死者の国で、君にさよならを

日華てまり

死者の国で、君に最後のさよならを告げる



 ――これは、さようならの挨拶も出来ないくらい、呆気なく死者の国へと旅立ってしまった君に、別れを告げる為の物語だ。




 *




「今日は仕事早く終わるから、夕ご飯一緒に食べようね! ハンバーグが食べたいな! じゃ、行ってきまーす!」


 そう言って、出掛けて行った君が、この狭い2DKの部屋の扉を開けることはもう二度となかった。


 ガチャリ、と玄関の扉を開けた僕は、電気もつけずに部屋に入ると、放心状態でソファの前へと座った。


 締め切った部屋の中で、ふと顔を上げると、写真立てに飾られている君と目が合った。


「…………まだ、実感がわかないんだ。君が、もういないなんて……全然思えなくて」


 その呟きに答える声などない。


「……そろそろ引っ越そうって話していたのにね。この狭い通路も、独りじゃ……全然困りそうにないから、引っ越しも必要なくなっちゃったな」


 いつものように、仕事が長引いていて帰って来れていないだけで、この扉が開いて、ひょっこり君がただいまって言うんじゃないかと、何度も何度も想像しているのに、君はまだ帰って来ない。


 何度も何度も、そうやって想像しては、君のいない朝を繰り返した。


「……小さくなっちゃったね」


 僕は腕に抱え込んでいたそ・れ・に語りかけた。


「ねぇ、本当にこの中に君がいるのかな……」


 そう言って骨壷を開けると、白いさらさらとした粉にそっと手で触れた。


 大きな声で呼び掛けても、ずっと眠ったままの君を見た。

 隣で眠って、色々話しかけたのに、君は返事をしてくれなかった。

 君が、大きな鉄の扉の中へ運ばれて行くのを、ただただ見つめることしか出来なかった。


 戻ってきた君は、小さな骨壷に入るだけの白い粉になっていた。


「…………夕ご飯。君と食べる約束をしたから、君が帰って来るのをずっと待ってたんだ。だけど、これが君だって言うのなら、もう待たなくてもいいのかな……?」


 二人分の食事の支度をしてみても、君が帰ってくるのを待とうとしては、食べることがないまま一日を終えた。

 いつの間にか、僕の手首は弱々しく痩せ細っていた。


 ごろんと倒れるように仰向けで寝転ぶと、山積みになっている洗濯物の山へと突っ込んだ。洗濯物の山の中で、バスタオルが救われる道を示すように、光って見えた。


(――これで首を吊ったら、君に会えるのかな)


 決して、それが最善だと思っていた訳では無い。死にたいと、考えていた訳でもない。ただ、疲弊しきった僕の心が、そこに可能性を感じたのだ。


(――君に会えるのなら、僕は……)


 近くに落ちていたバスタオルを拾うと、ドアノブへ結ぶ。痩せ細った首をバスタオルに通して、勢い良く地面を蹴った。


 今はただ、もう一度、君に会いたい。




 *




「ちょっと! ねぇ! ……さっさと起きろ、このあんぽんたんー!」


 少しだけ口の悪い、間の抜けた明るい声。僕が一番聞きたかった声。よく知っている声に急かされて僕は飛び起きた。


「その声、桜!?」


「当たり前でしょ。私が喋ってるんだから」


 そう言った君は、いつもみたいに、にかっと歯を出して豪快に笑っていた。


 ここは、天国なのだろうか。

 本当に君に会えた。僕は、ちゃんと死ぬことが出来たんだ。そう言おうとして、僕は口を噤んだ。何故だかそれを口にしてしまったら、君とこうして一緒には居られないような気がした。


「ねぇ、ユキ。デートしようよ! デート!」


 君がそう言うと、さっきまでは真っ白な空間だったのに、辺り一面が急に遊園地のように景色を変えた。


「デート……はいいけど、ちょっと待って。ここってどこなの?」


 ころころと景色を変えるような不思議な世界。やっぱり、ここが死後の世界なのだろうか。それにしては、僕と桜の二人しかいないな、なんて的外れなことを考えていた。


「ここ? ここはね、●●ししゃの国だよ!」


「●●ししゃの国……?」


 言葉は聞こえているはずなのに、君がなんて言っているのか理解が出来ない。この、喉に魚の骨がつっかえたような気持ちはなんなのだろう。

 それと同時に、何か重要なことを忘れてしまった気がする。どうして僕達はこんなところにいるのだろう。


「んー、なんかピンと来てないって顔してるなぁ……。ここはね、会いたい! って思っている人に会えたり、行きたい場所に行けたり、凄く素敵なところだよね。私もよくわかってないんだけどね」


「……うん。君と一緒にいれるだけで、最高な場所だよ」


「また、そうやってくさい事言っちゃって。……って、まぁ、私もユキに会いたいなぁってずっと考えていから、きっと会えたんだけどね」


 珍しく照れくさそうにしながらはにかむと、君は誤魔化すように、早く行こうと言って僕の手を引っ張った。


「凄いな……本当に遊園地みたいなのに、受付も誰もいないや……」


「二人占め、だね」


「そうだね。ここって、もしかして桜が来たかったの?」


「そうだよ! 私達って旅行する時に観光とかはよく行ってたけどさ、遊園地って行ったことなかったじゃない?」


 確かにそうだ。僕の小さな拘りだけど、遊園地の浮かれた空気感が気恥ずかしくて、桜が遊園地の話題を出してきても、やんわりと別の場所に誘導していた気がする。


 それにしても、こんなに遊園地を楽しみにしている桜が、いつものわがままで僕を連れ出さなかったことが不思議だ。もしかしたら、人混みが苦手な僕を気遣ってくれていたのかもしれない。


「なにしてるの! 早く早く!」


「そんなに急がなくても、なにも逃げたりしないよ」


「でもでも、時間はどんどん過ぎちゃうでしょ! まずは、あれに乗りたい! あっ、その前にあれつけたい!」


 近くにあったワゴンを指さして走っていく。あーでもない、こーでもないと、僕が追いつくまで悩んでいた桜は、手に犬の耳がついたカチューシャを二つ握っていた。


「……げ」


「げ、ってなによ! げ、って! こういうの恋人っぽくっていいでしょ! 私だってやってみたかったの!」


 ぷん、と効果音がついていそうな仕草で、君は頬をふくらませた。


「ユキ、こういうの苦手だったでしょ。だけど……今はここには私達しかいないんだから、ね? お・ね・が・い」


 あざといポーズで手を前で組んで、うるうると上目遣いで見つめられると、つい頷いてしまいそうになる。

 僕は君のその顔に弱いんだ。


「はぁ……わかったよ。今日だけだからね?」


「うん、今・日・だ・け・で・い・い・よ・」


 ふと、君が寂しそうな表情をしたように見えた。

 僕の気のせいだったのか、すぐに君は満面の笑みで自分と僕の頭にカチューシャをはめた。


「うん! すっごく、可愛い!」


「……ありがとう」


「ありがとうって思ってないでしょ?」


「思ってない」


「ふふっ、知ってる」


 こんなものをつけて、自分が浮かれた一員になったようで、まだ気恥ずかしいけれど、ここには僕らしかいないのだからと自分に言い聞かせる。

 それにしても、桜はもともと犬っぽいなとは思っていたけど、凄く様になっている。


「……なんていうか、桜はそういうの似合ってるよ」


「ありがとっ! でも、もう一声、欲しいかも」


「もう一声って?」


「ねぇ、私……可愛い?」


 こういう時、いつもの自信満々な姿は息をひそめて、少し自信がなさそうな君になる。それが、僕はどうにも愛おしい。

 そんなふうに不安になる必要なんてないのに、君はいつだってそのままの君で可愛らしいんだから。


「可愛いよ。桜はいつも可愛いよ」


「んなっ! ……ほんと、ユキってずるい」


「何が? 僕は思ったことを言ってるだけだよ」


「それがずるいの。ユキの言葉は嘘じゃないってわかるから、だからずるいの」


 頬を紅く染めた君が、コーヒーカップへ向かって掛け出した。


「まったく、君はいつも照れ隠しが下手だなぁ」


 初めての遊園地だというのに、コーヒーカップをくるくるとまわして、はじけるような笑顔ではしゃぐ君しか、僕には目に入らない。

 ここが遊園地だろうと、どこだろうと、君さえいれば僕には関係ないんだろうな。そう思うと自分でも馬鹿だな、と笑えてくる。


 君が僕の腕を掴んで、楽しそうにいろんな乗り物に乗ろうとするから、僕は振り回されるようについて行った。

 なんだか、こんなに楽しい時間は久しぶりな気がする。


「お腹減ったねー! 私、ハンバーグが食べたい!」


 君がそう言うと、道を曲がった先に都合よくハンバーグ店が現れた。


「あれ。桜ってハンバーグ、好物だったっけ?」


「ん? 好きだよ。別に好物っていうほどじゃないけど、なんで?」


「……いや、なんでだろう。そんなこと聞いたこと無かったよな、とは思うんだけど。なんか、ハンバーグが食べたいって何度も聞いたような気がしただけ」


「ふーん。変なユキ」


 君が笑う。つられて僕も笑った。でも、なんでハンバーグが好物だなんて思ったんだろう。君がハンバーグを食べたいって言ったのなんて、数える程しか聞いたことがなかったはずなのに。


 考えにふけっていたからか、すぐに熱々のハンバーグが目の前に現れた。


「わー、美味しそう! いっただきまーす!」


 元気よく、桜がハンバーグを頬張った。

 それを見て、僕はなぜだか目頭が熱くなった。


「ユキ、食べないの?」


「食べるよ」


「早くしないと冷めちゃうよ」


 君に早く早くと促されて、僕はしっかりと両手を合わせる。


「…………いただきます」


 久しぶりに食べたハンバーグは、今まで食べたどんなものより美味しくて、僕はきっとこの味をずっと忘れないだろう。

 そんなことを思った。




 *




「ねぇ、ユキ! 最後はやっぱりあれでしょ! 私、観覧車に乗りたい!」


 気づくと、空が暗くなっていて星と月が輝き出していた。遊園地も来た時とは姿を変えて、キラキラとメリーゴーランドが鮮やかな色で輝いている。


「……夜、だ」


 いつのまに、夜になっていたんだろう。

 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうんだな。

 多分、それだけのことなのだけれど、僕は何かわからない違和感がぬぐいきれない。


「ねぇ、桜。僕、何かを忘れている気がするんだ」


 はっ、と桜が切なそうに目を細める。


「……ユキ、何を忘れてると思う?」


「なんだろう。わからないけど、なんか思い出そうとすると嫌な感じがする……」


 そうだ。

 そもそも、どうして僕達は遊園地にいるんだったっけ。

 僕は遊園地が苦手だったはずだし、桜もそれをわかっていたはずで、僕達が遊園地に遊びに来るなんてどういう流れだったのか、思い出せない。

 僕は、何を忘れているんだろう。


 思い出さなければいけないはずのに、胸の奥がざわざわする。考えれば考えるほど、言い表せない不安な気持ちになった。


「ねぇ、ユキ。……思い出す前に、最後に観覧車、乗ろ?」


 君は今にも泣き出しそうな表情で、僕の手を握った。

 握ってきた君の手は、とても冷たかった。


「……桜、どうしたの?」


「……ううん、なんでもないよ。なんでもないから、ね。おねがい」


 僕は、君のお願いにとても弱いんだ。


「わかった。今は聞かないから、観覧車に乗ろう。ね?」


「ありがと……。こんなことしてたら、時間がもったいない。よし! 行こう!」


 君は、ぱしんと自分の頬を叩いて、誰がどう見ても空元気とわかる大きな声で掛け声を出すと、僕の手を握ったまま走り出した。


「ユキ! 早く早く! 観覧車が逃げちゃうよ!」


「ちょっと、観覧車は逃げないから。そんなに急がないでってば」


 今はこの空元気に付き合って欲しいんだろう。僕は、君の目が赤くなっているのに気づかないふりをした。


「わぁ、見て見て! あそこ、最初に乗ったコーヒーカップ! ジェットコースターもキラキラ光ってて綺麗!」


「本当だ。あっちのイルミネーションのところ、桜が何も無いところで転んだ場所じゃない?」


「なんでそんなこと覚えてんの……!」


「あはは! だって、夢中になりすぎて前も見えてなくてさ。あんな何も無いところで転けるなんて、可愛いなと思って」


「今の可愛いは馬鹿にしてる気がする!」


「そんなことないよ。……ふふ」


「ほら! また笑った!」


 他愛のない話で盛り上がっている間に、観覧車は頂上へと近づいていく。

 こんなに声を出して笑うのも、なんだか随分懐かしい。

 懐かしいって、なんだろう。


 物思いにふける僕を見て、君が悲しそうに問いかける。


「ねぇ、ユキ……。もう、わかってるんでしょ?」


 わかっているって、なんのことを言っているんだろう。

 月が照らしている桜の顔から笑顔が消える。


「……何が?」


「……私がもう、いないってこと」


「何を言ってるんだ? 桜はここにいるじゃないか」


 ふるふると首を振って、君は自嘲気味に微笑んだ。


「ううん、もういないんだよ。だって、私……死んじゃったんだもん」


 ドクン、と心臓の音が波打つ。嫌な汗が手に滲み出して、心臓の音がドクンドクンと次第に大きくなっていく。


「何、馬鹿なこと言ってるんだよ……」


「ここで過ごしてるうちに、忘れちゃってるよね」


「何を言って……」


「そろそろ、ユキも思い出せるはずだよ」


 君の言葉で、走馬燈のように君と過ごした最後の日がフラッシュバックする。

 そして、思い出してしまった。君の死んでしまった日のことを。


「…………ぁ」


 声にならない声が洩れる。

 そうだ、どうして忘れていたんだろう。いつの間に分からなくなっていたんだろう。

 僕は君の死を受け入れられなくて、自殺したんだ。


「ここはね、死者の国。なんだよ」


 死者の国。最初に聞いた時に理解が出来なかった言葉が、今はすんなりと理解が出来る。


「……うん」


「本当なら、死んだ人だけが来れるところ、なんだよ……」


「……うん」


「ねぇ……ユキは、どうしてここに来たの……?」


 君もわかっているんだろう。僕の手を握る君の手が震えていた。


「…………君に、会いたかったから」


 僕は真っ直ぐに君の目を見つめて言った。


「君のいない世界は、僕には耐えられなかったから……」


 そっか、と言うと、君は少し嬉しそうな、悲しそうな表情で笑った。


「…………ありがとう。私も、ユキに会いたかったよ。もう、二度と会えないと思っていたから、会えてよかった。でも……もう、さよなら……しよ?」


 思いもよらなかった君の言葉に、僕は動揺を隠せなかった。


「……なんで! 僕も、死んだんだろ。それなら、さよならなんて必要ないじゃないか! 死者の国で、ずっと一緒にいよう。二人で、一緒にいればいいんだよ……!」


 今にも泣き出しそうになりながら振り絞った僕の言葉に、ふるふると君は首を横に振った。


「……駄目だよ。……だって、ユキは死んでないんだもん」


「……死んで、ない……?」


 確かに僕は自殺した。それに、君のいるこの不思議な世界は、どう考えても死後の世界だ。


「最初にさ、死者の国って私が言った時、聞き取れてなかったでしょ? あれね、ユキはまだ死んでないから、なんだよ。ほら……臨死体験ってやつ。ユキは今、生と死の狭間にいるの」


 死者の国とは、三途の川のようなものなのだという。それはつまり、僕はここで君と一緒に死ぬことも選べるということだ。


「それなら、このままここにいれば、僕も……!」


「……そう。そろそろ、タイムリミットなの……」


 君が、窓の外に見えている月を指さした。

 観覧車が進む度に、だんだんと月が欠けてゆく。


「あの月が全部見えなくなったら、ユキも死んじゃう。きっと、この観覧車が下につく頃には、ユキも私も消えちゃう」


 観覧車の外を見下ろすと、地上が刻々と近づいてくる。


「こんなところまで、追いかけてきてくれてありがとう。本当は怒らなきゃって思ってたけど……多分、私も逆の立場だったら同じことしてたから、怒れないや」


 やめてくれ。そんな、本当に最後のお別れみたいなことを話さないでくれ。


「もう一度会えて嬉しかったのは本当だよ。私だって出来ることならずっと一緒にいたい。でも、ユキには生きていて欲しいの。……大好きだから」


 君は、いつも通りの笑顔でそう言って立ち上がると、僕の頬をそっと掴んでキスをした。


「ユキ。ユキはまだ、あったかいよ」


 君の触れた場所が冷たい。僕だけがまだ、生きている。それを思い知らされる。


「私の最後のわがまま、聞いてよ」


「嫌だ!」


「ユキ、生きて」


「嫌だよ!」


「ねぇ、お願い。ユキは死なないで……」


 君の涙が月明かりに照らされて、キラリと頬を流れ落ちた。


 あぁ、ずるいのはいつも君の方だ。

 僕は、君のお願いに弱いんだから。


 くしゃりと顔を歪めて、それでも精一杯の笑顔を向けて、僕は君の頬をつたう涙を拭った。


「……僕がおじいちゃんになったら、会いに来てもいいかな」


 それは、遠回しな宣言だった。

 君の涙で滲んだ瞳が、輝いた気がした。


「……うん、待ってる」


 僕は、力強く君を引き寄せて、ぎゅっと抱き締めた。

 君とのさよならを忘れないように。


「…………もう少しだけ、生きてみるよ」


「……うん」


「君のいない世界は、まだ呼吸がしづらいけれど」


「……うん」


「桜。少しの間、さようならだね。……僕も君のことが大好きだったよ」


「……うん。知ってる!」


 最後に見た君の顔は、涙でぐしゃぐしゃだったけれど、まるで花が咲いたような笑顔が、最高に綺麗だった。




 *




 ……ピッ、ピッ、ピッ――



 目を覚ますと、自分の腕に繋がれた点滴と白い天井が見えた。そして、僕の心臓が今も動いているのだと知らせる音が部屋の中に響いていた。


「……! 目、覚めたのか! おい、聞こえてるか、このバカ!」


 重たい身体を起こして、怒鳴り声のする方を向くと、そこには涙を浮かべる友人が立っていた。


「……お前は!」


 友人は何かを言いたそうに握りしめた拳を振り上げたが、僕の顔を見ると叫ぶのをやめた。


「……ごめん。心配かけて」


「本当にな、馬鹿野郎……」


 こんなふうに心配してくれる相手がいる事にも、あの時の僕は気づけていなかった。


「確かに、僕は大馬鹿野郎だな……」


 桜がいなくなってしまった日も、葬式をした時も、そばにいてくれた。何も食べようとしない僕をみかねて、食事に誘ってくれたりしていたのに。僕は、今更ながら友人の有難みを感じながら、最後の桜の笑顔を思い出した。


「さよならって、やっと言えてよかった……」


「え?」


 何の話だと、友人がきょとんとした表情で僕を見ている。


「なぁ、わがまま言ってもいいかな」


「なんだよ……」


 出来る範囲なら言ってもいいぞと言ってくれる友人は、やっぱり凄く良い奴なんだと思う。


「……ハンバーグが食べたい」


 僕がそう言うのを聞くと、友人の表情が少し明るくなった気がした。友人は血相を変えて病室を出て行くと、ぜぇぜぇと息を切らして戻ってきて、コンビニで買ったハンバーグを僕の前に突き出した。


「食え!」


「…………ありがとう」


 僕は、口いっぱいにハンバーグを頬張った。

 久しぶりに食べたハンバーグは、弱った身体には脂っこくて、味も濃すぎて、決して美味しくなかった。

 それでも、僕はハンバーグをかきこんで食べた。


「僕は、生きてるんだな……! 生きなきゃいけないんだよね……!」


 なぜだか、涙が溢れて止まらなかった。

 君がいなくなってから、初めて流す涙だった。

 僕は子供のように、わんわん泣きじゃくりながら、ハンバーグを頬張った。




 君と最後に食べたハンバーグの味を、僕はずっと忘れないだろう。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死者の国で、君にさよならを 日華てまり @nikkatemari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画