ネコノハコ
葎屋敷
猫野葉子
「森崎さん、やっぱり彼は彼女を殺したんですよ」
そう切り出したのは、女子大生ながらにして探偵業を営んでいる猫野葉子だった。彼女は事件の現場に居合わせることがよくあり、俺は内心こいつのことを死神と呼んでいた。一課ないし俺の仕事が増えているのはこいつのせいに違いない。
「お前、いい加減現場から出てけや。一般人だろうが」
「やだ、森崎さん。そんなこと言ってると、父に言いつけますよ」
「そのお父上から、今度娘が現場に来たら追い出すようにって言われてんだよ」
「あら、部下にそんなこと頼むなんて、お父様ったら反抗期」
葉子は軽口を吐いて、やはり現場に居座り続ける。俺は彼女の首根っこを猫のそれを掴むように引っ張って、無理やり現場から遠ざけた。
*
そも、葉子は俺の直属の上司にして刑事部捜査第一課の警部、貓野陽輔のひとり娘だ。小さい頃は一課によく顔を出していたらしい。そのせいか、籠絡したオッサンの数は計り知れず、同じ一課のみならず二課三課の九割が葉子に甘い。例えば、こうして女子大生探偵を名乗って現場で口を出しても、とがめられない程度には甘い。
さらに奴はすでに鑑識の奴らの心も掌握しており、もはや奴を制止するのは俺と彼女の父である貓野警部以外にいない。しかも、妙に鋭い意見を言ったり、真相を真っ先に言い当てるからタチが悪かった。
「漫画だと探偵が現場ウロウロしてたりするが、普通にダメなんだ……。なのに葉子は私の言うことなど聴きやしない。家で飼ってる貓の鳴き声の方のが、余程耳を傾ける」
酒の席でそう憂いていた警部のことを、俺だけは忘れまい。たとえ他の連中がどれだけ奴をひいきにしたとしても、だ。
確かに、葉子は可愛らしいショートカットにすらりとした細身で、ちやほやする気持ちもわからんでもない。
俺だって、「はじめまして、森崎さん。父から聞いてます。私、猫野葉子といいます。葉の子と書くんですよ?」と微笑まれたとき、好印象だったことを否定はしない。
だが、その後か最悪だった。奴は何度も現場を掻き回し、難事件をさらりと解決し、その報酬として何度も奢らせた。せめて父親にたかればいいものを、こいつはいつも俺に奢らせた。なんなら事件を解決しなくても街中で会ったら奢らされる。
今日こそは奢らされてなるものか。そう思い、俺は葉子を先ほどからいる駅の外に追い出した。
駅の外にはテープが張られ、俺たちがいる胡羽野市駅は一部封鎖されている。人が死んだからだ。しかも最初は殺人事件かと疑われたため、俺たちが呼ばれた。
人だかりの目を避けるように、俺たちは柱の陰で押し問答をする。
「帰れ」
「いやです」
「かーえーれー」
「田上さんを調べるまで帰りません」
「そもそも、なんでお前がここにいるんだ」
「ガイシャの……沖田さんって、私の依頼人だったんです。愛猫がいなくなったから探してほしいって。そこでわかったことがあったから、報告しようと思って、なんなら仕事場まで一緒に行こうと思って追いかけてきたんです。遅かったけど」
「ちっ、探偵の仕事かよ……」
葉子は父親の影響か、はたまたドラマの影響か、女子大生と探偵の二足のわらじを履いている。これがまた、子どものままごとだろうと思ったが、思いの外評判がいいらしい。特に猫の捜索についてはピカイチだという。
が、猫の捜索の腕が事件現場に入り込んでいい理由にはならない。
「依頼人は死んだ。もう一緒に仕事場にも行けないわけだろ、帰れ」
「いや、田上さんを徹底的に調べるべきです」
「……あのな、葉子。確かに田上は彼女の元彼でストーカー野郎だった。しかし、事故の様子はホームの防犯カメラに映ってたんだ。奴は手を出していない」
話にあがっているのは、二時間前にこの駅のホームから転落した沖田という女性と、その元彼である田上のことだった。
事故の経緯はこうだ。
沖田は通勤のために電車を利用しており、ホームの先頭に立っていた。他方、田上は彼女の後ろに並んでいた。半年前に別れた彼女へ復縁を迫るため、プレゼントを用意して立っていたという。
田上は彼女に後ろから話しかけ、彼女が振り返ると同時に箱の中身を見せる。
すると、田上に驚いた彼女は悲鳴をあげながら後ろへ仰け反り、後退し、そのままホームから転落した。
次の瞬間、ホームはそれまでの彼女と同じく並んでいた客の悲鳴、そして飛び散った肉の音、電車にすり潰され折れていく骨の音で地獄のコンサート会場と化したという。ホームには転落防止のゲートは設置されていなかった。
田上は現場の悲惨さと混乱で逃げたし駅のトイレに籠った。もっとも、トイレに駆け込む様子を見ていた駅員がトイレから出てくる奴を待っていたら、十分もせずに出てきたという。気持ち悪くなったから、吐いただけらしい。目の前で人が死ねば無理もないだろう。
素直にこちらの質問に答える奴が持っていた箱の中身を見ると、至って平凡なピンクのマフラーが入っていた。それを知った時、監視カメラの映像を見ながら、彼女の反応がやけにオーバーだと思ったのを覚えている。田上曰く、普段からリアクションの大きい人だったそうだ。
「確かに田上がいなけりゃ、と思うさ。だが、奴がやったことはただのサプライズプレゼント。通常、マフラーをプレゼントしたからといって、ホームに落ちるほど人は驚かねぇ。ストーカーと言っても、しつこく復縁を持ちかけてただけだ。これじゃあ故意も認められねぇだろうし、因果関係もきちぃな、こりゃあ。立件できねぇよ」
被害者遺族の気持ちを思えば田上をブタ箱に入れてやりたいが、それも難しいだろう。田上も悪意はなかっただろうし、これはやはり事故だ。
俺がそう指摘すると、葉子を人差し指を立て、左右に振った。ちっちっちっと口に出す様が鬱陶しい。
「違いますよ、森崎さん」
「なにがだ」
「なにもかも、です!」
葉子は俺の耳を掴むと、ぐっとそのまま自身の顔に近づけた。何をするかと思えば、自信のスマートフォンの画面をこちらに覗かせる。
「いででで、いてぇな!」
「ほら、森崎さん、これを見なさい。私は沖田さんから、“仕事から帰ったら、戸締りをしっかりしていた家から最近飼い始めた子猫が逃げてしまった。昨日から見つかってない”という依頼のメールを受けてここに来たんです。現在も猫は見つかっておらず、確かに彼女が独り暮らしをしているマンションの戸締りはしっかりされていて、脱走経路もわからない。いえ、脱走経路はなかった。そこで私はひとつの仮説を立てました」
「仮説って、なんのだよ――」
「もちろん、猫が自分から出られないのなら、誰かが連れ出すしかないでしょう?」
猫の話の終着点がわからず、俺は訝しく思って眉を寄せる。すると、呆れたようなため息を吐いて、葉子は言い放った。
「ですから、私はこう言ってるんです。元カレである田上こそが猫を誘拐した犯人であると」
「…………はぁ?」
「何の話だ、とでも言いたげな顔ですね。いいですか、もう一度監視カメラの映像を見に行きますよ」
「あ、おい!」
葉子は俺の片耳をようやく解放したかと思えば、そのまま駅の中に逆戻りした。入口で見張りをしている警察官はすでに葉子に絆されていて、彼女を止めようともしない。
「馬鹿野郎! なんで現場に入ってくのに止めねぇんだ!」
「だって、葉子ちゃんに任せといた方が事件早く終わるじゃないですか。なにか問題起きたら責任取るの警部だし。ああ、今日もかわいいなぁ、葉子ちゃん」
「馬鹿野郎が!」
「いでぇ!」
俺はそいつの頭に拳を振り下ろした後、すぐに葉子の後を追いかけた。
*
「ほら、これを見てくださいよ、森崎さん」
「……駅員さん、こいつの言うこと聞かないでもらっていいですかね?」
「え、刑事さんの指示だって聞きましたけど」
「…………」
俺の名を勝手に使った葉子は、俺と駅員の会話に少しの罪悪感も覚えていないらしい堂々とした態度で、画面を指さしていた。
そこには、沖田が田上に驚いてホームに落ちる一部始終が写っていた。彼女は田上とその箱の中身を見て、口を両手で覆い、すぐに後ずさった。前さえ向いてしまえば線路の上へ自ら走って行ってしまいそうなくらい、見るからに悲嘆と恐怖が浮かんだ形相だった。そしてそのまま彼女のヒールが空を切って、彼女はホームの下に転落した。あまりの惨状に、同席した駅員は顔を背ける。
「さっきも見たさ。田上は箱を開けただけだ、突き落としてもないし、触れてもいない」
「ええ。確かに彼は彼女に触れてもいない。しかし、箱の中身が気になりませんか?」
「ああ?」
「ほら、田上が持っている箱のふたに隠れて、中身が監視カメラの位置からは見えないようになってる。おそらく隣に並んでいた男性にも見えなかったでしょう。まるで中身が見えないように計算されたかのよう」
「偶然じゃねぇのか。中身はマフラーだったぞ。鑑識に回してるが、新品で何も変なもんは出そうにない」
「では、こう言いましょうか。マフラーだけが入っていたにしては、随分と箱が大きいですね?」
葉子の指摘に、俺はハッとして映像を見る。確かに、マフラーが箱の中を占める割合は四割といったところ。他のものが上に入っていたとしてもおかしくないが……。
「奴はこの後、トイレにしか行っていない。それは監視カメラと他の客、駅員の証言で明らかだ。トイレから出た後にすぐ身体検査が行われたが、なにも不審な物は持っていなかった。それに今のところ、奴がいたトイレからも何も見つかっていない。窓もねぇトイレだったから、外になにか捨てることもできねぇ。掃除用具入れやタンクの中も見てるが、なにも見つかってねぇ」
「液体はどうですか?」
「液体?」
「ええ。液体なら、トイレに流せばいいでしょう」
「…………いやまぁ、それはそうだが」
葉子の言いたいことはわかる。例えばのプレゼントボックスに入っていたものがマフラー以外にもあったとして、それを固形物に限定する必要はない。袋にでも入れれば、液体物だって箱の中に入れられる。
問題となるのは、その液体がなんだったら、あそこまで彼女が驚くことになるのか、ということだろう。例えばコーラがいっぱい袋に詰まっていたって、彼女が驚くことはない。むしろ混乱して、その正体を知ろうと顔を液体に顔を近づけるだろう。
「簡単です。最近調達したものがあるでしょう」
「? 田上が最近調達したもの?」
「ええ、それは相手に正体を理解させるために、赤く、たくさんの毛や内臓が浮かんでいることが望ましい」
「…………おい、おいおいおいおい」
淡々と述べる葉子に、俺は最悪の想像を掻き立てられながら、頭痛のするこめかみを指で押さえた。
「死んでいるとわかり、かつ、愛しいあの子であると確信を持たせなければならない。一見難しそうですが、方法はいくらでもあるでしょう。猫が消えたことを、彼女は私以外誰にまだ言っていないそうです。だったら、彼女の愛猫の失踪を知っていることですら、答えとなる。彼は箱の中身を見せる前に、一言、彼女の愛猫の名前を言ってやるだけで良かった」
「猫を液体状にしたってのかよ」
「……ある程度崩さなければ、トイレには流せないでしょうね。そして流してしまえば、あとはビニール袋だけ。ビニール袋はそこまでの大きさでもないし、ティッシュで包んで一緒に流せばすぐに詰まることもないでしょう。たとえばそう、無能な警察がトイレになにか流したことを疑わなければ、ビニール袋が見つかったときには誰が捨てたものだかわかりません」
葉子の容赦ない物言いに、俺は言葉を詰まらせた。奴の手の動きが監視カメラに写っているからといって事故と決めつけたのは、まぎれもない俺だった。
「だとして、証拠はどうなる。いまから下水管を調べるのか」
「そんなことしなくても、この駅のトイレや今駅員室に待機させている田上さん、もっといえば箱から彼女の猫の毛が見つかればいいでしょう。半年前に振られた男の持ち物から最近飼った子猫の痕跡が見つかるのはおかしいですから。血痕が見つかればなおいいですが、さすがに警戒されているでしょうね」
そこまで一気に自分の推理を語った葉子は、俺に小さな袋を手渡した。切手がいくらか入る程度の大きさで、チャックが付いている。そこには、細く茶色い毛がついていた。それがなんの毛かをすぐに理解して、俺はため息を吐いた。
「わかってたのかよ」
「……どこにでもいる種類の子だったので、攫われたとしたら嫌がらせの可能性が高い。しかも合鍵を作る機会があるような、今もしくは昔に縁があった者がいるだろう、とは」
事件の発生前から、田上の存在を懸念していた、ということだ。その先見には恐れ入るが、悔しそうに俯く彼女を見る限り、そんな「防げたかもしれない可能性」なんてない方が、本人にとっては幸せなのかもしれない。
「駅のホームに立つ女性に本人の飼い猫の死体を見せて後退させる。実行行為にあたるかが焦点となるか争われるかもしれませんが、未必の故意と因果関係は認められるでしょう。少なくとも立件ぐらいはできますよね?」
俺は葉子の問いかけに頷きながら、居合わせてしまった駅員に口止めをした後、仕事に戻った。これから証拠をできる限り集めないといけない。俺が背中を押すと、葉子は珍しいことに大人しく現場を出て行った。
*
「私のおかげで事件が解決しそうなんだそうで。奢ってください」
「帰れ」
三日後、葉子が教えてもないのに俺の家を訪ねてきた。どこで事件解決の目途が立ったことを聞きつけたらしい。彼女はいつもコンビニに行く感覚で俺にたかりにくる。
「お邪魔します」
「おい」
そして彼女は自宅かのような感覚で俺の家に入った。警部の娘かと思うと怪我もさせられないから、無理やり追い出すのもはばかられる。靴をそろえる丁寧な仕草とは裏腹に、その実はとんでもないじゃじゃ馬娘だ。
「男の家に勝手に入るな」
「お邪魔しますと言いましたよ?」
「していいとは言っていないだろうが、警部に言いつけるぞ」
「あらやだ、そんなこと言うなんて。お父様ったらまた胃薬が絶えないわ」
「誰のせいだ。おい、そこに入るな!」
俺の脅しは一切意味をなさず、彼女はずんずんと俺の部屋に入った。そして、狭い部屋の中央に置かれたちゃぶ台の上に、小さい箱を見つけた。
「……」
彼女は毅然と振舞っていたが、しっかりと先日の事件にショックを覚えていたらしい。箱を見た途端一歩、二歩と後ろに下がると、無言で俺の服を掴んだ。
しかし、そんなか弱い様も一瞬のことで、彼女は俺の顔を見あげると、にたぁっと嬉しそうに笑った。なんだ、その顔は。
「珍しく優しいじゃないですか、森崎さん」
「何の話だ」
「私が先日の件でプレゼントボックスがトラウマにならないように、いい思い出で上書きしてあげようということですね? 素晴らしいプレゼントがあそこに入っているわけでしょう。わかりますよ、箱、猫の柄ですから。猫野宛てに違いありません」
「いや、確かにあれは猫野の苗字から選んだが――」
「ふふ。やっぱり! 我ながら、いいタイミングで来ましたね! では、開けさせてもらいましょう!」
「おい!」
葉子は俺の制止などやっぱり耳を貸さず、ちゃぶ台へと駆け寄った。箱はまだ梱包がしっかりとされておらず、葉子はその蓋を上に持ち上げるだけで簡単に中身を知ることができる。
彼女は満面の笑みを浮かべて箱を開けると、その笑顔のまま硬直した。なにも言わない彼女に、俺は横から話しかける。
「確かに、それは猫野部長宛てだ。最近お前のせいで胃痛がひでぇっていうし、誕生日が近いって聞いたから、胃薬でもプレゼントにと……。ちょうどいい、代わりに渡して――なに顔赤くしてんだ、お前」
「も、森崎さんの馬鹿!」
「ああ、んだと!? つかうるせぇ!」
「いつか刺されろ、すけこまし!」
「あ、おい! メシはいいのかよ!」
突然の罵倒はボロアパートに反響し、隣の住人からは激しい壁ドンが提供される。そして俺は葉子の甲高い声に耳を塞いだ。彼女は俺にいわれのない悪口をぶつけた後、逃げるように退散していく。取り残された猫の箱が寂しそうに机の上に鎮座していた。
*
後日、以下のような脅迫文が届いた。猫野葉子はやはり死神か、もしくは悪魔に違いない。
「プレゼントをくださらないと、あなたの家にあがったことを、経緯を脚色して父に伝えます。森崎さんが思う、私に似合う超絶かわいいプレゼントを用意するように!」
ネコノハコ 葎屋敷 @Muguraya
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