出来ない夫と出来ない妻

きみどり

出来ない夫と出来ない妻

 仕事から帰宅すると、妻にすっごい睨まれた。


「えっ、何?」


 狼狽えている俺に無言で差し出されたのは、お菓子の箱だ。


「……からだった」

「え?」

「中身が入ってなかったって言ってんの!」


 いきなりの剣幕に思わず後ずさる。

 お菓子がなくなったらしい。でもなんで俺が怒られるんだ?


「まだ入ってると思って、ウキウキしながらコーヒー淹れて、さあ休憩しようって開けてみたら入ってなかったの! 空き箱が机に置いてあったの!」


 バアンと箱が机に叩きつけられる。


「わかる? この、お菓子食べる口になってたのに裏切られた気持ち! 最悪! コーヒー淹れて損した! 食べ終わったならちゃんと空き箱を片付けてよね!」

「ゴメン……」


 謝った。が、なぜか更に睨まれる。


「いつもそう! ティッシュがなくなっても、トイレットペーパーを使いきってもそのまんま。尻拭いをするのはいつも私! 自分のウンコくらい自分で拭けよ!」

「そ、そんなことで――」

「そんなこと? そんなことって何!? そういうふうに大したことないって思ってるから、何でもやりっ放しなんだよ! と思うなら自分でやれよ!」

「ゴメン……」

「欲しいのは謝罪じゃなくて行動なんだよ!」


 どうやら日々積み重ねられていたらしい不満が、この空き箱をきっかけに爆発したようだ。

 思い返せば、今までにも何度も注意された記憶がある。

 妻は本気で嫌がっていたんだ。なのに、俺は生返事するだけで、ちゃんと向き合ってこなかった。だから、こんなことになってしまった。


 でも、こんなキツい言い方しなくても良くない?


 という主張は呑み込む。


「ゴメン。俺、わかってなかった。ちゃんと気をつけるようにする」


 しかし、やっぱり睨まれる。


「五百円」

「え?」

「私がアナタの尻拭いをするたびに、ここに五百円を入れなさい!」


 突然取り出したのは貯金箱だ。


「アナタが何かを放置すると私はやらなくて良かった仕事が増えるけど、アナタは得をする。アナタも損をすべき! 罰があれば、真面目に取り組む気にもなるでしょ!」


 そんなことしなくても、もう重く受け止めてるよ!


 という主張は呑み込む。

 今までは気をつけてなかったから、色々なものを放置してしまったけれど、意識さえすればこんな問題はすぐに解消される。


 早く仲直りしたい!

 妻を無自覚に傷つけるのをやめたい!


 その一心で、俺は一生懸命気をつけて生活をし始めた。

 しかし。



「五百円」

「うわあー!」


「五百円」

「なんでっ」


「五百円」

「気をつけてるのに全然出来ない!?」


「五百円」

「ダメ人間……俺はダメ人間なんだ……」



 意識して生活しても、俺はティッシュもペーパーの芯も片付けられなかった。ショックだった。


 一生懸命やってるのに出来ない。

 これじゃ妻に「わかってない」、「真面目にやってない」と思われる。

 もっと嫌われる!




 どんよりしている俺に、ある日妻がホクホク顔でお菓子とコーヒーを持ってきた。


「貯金箱がいっぱいになってきたからお取り寄せしちゃった!」


 つまり、それだけ俺がやらかしたということだ。そのことを責められるかと思ったけど、妻が怒り出す気配はない。ルンルンしてて可愛い。


「ゴメン……」

 ほとんど反射的にこぼして、しまった、謝ったらまた叱られる、と身構えた。が、その気配もない。


「もういいよ」

「え?」

「私の言ったことを真剣に受け止めてくれたのも、頑張ってくれてたのもわかった。でも、アナタは片付けが出来ない。んじゃなくて、。じゃ、仕方ないなって」


 え? えっ!?


「やりっ放しで良いの……?」

「うん。納得した」


 …………わけがわからないぞ!?


「私もさ、ゴメンね。言い方キツくて」

「え?」

「普段から言い方がキツいって、同僚とかに言われるんだよね。怒ってる時だけじゃなくて。でも私にとってはこのしゃべり方が普通で、気をつけててもキツいって言われる時は言われる。多分、アナタにも嫌な思いさせてる時があると思う」


 シュンとした妻を励ましたくなった。でも、確かに妻の言い方をキツく感じることはあるし、嫌な思いをすることもある。

「そんなことないよ」と言うのは違う気がした。


「……俺、これからも、ちゃんと出来るように努力するよ」

「ありがとう。私も、ちゃんと出来るように努力するね」


 顔を見合わせて、ニコリと笑った。


 二人でお菓子をつまみ、コーヒーを味わう。

 深煎りのブラックコーヒーはどっしり苦くて、その後に食べるお菓子はより甘く感じられた。

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