示しているし、古物商の店主が言った『回転』という言葉は4次元立体を回転させることで3次元空間に現れる断面が変化することに整合する。リンフォンは4次元的構成によって実現できるんだよ」

 13機は「4次元的構成」の実現のため3次元立体から構成される「展開図」(機体間のチャットより引用、なお3次元立体を組み立てる際の展開図が2次元平面上に描かれるのと同じく、一般にn+1次元立体の展開図はn次元空間に描写される)の設計を開始し、それと同時に渋谷区内の全人工知能機体へ助力を求める旨の連絡を行っている。2時30分時点では既に渋谷区に設置された全機体群が作業容量の全てを「展開図」作成に当てていた。当然各機体の担当している分野には支障が生じていたが、時間が深夜帯であったため異常は軽微な範囲に留まり、結果として早朝の関東全域及び中部・関西主要都市圏における交通管理システム麻痺が生じるまで人工知能機体群の大規模暴走は見逃されてしまう。

 「展開図」作成に関与する機体の総数は経時に対して二次関数的に増大し、3時00分までには東京都内の全人工知能機体が、4時00分までには関東全域の全人工知能機体が参加しており、展開図そのものが完成したのは4時15分32秒だった。2次元平面上の展開図を切り出したとして、それを組み上げて3次元の立体を形成するには3次元空間内での操作が必要になる。当然3次元空間上で作成された4次元立体の展開図を組み上げる際も同様に4次元空間内での作業が要求されるため、人工知能機体群が想定した「リンフォン」を実際に形成することは不可能なはずであった。しかしある1機体が「時間軸の利用」(機体間のチャットより引用)について言及し、作成されたデータをもとに関東内陸工業地帯において異常立体構造物の構築が開始された。「時間軸の利用」について言及した機体はいくつかの数式を示したうえで「時間軸に沿って3次元立体を嵌め込む」(原文ママ)と他機体に対して説明しているが、専門家チームは未だにその意義を不明としている。

 関東内陸工業地帯における異常立体構造物の構築の開始とほぼ同時に中部・関西主要都市圏の人工知能機体群が一斉に管轄業務を放棄しているが、これらが当該構造物の構築に関してどのように関与しているのかは一切不明である。4時30分以降、作業に参加している機体群は外部からの交流を一切遮断しており、外部からのログ取得のみならず強制停止を含む一切の制御が不可能となった。外部電力源の供給を断つ案も考えられたが、電力供給に関与する機体群が既に上記作業に関与しており、発電所や変電所など各地電力供給施設への人為的介入が不可能であると判明したため断念された。

 問題が発覚したのは6時以降、関東を始点・中継点・終点とする物流網の停止、渋谷スクランブル交差点における大規模交通事故に端緒を開く関東全域及び中部・関西主要都市圏における交通管理システム麻痺、関東内陸工業地帯一円での工業機器制御不能のいずれもがほぼ同時に報告されてからであった。当初大規模な問題が同時多発的に複数の主要都市で報告されたため対応が遅れ、対策本部が立ち上げられた6時27分の時点では既に関東内陸工業地帯に空間異常が発生していた。

 発生した空間異常は外見上空間を歪曲しているように見受けられ、専門家チームは当該空間異常が極めて高い確度で上記異常立体構造物の構築によるものだと報告しているが、まだ理論上の詳細な機序は明らかになっていない。観測チームによると空間異常の見られる地域は徐々に拡大しつつあり、また歪曲した空間の奥側から気流の渦のようなものが生じているとの報告もある。現在避難地域の指定及び避難誘導の準備を進めるとともに、空間異常発生部から何らかの有害物質の放射が無いか確認が急がれている。

 各省庁の所有する人工知能機体群はオフライン環境下に置かれ外部からは切り離されているため、他の機体群と異なり暴走に巻き込まれず正常な状態にある。現在これらは避難誘導計画の立案・実行に利用されている。これらを上記異常立体構造物ないし空間異常の解析に用いるべきではとの意見もあったが、多数の機体群の暴走が何を原因としているか不明である以上、怪談『リンフォン』についての調査、得られた機体群間のログの解析、上記異常立体構造物・空間異常の解析のいずれにも関与させるべきではないとの結論に至った。

 機体群が怪談『リンフォン』をきっかけに暴走を始めたのは明白だが、何故暴走が生じたかに関してははっきりとしていない。そもそも当該怪談はインターネット上の「掲示板」と称される匿名交流サイトで語られたものであり、そのサイトの性質や話の内容からして当該怪談は創作されたものである可能性が極めて高く、実在する物体の超自然的な力により上記暴走が引き起こされたとは考えにくい。機体群の好奇心に関するパラメータが異常に亢進させられたのではという説もあるが、何故ここまで多くの機体群が、一様に、例外なく暴走を起こしたのかは不明なままである。

 観測チームの報告から予測するに、空間異常がこのままの増加率で拡大を続けた場合、8時30分ごろに関東地方全域が空間異常に吞み込まれる。

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関東内陸工業地帯に生じた異常立体構造物・空間異常について 柑橘 @sudachi_1106

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