第10話 異常接近 ~ 扇山 明奈 ~ 02

「……ふう」




 やがて、どちらかの吐息が漏れて二人は身体をゆっくりと離した。

 私は、こっそりと階段を降りるしかなかった。

 なんだか絶対に見てはいけない場面を見てしまった気がしたからだ。

 

 

 

 その後、私は駆け足で昇降口に向かった。

 心臓がどきどきして、なんだか頭がふらふらとしていた。

 

 

 

 やがて私はバスに乗った。

 そして頭の中に焼き付いてしまった記憶を揺さぶり落とすように、激しく首を振る。

 それはついさっき見てしまった場面だった。

 

 

 

 ……絵里香えりかが、明奈あきなさんと。

 私はなんどもなんども首を振る。

 だけど、どうしてもその場面が頭から離れなかった。

 

 

 

「……あ」




 窓の外を見たときだった。

 そこには徒歩で帰宅する公平くんの姿が見えたのだ。

 私が乗ったバスは公平くんを追い越して行く。

 

 

 

 私はとっさにボタンを押した。

 降車する意志を運転手さんに知らせるためのボタンだ。

 

 

 

 そしてすぐ次の停留所でバスは止まった。

 そこで降りたのは私だけだった。

 私は走り去るバスには目もくれず、スマホを取り出していた。

 

 

 

「……もしもし? 私。大林こづえ」




『ああ、いったいどうした?』




 電話機の中から公平くんの声が聞こえてきた。

 いつも通りの冷静な公平くんの声だった。

 私はその声に安心する。

 

 

 

「あ、あのね。……バスに乗ってたら公平くんの姿が見えた。

 だから降りたの」

 

 

 

『ああ。それで?』




「うん。……ちょっと話、聞いてくれる?」




『ああ。どこにいる?』




「公平くんの進行方向。

 ……ほら、私、手を振ってる」

 

 

 

『ああ、見えた。今、そこに行く』




 私が手を振り続けていると、最初は小さかった公平くんの姿がだんだん大きくなって、やがて私の目の前までやって来た。

 

 

 

「いったい、どうしたんだ?」




「うん。……ちょっと相談があるの」




「わかった。どこか店でも入るか? 

 ……なにもないな」

 

 

 

 公平くんが辺りを見回してそう言った。 

 改めて私も見るけど、ここは住宅地の入り口なので座って話せそうな場所が見当たらない。

 

 

 

「……仕方ない。俺の家がいちばん近い。

 来るか?」

 

 

 

「うん」




 私は公平くんの後ろについて行った。

 その間、私はひとこともしゃべらなかった。

 だけど公平くんもなにも尋ねてこなかった。

 

 

 

「……参ったな」




 公平くんの自宅へ到着したときだった。

 公平くんが困った顔になる。

 

 

 

「どうしたの?」




「ああ、奈々子さんがいるんだ。

 大林の話は込み入った相談なんだろ?」

 

 

 

「うん。

 ……でも、なんで込み入った話ってわかったの?」




 私は驚いていた。

 私の相談はもちろんさっき見てしまった場面のことだ。

 確かにできれば奈々子さんがいない方がいいと思った。

 

 

 

「お前の顔。……真っ青だぞ」




「……えっ?」




 私は自分の顔に手を当てた。

 確かに心なしか、いつもよりひんやりと感じられる。

 

 

 

「倉の中でいいだろう。あそこなら誰にも聞かれない」




 そう言って公平くんは土蔵に歩き出した。

 私はトボトボを後を追う。

 

 

 

 そして折りたたみの椅子をふたつ用意してくれて、ひとつを私に勧めてくれた。

 私は倉の隅にある孤舟こしゅうを見る。

 だけど今はそれを話題にするつもりはない。

 

 

 

「いったい、なにがあったんだ?」




「……う、うん。

 ……あのね。……わ、私、絵里香えりかを取られちゃった……」

 

 

 

「ちょっと待て。

 ……久米くめ? 久米絵里香を取られたってどういうことだ?」

 

 

 

 公平くんはまっすぐに私を見ていた。

 

 

 

 その表情は落ち着いていて、私のありのままを受け止めてくれるような気がした。

 まるで専門のカウンセラーのように感じられたのだ。

 

 

 

 だから、私はしゃべりだしてしまっていた。

 まるで堰を切ったかのように一気に言葉があふれだした。

 

 

 

「あのね。私、絵里香とは親友だったの。

 去年も同じクラスだったし、その頃から仲良しだったの。

 

 それでね、今日もいっぱいおしゃべりしたし、お弁当もいっしょに食べたし、だから帰りもいっしょに帰ろうとしてたの。

 ……そうしたら取られちゃったの」

 

 

 

「……誰に取られたんだ?」




「うん。

 ……あ、明奈さん」

 

 

 

扇山おうぎやま? 

 いったい、どういうことだ?」

 

 

 

「あ、あのね。

 今日、私、絵里香にいっしょに帰ろうって言ったら、約束があるって言われたの。

 それでね、私、ひとりで帰ろうとしたんだけど、見ちゃったの……」

 

 

 

「なにを見たんだ?」




「……キ、キスしてたの」




「久米絵里香と扇山明奈がか?」




「……うん」




 そして私は、最初は絵里香が嫌がったこと、だけど受け入れた後は長いキスだったことも話してしまっていた。

 

 

 

 私はそこまで言うと、どっと疲れが出たようで、うなだれてしまい足元を見ていた。

 そこには二十二センチの私の革靴が見えた。

 手入れを怠っているので艶がなく少し汚れていた。

 

 

 

「……久米はどっちなんだ?」





「どっち……?」




「女性を好きになるタイプなのか?、男性を好きになるタイプなのか?、ってことだ。

 俺は別に興味本位で質問しているんじゃない。

 

 人間にはいろいろなタイプがいるんだし、もし久米がそうだとしてもそれは久米の個性であって他人がとやかく言う問題じゃない。

 ただ可能性としてそういう性格なのかってことを訊きたいんだ」

 

 

 

「絵里香はそうじゃないよ。

 ……だって好きな男の人、絵里香はいるもん」

 

 

 

「それは確かなのか?」




「うん。隣のクラスの人。……あ」




 私は口を滑らしたことに気がついた。

 これは絵里香との絶対に内緒の秘密だったのだ。

 だけど公平くんは、そういうゴシップにはまったく興味がないようだった。

 

 

 

「……だとすると、扇山がそうなのかもな」




「ええっ! 明奈さんが?」




「消去法で言えばそうなるだろ? 

 俺は久米も扇山もよく知らない。だから可能性を考えているだけだ」

 

 

 

「そ、そうなのかな? 

 じゃあ明奈さんが誘ったのかな?」

 

 

 

「……だとしても、会って二日でキスってのが尋常じゃない。

 それに久米が抵抗らしい抵抗をしなかったのも気になるな。

 たった二日でそこまで深い仲になる。そこまで二人は仲良しだったか?」

 

 

 

「明奈さんは別に絵里香だけじゃなくて、他の誰とでもおしゃべりするよ」




 私は思い出しながら、そう答えた。 

 明奈さんは特定の誰かとだけお話するタイプじゃなかった。



 

 特に女子に対しては平等で全員に隔たりなく接していたと思う。

 今日のお昼だって絵里香だけじゃなくて博美や沙由理、聡美もいっしょだったのだ。



 

「それなのに、久米絵里香とキスか……。

 扇山と久米は互いに一目惚れってやつなのか?」

 

 

 

「違う。絶対に違うと思う。

 ……あのね、女の子にとってキスって、とってもとっても大事なんだよ。 

 特にファーストキスは絶対に大事。

 一生の思い出になるんだから、そんな簡単に誰とでもできるものじゃないもん」

 

 

 

「だから久米を取られたって思ったのか。

 なるほどな」

 

 

 

「うん。他に好きな男の子がいる絵里香なのに……。

 なのに、簡単に明奈さんとキスしてたから、私、そう思っちゃったんだ。 

 ……すごいショックだった。 

 だってキスだよ? 女の子にはものすごく大変な問題なんだよ」

 

 

 

「そうなのか。

 ……ま、男でも、相手が誰とでもいいって訳じゃないだろうけどな」




 公平くんは苦笑した。

 

 

 

「俺は気になったことがある。

 実は今日の休み時間に他の女子たちと二人きりになって、どこかに行く扇山をなんども見た」

 

 

 

「ええっ! それってどういうこと?」




 私が勢い込んで尋ねると公平くんは順序立てて詳しく説明してくれた。

 

 

 

 公平くんは休み時間になるとだいたい教室から姿を消す。

 それは気分転換のためだ。 

 だから今日も休み時間の度に校舎の中を散策していたのだと言う。

 

 

 

 そこであまり生徒が立ち寄らない場所で、明奈さんと二人きりになっている女子を見たと言うのだ。それは博美ひろみだったり、沙由理さゆりだったり、聡美さとみだったりしたと言うのだ。

 

 

 

「俺はただ素通りしただけだからな。お前みたいにキスしていた場面を見ていた訳じゃない。

……でも考えてみると、そのとき必ず扇山は二人きりになっていた。

 必ずだ」

 

 

 

「……も、もしかしたら、明奈さんは、博美や沙由理、聡美たちともキスしていたってこと?」




「それはわからない。

 ただ雑談なら大勢でするのが当たり前だし、必ず二人きりってのが、どうにも俺には引っかかる」

 

 

 

「……いちいち、休み時間ごとに一人ずつ呼び出したってことなのかな?」




「久米絵里香の場面を考えると、そういう可能性もあるな」




「じゃ、じゃあ、明奈さんはそのみんなとキスしてたってこと? 

 明奈さんは相手が女なら誰とでもキスするの?」

 

 

 

「結論を急ぐなよ。

 ただ可能性はある。……世の中にはキス魔って言われる性格もあるようだからな。ところかまわずキスしたがるタイプの人間もいるってことだ。

 

 だけど、……個別に呼び出して、人目に触れない場所でってことは、そのことに強い作為を感じる。

 誰でもかれでもかまわないって訳じゃないんだろう」

 

 

 

「……仲良くなりたい女の子を選んでキスしてたの? 

 そういうこと?」

 

 

 

「だからキスにはこだわるな。俺はそのシーンを見ていない。

 ただ相手を選別して個別に誘ったってことは、なにか裏の理由があったんだろうな」

 

 

 

「……」




「そこが俺には引っかかる」




 私たちはそこで会話が中止された。

 奈々子さんが姿を現したのだ。 

 奈々子さんは倉に明かりが灯っていることで誰かがここにいることを不審に思って入って来たのだ。

 

 

 

「あら、……誰かと思ったらこづえさんじゃない。

 今日も来てくれたのかしら?」

 

 

 

 奈々子さんはとても嬉しそうに笑顔を見せた。

 今日も奈々子さんはきれいだった。

 

 

 

 その後の私と公平くんは母屋に場所を移していた。

 ただ明奈さんの件は奈々子さんに伏せていた。

 そのことは奈々子さんに関係ないし、軽々しく話す内容ではないからだ。

 

 

 

「大林は孤舟を見に来たんだ」




 そう公平くんは話を合わせてくれた。

 ここは以前にも訪れた応接間で奈々子さんは紅茶とケーキを振る舞ってくれた。

 

 

 

「今日も手作りじゃなくて、ごめんなさいね」




「いいえ。急に押しかけたのは私なんです。

 だからこちらこそ、ご迷惑をおかけします」

 

 

 

「あら、いいのよ。……ふふふ」




 奈々子さんはなにやら意味ありげに笑う。

 

 

 

「なあ、奈々子さん。

 ファーストキスのこと、憶えているか?」

 

 

 

 ――な、なにを突然っ……!!

 

 

 

 なぜだかドキドキしてしまった。

 胸の鼓動がどくどくと激しくなってしまう。

 

 

 

 だけど奈々子さんはそんな私にはなにも気がつかないようで、懐かしそうで遠くを見るような顔になる。

 

 

 

「もちろん憶えてるわよー。

 お父さんとしたの。確か十七歳のときだったわ。

 今の公平と同じ年ね。

 

 ……私はね、そのときお父さんと絶対に結婚するって決めたの。

 お父さんはたかがキスだろうって言ってたけど、女の子にとってファーストキスって絶対の思い出なの。

 誰でもかまわないって訳じゃないのよ。だって一生の宝物なんだから」

 

 

 

 奈々子さんはそう言って優雅に笑う。

 私はと言えば自分のことじゃないのになぜだか真っ赤になってしまって、それをごまかすために紅茶のカップを手にして一口飲むことで顔を隠したのであった。

 

 

 

 そして公平くんと奈々子さんにお礼を言って屋敷を去ったときには、すでに夕焼け空になっていた。

 公平くんの家の近くから乗ったバスがマンションのバス停に止まったとき、大勢の人がバスから降りた。

 だけどみんなそれぞれの棟へと別れたので、私はひとりきりになって自分が住む三号棟に歩き出した。

 

 

 

 そしてロビーに到着したときだった。

 

 

 

「……っ!」




 そこに人影があった。

 そのシルエットから、その人が女の人であることがわかる。

 それは私と同じ高校の制服姿だ。そしてゆっくりと顔を私へと向けた。

 

 

 

 ――明奈さんっ……!!

 

 

 

 心臓が止まるかと思った。

 怖くて膝がガクガクしてまっすぐに歩けない。

 

 

 

「こんばんは」




 明奈さんが気軽に話しかけてきた。

 

 

 

「こ、こんばんは。

 ……も、もしかして私を待ってたの?」




 私は怖々と明奈さんに尋ねる。

 

 

 

「まさか。私は買い物帰りだから偶然よ」




 そう言って手にしていた買い物袋を見せてくる。

 それは通学途中にあるスーパーのもので、中には野菜とかお肉とかの食材が入っているのを見せてくれた。

 確かに買い物帰りらしい。

 

 

 

 だけど、私にはそれだけの証拠があっても、待ち伏せしていたとしか思えなかった。

 どうしてかと言えば、私が乗っていたバスに明奈さんの姿はなかったし、目の前のエレベーターの呼び出しボタンも押してなかったからだ。

 

 

 

「偶然て重なるものなのね。

 ……ねえ、これって私たちに縁があるってことかしら?」

 

 

 

 明奈さんはそこでエレベーターを呼ぶボタンを押した。

 

 

 

「そ、そうかもね」




 からからに乾いた口で私はようやくそれだけを言葉にした。

 

 

 

 そしてようやく到着するエレベーター。

 私と明奈さんはそれに乗り込んだ。

 私は十階、明奈さんは七階のボタンを押す。

 

 

 そして私はできるだけ明奈さんと距離を置いた。

 だけど、狭いエレベーターの中なので、それほど遠くへは行けなかった。

 

 

 

「私、東京に来て本当に良かった。

 ……だってみんな私と仲良くしてくれるのよ。

 転校してたった二日なのに、もう親友ができちゃったんだもの」

 

 

 

 そう明奈さんは言う。

 

 

 

「そ、それって絵里香とか博美たちのこと?」




「そう。だから私、とっても嬉しいの。だって親友って一生ものでしょ?」




「そ、そうだね」




「ねえ、だから、こづえさんも私の親友になって欲しいわ。

 だってこづえさんて魅力的なんだもの」

 

 

 

「……わ、私が魅力的? ……そ、そんなの嘘でしょ?」




「そんなことないわ。

 女の私から見ても、とってもかわいいわよ?」




「……」




 私はなんて返答すれば良いのかわからなかった。

 ただ一秒でも早くエレベーターが七階に到着して欲しいと思っていた。

 

 

 

「私たち、教室の席も前と後ろでしょ? 

 そして住んでるマンションも同じじゃない。

 だからこれは神様が用意してくれた偶然なの。ねえ、仲良くしましょうよ」

 

 

 

 そう言って明奈さんは一歩一歩私に近づいてきた。

 私は怯えた小動物みたいに堅くなってエレベーターの箱の隅で固まってしまった。

 

 

 

 そのときだった。

 チンと音がしてようやくエレベーターが七階に到着したのだ。

 

 

 

「あ、着いちゃったわね。じゃあまた明日会いましょうね」




 そう言って明奈さんは去って行った。

 私はヘナヘナとその場に座り込んでしまった。

 

 

 

 翌朝。私は昨日と同じく早くに目が覚めた。

 昨夜寝たときには、その日の出来事をいろいろ思い出してしまってなかなか寝付けなかったのだけど、目覚めは早かったのだ。

 

 

 

「あら、昨日からどうしたの? 

 まるで人が変わったみたいね」

 

 

 

 リビングに行くとお母さんがそう言った。

 

 

 

「まあ、早起きの習慣がついたのなら、それはいいことだ。

 そのまま続けなさい」

 

 

 

 お父さんは新聞を読みながらそう答えた。

 私は今朝もいつものトーストを胃に収めるとそそくさと家を後にした。

 

 

 

 今日も早く家を出たのは理由があった。

 それは明奈さん対策だ。

 

 

 

 私は昨日、明奈さんにもっと遅い時間のバスに乗っても十分に学校に間に合うことを告げていた。

 そして明奈さんは、そのことに頷いていたのだ。

 だから彼女は、きっと遅い時間にバスに乗るに違いないと見当をつけたのであった。

 

 

 

 だけど、私の目論見は見事に外れた。

 停留所で学校方面のバスを待っていると明奈さんが現れたのだ。

 

 

 

「おはよう」




 明奈さんは、今日もしっかりと決めたヘアスタイルで優雅にやって来た。

 颯爽と歩くその姿は完璧な自信に満ちていた。

 

 

 

「……お、おはよう」




 私は仕方なくそう返事した。

 

 

 

「も、もっと後の時間のバスでも間に合うのに」




「うん。そうなんだけど。

 やっぱり早く学校に行ったら、みんなと長い時間おしゃべりできるじゃない?」

 

 

 

 明奈さんはそう言った。

 だけど私には、私の行動を見透かされての出現のような気がしてしまっていた。

 

 

 

 それからバスの中で明奈さんはいろいろ話をしてきたけれど、私は差し障りのない返事を繰り返していた。

 とにかく私は明奈さんと一線を引いて、それ以上近寄れないようにしたつもりだった。

 

 

 

 本当は、はっきりと明奈さんを拒絶できれば良かったのだけど、私に対して落ち度はない明奈さんをそこまで拒否するのは、いかがなものかと思ったし、私も自己保身で嫌われたくはないからだった。

 

 

 

 そして学校に到着した。

 その日もいつも通り明奈さんは、みんなの人気者だった。

 特に絵里香や博美、沙由理と聡美などは、べったりと言っていいほどの親密ぶりだった。

 

 

 

 私はそんな彼女たちを見て、先日公平くんと話した疑惑を思い返していた。

 ……やっぱり博美たちも、明奈さんとキスをしたのかな?

 

 

 

 もし、そうなら絵里香はそのことに気がついているのだろうか? 

 また逆に博美たちは絵里香もキスしていることを知っているのだろうか?

 

 

 

 そんなことを考えていたら、いつの間にか私は頭痛がしてきた。

 そして痛みはだんだんひどくなる一方で、一時間目を終えた頃には机につっぷしてしまう程だった。

 

 

 

「体育、休む?」




 さすがに私の体調不良に気づいたようで学級委員長の博美がそう尋ねてきた。

 

 

 

「……う、うん。休む」




 私はそう答えた。

 今朝まで風邪を引いたという自覚症状はなかった。

 それがいきなりこれだ。

 

 

 たぶん疲れがたまったのもあるんだろうけど、明奈さんの件があって以来、積み重なったストレスも原因だと自分では分析していた。

 

 

 

 体育はバスケットボールだった。

 体育館でみんなは体操着に着替えての授業だけど、私は制服姿のまま床の隅にうずくまってそれを見ていた。

 

 

 

 そこでも明奈さんは大活躍だった。

 彼女は勉強だけじゃなくてスポーツも得意なようで、パスを受けるとドリブルで三人を抜いてそのままシュートを決める。

 その跳躍はまるで崖から飛び上がるシカのように軽やかで着地まで美しい。

 

 

 

「……文武両道かぁ。

 ……そして美人。ハハッ……、完璧だね」

 

 

 

 乾いた笑いとともに深い溜息をつくと、私はただただ呆然と明奈さんを見ているだけだった。

 

 

 

 その後、熱も出てしまったので次の授業は休みにして保健室へと向かった。

 保健の先生は私の熱を測った後、安静をすすめた。

 

 

 

「風邪ね。早退したら? 担任の加藤先生には私から伝えるから」




 人柄の良い中年女性である保険医の先生はそう提案してくれた。

 

 

 

「……お、お願いします」




 私はそう頼んだ。

 もう立って歩くのもふらふらの状態だったからだ。

 

 

 

 そして私は学校を早退した。

 私は地球人じゃない。地球よりもずっと文明が進んだ『カッコウの星』の住民である。

 

 

 

 でも、見た目も中身も平凡過ぎる程ふつうなので、ある意味、地球人以上に地球人らしいと思う。

 現にこうして風邪にだって、あっさりかかってしまう。

 

 

 

 でも、明奈さんは違う気がする。

 明奈さんは、容姿も勉強もスポーツも人並み以上、……いや、スペックはそれを遙かに上回る。

 だから、明奈さんの方が私よりも宇宙人に、ずっと相応しいんじゃないのかな……?

 

 

 

 私は、そんな馬鹿げた考えを一瞬思ってしまった。

 

 

  

 バス停に向かったときである。バスはすでに到着していた。

 私は、そのとき、驚きで自分の身体が凍りついたかと真剣に思った。

 

 

 

 ――明奈さんっ!?

 

 

 

 明奈さんがバスの前方に座っていた。

 なので私は後部座席の方へと向かい、そこに腰掛けた。

 車内はすいていた。

 

 

 

「……どうか見つかりませんように」




 私は神様に祈っていた。

 だけど、その思いは届かなかったようで、偶然後ろを振り向いた明奈さんと目が合ってしまった。

 

 

 

 明奈さんは私を視認するとニッコリと微笑んだ。

 そして席を立つと私の方へと近寄って来たのである。

 

 

 

 私が座っていた座席は二人掛けの席だったので当然のように明奈さんが隣に座った。

 私が窓側で明奈さんが通路側だった。

 

 

 

「具合、悪そうね?」




 明奈さんが話しかけてきた。

 

 

 

「……う、うん」




 私はそう答えた。

 

 

 

「あ、明奈さんはどうしたの? 

 まだ学校から帰るには時間が早いと思うんだけど……」

 

 

 

 私は疑問を口にした。

 まだ時間は午前中なのだ。当然、授業はいっぱい残っている。

 

 

 

「うん。ちょっと気になることがあったから、先生に断って早退させてもらったの」




 ……気になることってなんだろう?

 

 

 

 私はそう思ったけど明奈さんとは一線を引いて置きたいので、そのことは質問できなかった。

 だけど、そのことは明奈さん自身がすぐに説明してくれた。

 

 

 

「こづえさんが風邪で早退でしょ? だからお見舞いにと思って」




「ええっ。……いいよ。別にただの風邪だし」




「うん。でも同じマンションのよしみじゃない?」




「そ、そう。ありがとう……」




 私はそう答えたが、口の中はカラカラに乾いていた。

 そしてなんだか熱もぶり返したみたいで額が熱い。

 

 

 

 私は二人掛けの席に完全に閉じ込められていた。

 明奈さんと少しでも離れたいので、座席の窓側に少しでも身体をずらそうとすると、その分だけ明奈さんがお尻を寄せてくる。

 

 

 

「ねえ、私たち……。いい友達になれると思うのよ」




「そ、そうだね」




 私は同じような同じ言葉しか繰り返せない。

 そして額に汗が浮かんでいるのがわかる。

 

 

 でもその汗が風邪が原因なのか、それとも明奈さんを恐ろしく感じることからの冷や汗なのかはわからなかった。

 

 

 

 やがてバスが発車した。

 バスは丘の上に立つ私たちが住むマンションに向かうため、ゆるやかにカーブを登って行く。

 その間、車体は右に揺れたり、左に揺れたりを繰り返す。

 そしてそれは同時に私と明奈さんの身体が密着することを意味する。

 

 

 

 私はバスが途中の停留所に止まる度に降りようかな、と思ってしまう。

 どうにかしてこの状況から逃れたかったのだ。

 

 

 

 だけど途中下車するのは、あからさまに明奈さんを拒否することになるし、体調が悪いので一刻も早く帰宅したい。

 だからどうしても降車用ボタンを押すことができなかった。

 

 

 

 そして、ようやくバスはマンション前に到着した。

 バスは終点だったので私と明奈さん以外にも大勢人が降りる。

 そこで私はようやく明奈さんとの密着から解放されたのであった。

 

 

 

 私は正直、辛くなっていた。

 発熱のためなのか足元がなんだかフラフラする。

 

 

 

 だけど原因は熱だけじゃない。

 相当のストレスもたまっているようだ。

 

 

 

 それはストーカー行為とも取れる行動をする明奈さんが元凶だ。 

 だけど同じマンションの三号棟なのでエレベーターまではいっしょに行かざるを得ない。

 

 

 

 そして呼び出しボタンを押してしばらく待って、ようやくエレベーターに乗り込んだときだった。

 私は十階のボタンを押した。

 そして明奈さんは七階のボタンを押すだろうと思ったのだけど、明奈さんはそのままボタンを押さなかった……。

 

 

 

「こづえさんの家まで送るわ。

 ……なんだか調子が悪そうだし」

 

 

 

 明奈さんはそう言った。

 

 

 

 ――嘘でしょ……っ!?

 

 

 

 私はなんとか断る理由を探したが、現にこうして熱っぽくてフラフラするので遠慮することができなかった。

 

 

 

「熱。大丈夫かしら?」




 そう言って明奈さんは私の額に手を当てた。

 私はつい反射的にピクリと反応してしまう。

 

 

 

「……とっても熱い。やっぱりひどい風邪よ」




 そう言った明奈さんがいきなり顔を近づけた。

 明奈さんの大きな瞳には私の顔が大写しされている。

 

 

 

「……んんっ!」




 私はエレベーターの壁に手をついた。

 そしてヘナヘナと力なく崩れ落ちてしまった。

 

 

 

 ――奪われた!!

 

 

 

 キスされたのだ。

 

 

 そして明奈さんの柔らかい唇が私の唇に触れたときピリッとした感電がした気がした。

 そしてなぜかその感電は私の全身を駆け巡る。

 

 

 

「ふぅ。

 ……こづえさん、あなた本当にかわいいわよ」

 

 

 

 崩れ落ちた私を見下ろしながら明奈さんがそう呟いた。

 

 

 

「……」




 ――声が出せない。

 

 

 

 ただなされるがままに明奈さんに身体を起こされていた。

 そして私はただ呆然としたままの足取りで、手を引かれるままに自宅のドアへと向かっていた。

 

 

 

「後は自分で大丈夫でしょ。じゃあ、お大事に」




 明奈さんが私に背を向けた。

 だけどすぐに振り返る。

 

 

 ……その顔には勝ち誇ったかのような自信がみなぎって見えた。

 

 

 

「あのね。

 ……私もこづえさんと同じ養子なの。

 そして、なのよ」

 

 

 

 そう明奈さんは宣言してエレベーターへと向かっていた。

 私はただ取り残されたまま、茫然自失でドアの前で立ち尽くしていた。

 

 

 

「う、宇宙人……?」 




 そしてそのまま自室のベッドに潜り込んだ私は明奈さんがさっきそう言った台詞を思い返していた。

 

 

 

「……っ!」




 そして同時に唇を奪われたことも思い出していた。

 私は思わず毛布で口を拭う。

 

 

 

 なんどもなんども拭う。

 だけど明奈さんの唇の感触はいつまで経っても抜けなかった。

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