父に出した条件

「お父様、どうして今日この話を?」


 一之介はまた背もたれから身を起こした。


「兄妹で何かをしていることについては、前から気付いていた。

 真紀子も知らないと言うから、単純に何か大学の研究に妹を駆り出しているのかとも思ったが、私への嫌悪から商売敵に情報を売り渡したりしている可能性もある、とも考えた。


 尾行をつけたり、部屋を調べたりしたのもそれが理由だ。すまなかった」


 総一郎は表情を変えなかったが、なるほど、と思っていた。


「そうしたら今日、リヤカーを引っ張っている君を見て、度肝を抜かれた。

 その時は、一体何をやっているんだとか、世間体がとか、学生のお遊びで仕事が出来ると思っているのかとか、否定する気持ちしかなかった。


 けれど別れ際の瞬間、隣にいたお嬢さんの思考が読めてしまった」


「たしかに、距離的には彼女とあなたはそれくらい近かったかもしれない」


「ああ。彼女の心の中はすごかったよ。

 君とやっている仕事が大好きで、何がなんでも続けたい。私が攻撃的になったら君を守ろう。そして……」


「それ以上は言わないでください。僕は知るべきじゃない」


 総一郎の制止に、一之介は悲しそうに頷いた。


「そうだな。自分の能力について二十年ぶりに人に話したから、つい話し過ぎてしまった。

 人の考えなど、知るのは私だけでいい。


 とにかく、あの時読んでしまった彼女の心にはただ一点の曇りもなかった。私はそれで、心を強く揺さぶられたんだ。


 いつの間にか総一郎は、信頼できる相手を見つけて、自分の足で立てる人間に育ったんだな、と思った。私が親としての役割を放棄している間に、大人になったんだと急に実感した。


 そうしたら一気に、これまでの自分が客観的に見えて、なんてことをしていたんだ、と思った。


 だからこれは、贖罪の告白だ。許してくれるとは思っていないよ。ただ聞いてくれてありがとう」


 いつの間にか炭に近い色になった薪が、大きなパチンという音と共に爆ぜた。

 総一郎はそのまま長い時間ソファにかけ、一之介と二人、炎の様子を見ていた。やがて一本、二本、と薪が燃え尽き、部屋が少しずつ冷えてきた時、ようやく口を開いた。


「僕は、やっぱりお父様を許すことはできません。その話一つで、僕がこれまで何年も感じてきた悲しみや絶望感は消すことができないから」


 一之介が黙って頷いた。


「同じように特別な能力があるからこそ、突然発現した能力に戸惑い、悪夢にうなされたり体力を消耗して寝込んだりする僕たちを支えてほしかった。


 親が当然に我が子に愛情をかけるように」


「すまなかった」


 一之介が声を絞り出した。


「だけど、人としてはこうして今日、自分の一番弱い部分をさらけ出し、謝っているあなたが正直なところ嫌いではありません。


 これは、心を読まれてもいい本音だ」


「読まないよ」


「ええ、もしもの話です。

 だから、あなたとは新しい関係を築いて付き合っていきたいと思っています。


 普通の親子とは違うかもしれませんが、この先仕事や人生のことで迷った時はあなたに相談したいし、あなたのことをもっとちゃんと知っていきたい」


 総一郎の眼前で、一之介の眼に涙があふれた。


「本当か?君たちの子ども時代を踏みにじった私に、チャンスをくれるのか?」


「僕はもう大人です。この先自分で稼ぎ、家庭を持って生きていくにあたって、相談できる存在になってください。


 父親というよりも……そうですね、人生の先輩という立場で」


「できる限りやろう。ありがとう、総一郎。ありがとう」


 一之介はそう言い、膝に手をつき、テーブルにあたりそうになるほど頭を低く下げた。


「お父様、早速ですがいくつかご相談とお願いがあります」


「なんだ」


「まずは、僕の事業のこと。

 これは続けさせてほしいのです。この一年、仲間と共に心血を注いで取り組んできて、先日はじめて製品が店頭に並びました。


 芝山の方もちゃんとやりますので、どうかこれに関しては許可をいただきたい」


「もちろんそのつもりだ」


「次に、今夜事業内容を説明します。

 もし事業として可能性があるのであれば、出資をしてください。


 これは、『父として』や『これまでひどいことをしたから』といったことには関係なく、純粋に事業の価値として判断してほしいです」


「聞かせてもらえるのであれば、是非そうしよう」


「あと二つあります。

 僕が芝山を継ぐ時、紅を家に縛り付ける条件は取り払ってください。紅には自由に生きる権利があります」


「それについては、先程考えていた。

 しかし総一郎は、不安じゃないのか?軌道に乗るまでは紅に『光』を見させた方が、確実じゃないか?」


 一之介は心配そうに言う。無理もない。これまで十年以上、経営判断の重要な部分を紅の能力に頼ってきたのだ。


 だが総一郎ははっきりと言った。


「例えば紅が嫁に行き、それでも能力が消えず、事業を手伝いたいと言うのであれば、喜んでそれを受けましょう。

 けれど嫁に行ったら消える、というのも仮説に過ぎず、極端な話、明日能力が消える可能性だってあるのです。


 だから僕は、能力に頼らない経営をしたい。僕自身の能力だって同じです。

『夢』を見て、何か良い閃きを得たらもちろんいいけれど、なければないで良い」


 黙って腕を組んで考えていた一之介がふっと力を抜いた。


「そうだな、総一郎。そうだなあ。この期に及んでも私は、そんなことにも気付けなかったんだな。情けない」


 一之介は一人で何度も頷いた。


「今日総一郎にしている話は、紅にもするつもりだ。十分貢献してくれた紅には、学校を卒業したら自由に進路を決めていいと伝えよう」


「はい、紅もきっと喜びます」


「それで最後の一つは何だい?」


「僕の結婚相手は、僕に決めさせてください」


 これは想定していなかった願いだったらしく、一之介は少し面食らった表情を浮かべた。そして直後に、何か思い当たったような顔をして口元を緩めた。


「総一郎、もしかしてあの子……」


「それ以上は言わないで、いいのか駄目なのかだけ答えてください」


「あ、うん、いい。そうかそうか」


 拍子抜けするほどあっさりと了承した一之介は、総一郎に対して明確に笑顔を浮かべた。

 暖炉の火のせいだ、と誤魔化しきれないほど顔が赤くなるのを感じ、総一郎はぶすっとした声で


「心が読めることを悪用しないでください、お父様!」


 と言いつつ、十五年ぶりに見る父の自然な笑顔に、驚くほど前向きな気持ちになっていた。

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