【KAC20243】『部屋に現れた箱』

小田舵木

【KAC20243】『部屋に現れた箱』

 箱。その中には何が詰まっているのだろうか。

 猫?シュレディンガー的に観測するまでは猫の生死は不明なのかも知れない。

 それとも希望?パンドラの箱的に開けるまでは底が見えないのかも知れない。

 またまた男か?安部公房的に社会から隔絶された男が詰まっているのかも知れない。

 

 私は。箱を見やる。

 そこには無限の可能性が詰まっている。

 私が観測するまでは。その中身は何にでも成り得る―

 

 私は箱を観測するのが嫌になってきた。

 

 部屋の中央に箱を鎮座する箱。

 その箱は。中々に大きい。

 だから、私は『箱男』の可能性を考慮した訳だ。

 しかし。男が詰まっていては困る。私は独り暮らしの女性で。男性など持て余す。

 かと言って。猫が詰まっていても困る。この物件はペット禁止物件だからだ。

 じゃあ?希望?そもそも希望とは何か?私の希望はどんな形を取ると言うのか?

 

 気がつけば。箱はそこに存在していた。

 私が仕事から帰って来ると。部屋の中央に箱が鎮座していた訳だ。

 これは。ストーキングでもされているのか知らん、そう思った。

 警察に通報することも考える。だが、どうこの状況を説明すれば良いと言うのか?

「済みません、家に帰って来たら。私の部屋の中央に箱があって…」どうにも馬鹿臭い。

 

 そもそも。この箱は。実際に存在するのだろうか―

 私はふと思う、これは仕事に疲れた私が見ている幻影なのではなかろうか、と。

 

 とりもあえず。私は箱を叩いてみる。

 見た目は。デカいダンボール。四角形のよくあるヤツ。それが大きくなったようなアレ。

 コンコン。くぐもった紙の音。普通のダンボールのようだ。

 私は、次に。携帯のカメラで箱を撮影してみる…

 すると。ああやっぱり。箱はカメラに映らない。

 これは。ある種のメタファー隠喩的物体なのだ。

 

                  ◆

 

 それから。私と箱の同居は始まった。

 部屋の中央に鎮座してしまった巨大なダンボール。

 最初の内は気になってしょうがなかったが。

 そのうち慣れてしまって。今やご飯を食べるテーブル代わりにしている。

 メタファー的物体の上でご飯を食べる。これは中々不思議な事態だが。

 慣れてしまえば。何という事はない。ただの気の利かないインテリアでしかなくなる。

 

 私は毎朝ダンボールに別れを告げる。

 そして仕事に行き。仕事を終わらせ。

 そしてダンボールに迎えられる。

 ダンボールと同居する30代女性。そんなモノは滅多に居ないが。事実として存在してしまっているのはしょうがない。

 

 私は。晩飯を済ませてしまうと。ダンボールの上で寛ぐ。

 ちょうど。座って軽く体勢を崩せる位の大きさはある訳だ。

 

 ダンボールは案外に頑丈だ。50キロ代の私が乗ってもビクともしない。

 だが。少し気になることはある。

 このダンボール。少ししているようなのだ。

 …まるで生き物みたいで気色悪いが。メタファー的物体である。常識は通用しないのだろう。

 

 私はダンボールの中身に想いを馳せるが。

 全く検討がつかない。猫でもなく、人でもなく、希望でもない…

 んじゃあ?何が詰まっているのか?

 私には心当たりが存在しない。

 

 最近の私の人生は。

 特にイベントは無かった…はずなのだ。

 せいぜい。ある男の子どもを堕ろしたくらいだ。

 あの男は。私を妊娠させると。煙のように消えて居なくなってしまった。

 産まれるはずだった子どもは。水子供養して。私の記憶から消え去っていた―はずなのだが。

 

 妙に引っかかる。

 

 私の堕ろしてしまった子ども。掻爬そうはされた小さな命。

 それが。もしかして。ダンボールに詰まって還ってきた?

 まさか。そんな事はありえない。

 命は消え去ったはずなのだ…

 だが。今や。メタファー的な箱が私の部屋に鎮座し。その箱は鼓動している…

 箱が。私の子宮だというのか?そんな訳はないだろう?

 

 一度可能性を考慮してしまうと。私はその可能性に固執してしまう。

 これは私の子宮のメタファーで。この箱の中には、小さな命が詰まっている…

 ああ。これは。不気味を通り越して。理解不能な事態である。

 私の部屋の中に。子宮のメタファーが存在している。私はそれに触れることさえ出来る…

 

 私は。箱の中身を俄然、見たくなくなった。

 この箱を開けさえしなければ。永遠に。何も存在しない。物理学的観点に立てば。

 そう。私は、この箱を無視すればいいのだ。

 そもそも。私の子宮は空だ。こんなメタファーに脅かされる人生なんて。まっぴら御免である。

 

                  ◆

 

 私は。

 部屋の中央に存在するダンボール、箱をどうにか除去しようとしたが。

 ビクともしない。

 結局、諦めてしまう他なかった。

 

 私は時折ダンボールに触れる。

 トクトクと鼓動を打つダンボール。まるで生きているかのよう。

 ああ、この私の子宮のメタファーには。水子が。水子が詰まっているに違いない。

 

 気がつけば。10ヶ月が経ち。

 もうそろそろ出産を迎える頃合いになる。

 私はその日を。恐れ、来てほしくないと願ったが。そんな願いは届きはしない。

 

 ダンボールの蓋が。ピクピクと動き始める。

 ああ、産気づいたらしい。

 私は恐れおののく。無視してしまいたい感情に襲われるが―

 ああ、仕方ないのだ。眼の前で産気づかれようモノなら。

 

 ダンボールの蓋が。カバりと開く。独りでに。

 ああ。あのシュレディンガーの箱は。観測する事を求めているのだ。

 私はしばらく部屋の隅でうずくまっていた。

 流石に。恐ろしいのだ。水子を。水子を。もう一度眺めなくてはいけないのだから。

 

 しかし。産まれてくるであろうモノを無視する訳にもいかない。

 私は意を決して。ゆっくりと箱に近づいていく…

 

 ガバりと開いた箱の中身は―

 血に塗れていて。箱の中は血で満たされている。

 私は。その血の中に。突っ込みたくは無かったが手を伸ばす。

 小さな。人型の何かに手が触れる。

 ああ、もう。完全に想定の範囲内で、私は冷や汗をかくしかない。

 私は諦めて。人型の何かを引っ張り出す―

 

 私が引っ張り上げたのは。

 やはり。赤子であったが。

 その赤子には顔がない…顔があるべきトコロには口しかない。

 そして。その口からは血が溢れている…

「あーあ!あーあ!!」血を吐き出しながら。赤子型の何かは私にしがみつく。

 私は思わず悲鳴をあげそうになったが。ギリギリのトコロで噛み殺す。

 

 さて。このメタファーから産まれた赤子をどうすれば良いのか?

 …決まっている。殺すしかない。

 この子どもは。掻爬されて消えて。水子供養されたはずなのだ。

 即ち。生きている訳がない命。

 

 私は。

 赤子を部屋の床に寝かせて。

 その首を締める。ゆっくりと。でも確実に。

 ごめんね。私には。子どもを育てる能力はない…

 

 首を締められた赤子的な物体は。口から血反吐を垂れ流しながら、絶叫するが。

 それも数秒の事で。あっさりと死んでしまう。

 私はその場にへたり込んで。泣き出す。

 流石に。赤子の形をした何かを殺してしまったのだ。

 ショックがない訳ではない…

 

                  ◆

 

 私が。赤子を殺してしまうと。

 部屋のダンボールは。蠢いて。そして―

 私の腹の中に収まってしまう。ダンボールに体を貫かれたが。特に何も感じなかった。

 

 私が殺したはずの赤子は。

 いつの間にか消え去っていた。

 そこには。赤子の吐いた血反吐だけが残っていた…

 

                  ◆

 

「…そういう訳なんです。私が殺したのはメタファーなのです。誓って。現実の子どもを殺しておりません」

 

 目の前の彼女はそう、供述したが。

 事実として。彼女は堕胎していない。

 事実としてあったのは。望まない妊娠をした事、その相手が煙のように消えた事。

 

 彼女は。望まない妊娠を周りにも医者にも相談せずに。

 ひっそりと自宅で子どもを産み。

 そうして錯乱して子どもを殺した。

 

 ある種の自己正当化現象だ…

 彼女は現実を捻じ曲げて。自分の子どもを殺した事を正当化しているに過ぎない…

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