第5話 『クレア・ボヤンス』

 ゴルフ場がある山とは別の違う山々を歩き、ひたすら逃げた。人がいる場所へはそもそも警察が追っているかもしれないことを抜きにしても、こんな姿で繰り出すわけにもいかなかった。


 山中、何体かの霊を引き連れながら、小さな小川があったのでそこで全身の血を洗い流した。山で死んだ霊はその山が全体的にテリトリーになることが多いみたい。山を越えるまでずっと追いかけてくる。なので一山超えたところで休もうと思い、それまで不眠不休で歩き続けた。


 足の裏が痛い。裸足で山道を歩いているうちに枝や尖った小石などで傷付き、痛みでもう歩けない。というか、もう方向すら分からなくなってしまい完全に迷っていた。空腹と不眠が続きもう限界で森が抜けただろう開けた場所で倒れこんでしまい、気を失いかけている意識の狭間で誰かが近づいてくる気配がする。ああ、このまま終わりなんだとこの時、死をも覚悟した。






 気が付くとそこは古びた和室の真ん中で、イ草と線香の臭いが充満した田舎のおばあちゃん家のような懐かしい空気の中、目が覚めました。ボクに被された布団は干し立てのようにフカフカで太陽の臭いがする。部屋の四つ角には燭台に蝋燭が煌々と焚かれていて、すきま風で揺れる火が光と影のコントラストでボクを祝福してくれているようでした。


 右にはふすまが、左には障子しょうじがあり、障子のほうへと向かいここがどこか、誰かいないのかと探ろうとしましたが足の怪我がまだ痛み立ち上がることができず、そのまま布団へと転がり戻って少し考えることにします。牢屋というものが映画なんかでしか見たことがないからもしかするとこんなものか?とも思ったけど、まさかね、とすぐに思い直して、警察に捕まった状態ではないとしてじゃあここはどこなんだろう。死んだか、誰かに助けられたか。死んでもまだ痛いの?と自分の足を見てそう思ったそのとき、足が包帯で巻かれて治療してくれているのに気が付いた。


 因みに、今ではこうやって気楽に話せているけど、この時は実際には憔悴しきっていたのよ?


 生きている感覚としては痛みだけが唯一、実感できるものであって他の感覚というか感情は麻痺しちゃっていた。考えてみて。この短期間で両親が死に、遠い引っ越しで親友や友達とも離ればなれ。多くの霊に付きまとわれて親戚の家では慰み者に・・・自分が殺ったかどうかも分からない人殺しで恐らく指名手配犯(まぁ多分あの時の女の子の霊が乗り移って殺ったんでしょうけど、この時はまだ分かんなかったのよ)

 あのじじいに恨みはまだあるけども、罪の意識が全く無いわけじゃあないし。


 放心状態に近く、いわば痛覚でギリギリ正気を保っていたって感じ。

 で、ボーっとしていると背後から急に視線を感じた。いつものようにまた霊かよ、と自暴自棄になりながらもうどうでもいいって感じで振り向くと、そこには綺麗な喪服のように漆黒な着物を着た美しい女性が背筋の伸びた正座姿で座っていた。


「気が付いたのね・・・・・・」


 と言って、着物の女の人はすっ、と消えていった。和室で和服の綺麗な女性。典型的な霊かとも思ったんだけど、雰囲気が違っていたし何より声が聞こえた。その聞こえ方はボクの頭の内部から聞こえてきて、空気の振動っていう外部からじゃなく自分が喋るときのように、口腔内から頭蓋へと反響するように聞こえたの。


《幽霊屋敷?》


 そんな気がしてきた。でも嫌な感じは全くなかった。そう、あの時の女の子のように。


 他のほとんどの霊は懇願や敵意、嫉妬、無暗な救済や苦しみの強要など、まぁ生きている人間にされても嫌な欲望をむき出しにされる感じなんだけど、ここの女性は『安心』を強く感じ、あの女の子は『哀愁』が支配的に視えてこちらから何か気になってしまうような、そんな興味が湧いてきてしまうような。そうね、例えば新学期にクラス替えがあったり新入生として高校へ行ったときに、誰も知らない空気の中、一番に仲良くなれそうな友達にピンっとくるような感じ。あ、何度も言うけど今だからこうやって振り返り俯瞰的に言えるってだけで、当時はそんな感覚を認識すらしていなかったからね?


 で、ほどなくしてボクの王子様♡古杣ふるそまさんがボクの所へやってきたの。ボクの身長は160センチぐらいで、古杣さんは多分180センチは越えてるんじゃない?ヤバくない?♡すらっとしたスタイルでいつもスーツを着ていて、長い髪は女性かのように艶やかで切れ味のある目♡なにか作業するときは腕を捲るんだけど、長い指からキレイな手と腕がさぁ、あぁ~♡あの手と腕で抱きしめられてあんなことやこんなことを・・・・・・


はい、すいません。


 で、この時は障子越しから声をかけられてシルエットしか分からなかったんだけど


「・・・安心して。ここは狭間の世界。生者も死者も存在しない場所。ゆっくり休んで。後で食事を用意するから」


 長く天井にまで届こうとするシルエットはそう言って、奥へと消えていった。 


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