来客

かなぶん

来客

 ほとんど来客のない雑貨屋の棚にその箱はあった。

 形は正方形で、大きさは人が両手で包んだなら少しはみ出る程度。木目模様から材質は木と分かるが、封もされておらず、それ以外の特徴は見当たらない。

 木造の棚に陳列すれば、店内が明るかろうが見過ごしやすく、増して周囲の雑貨の造りが趣向や色彩にこだわっているなら、なおさら景色に埋没してしまうだろう。

 いっそ汚れていたり、古びていれば、誰かの目に留まったかもしれない。

 あるいは、特別な中身を想定させる形であれば、誰かが開けたかもしれない。

 しかし、箱には不快さもなく、好奇心をくすぐるような面白みもなかった。

 この雑貨屋を営む店主でさえ、棚掃除の度に見ているはずの箱を商品と認識できないでいるのだから、箱の見た目の凡庸さは折り紙付きと言えよう。

 目視したところで誰もが箱を箱としか思わず、中を積極的に開けようともしない。

 まあ、当然だ。

 箱の在る棚は目を惹く雑貨で溢れている。

 魅力的な雑貨を前にして、商品とも思えない箱に目移りする理由はない。

 何より、この雑貨屋にある雑貨には、すでに持ち主が決まっているのだから。

 雑貨として棚に並べられた瞬間から、この雑貨屋の雑貨には持つべき主が定められていた。ただ、その主がいつ訪れるかは誰も知らない。もし雑貨に意思が宿っていたとしても、雑貨自身が知ることはないだろう。

 もちろん、店主に認識されずとも、雑貨である箱にも持ち主はおり――……。

 そして、その出逢いはいつも唐突に訪れる。


* * *


「こ、こんにちは……」

 雑貨屋のガラス戸にある「closed閉店」の札を完全に無視した少女は、恐る恐る薄暗い店内へと声をかけた。のみならず、「お、お邪魔します……」と入っていく。

 途中、閉じた戸から来客を告げるベルが軽やかに鳴っても、踏み入れた足ほどの怯えもなく、キョロキョロと辺りを見渡す少女。

「雑貨屋さん……なのかな? 鍵が掛かってないから入っちゃったけど、やっぱり裏口とかから回った方が良い? 隣がお店屋さんって初めてだから、勝手が分からないんですけど……」

 ぶつくさ独りで喋り続けた目が、持ってきた紙袋に落ちる。

「ううぅ……早めが良いったって、日中の方が絶対いいじゃない。陽が落ちてから引っ越しのご挨拶に行かなくたって……ご飯時だし、絶対良くないのに。それなのに、試しに押したら開いちゃうし、お店のくせに防犯意識どうなってんのよぉ」

 手土産へ向かって呟く文句の内容から、少女はどうやら雑貨屋の隣に今日引っ越してきた家の者らしい。

 客――この雑貨屋の雑貨の持ち主であれば、入って来られる、入れてしまう仕組みなど知らない少女は、身勝手にも聞こえる愚痴をひとしきり紙袋へぶつけると、仕切り直しとばかりにため息ひとつ。

「もういいや。たぶん、この奥が居住スペースでしょ。さっさと渡して帰ろ。怒られたら……今しか行ける時間がなかったって正直に言って、あとでお父さんに謝ってもらおう」

 最終的な押しつけ先を決め、よしっと意気込む。

 そうして、入ってきた時の心許ない様子はどこへやら、しっかりした歩みを一つ進めては、少女の顔が「ん?」と横を向いた。

 箱のある、雑貨棚を。

「なんだろう? 今、何か光ったような……」

 雑貨棚はどこも光っていなかった。雑貨が外の灯りに反射したわけでもない。

 ただ、定まっただけだ。

 少女がこの棚へ近づくよう、道が定められただけ。

 真っ直ぐ見つめた棚の奥、知らず見据えた箱までの道を。

 それは持ち主と雑貨が出逢う時に必ず起こる事象。

 持ち主はソレと知らずに興味を持ち、雑貨はソレと知りながらただそこに在る。

 己の持ち主が手に取る、その瞬間を請うように。

 箱の存在には永く気づかずとも、箱の正体を知る雑貨屋の店主がこの場面に出くわしたなら、こう思うことだろう。

 極上の獲物が近づくのを今か今かと待ちわびる、卑しい怪物のようだ、と。

 ――だが。

「うおっ!?」

 棚へ傾きかけていた少女の身体が、急に雑貨屋の奥へ向けられた。

 何が起こったのかは少女しか知り得ないが、頭を押さえて首を振る様子から、何か大きな音が聞こえたか、目眩ましのような状態に陥ったようだ。

 そうして少女は、一度は箱のある棚を見たものの、本来の目的を思い出したかのように、奥へと行ってしまった。

「ごめんくださーい!」

 先ほどより張った声が薄暗い店内に響き、一拍遅れて動揺する店主の声と調理道具が落ちたような凄まじい音が続いたが、機を逃した箱はそこに在り続けるのみ。

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来客 かなぶん @kana_bunbun

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