秘密

「お父様、あなたもなんですね」


 総一郎と一之介の視線が交差した。


「あなたにも、特別な能力があるんですね」


 炎に照らされた一之介はふっと力が抜けたように微笑み、


「さすがだな。総一郎は本当に賢い」


 と言った。


「私には、六歳の時に発現した能力がある。


 これは、真紀子も知らない。君の祖母、つまり私の母しか知らない」


「お父様の能力はどのようなものなのですか」


「私は……」


 一之介はなぜかそこで小さく肩をすぼめ、総一郎から目線を外して黙って暖炉の火を見つめた。常に偉そうな一之介のそんな姿を見るのは、総一郎にとって初めてのことだった。


「私は、人の心が読めるんだ」


 腕を組むというのはある種、人間の防御本能による行動だ。

 総一郎は無意識のうちにそうしてしまったことに気付き、さりげなく腕を解いた。誤魔化すように飲んだウイスキーが喉を滑り落ちていき、熱さという余韻だけが残っている。


「読めると言っても、一言一句言葉が伝わってくるわけじゃない。

 だって人間は、考える時に頭の中できれいな文章を創り出しているわけではないだろう?

 思考はもっと混沌としている。


 ただ、何について考えていて、それに対してどんな感情を抱いているかという情報が塊になって私の頭に飛び込んでくるというのが正しいだろう」


「……たとえばパーティーのような、たくさんの人間がいる場でもそれは起こるのですか」


 総一郎の問いに、一之介は頷いた。


「ああ、起こる。

 けれど距離は関係があるから、会場中のすべての人の思考が分かるなんてことにはならない。発動範囲は私の周囲1メートル半程度といったところだ。


 ただ天候や月の満ち欠け、それに自分の健康状態で変動するから、この歳になっても完全に予測がついているわけじゃない」


「さっき僕が来た時、わざわざソファの座る位置を指定したのは……」


「こんな話を、心を読まれながら聞かされるなんて嫌だろう?」


 肩をすくめてそう言うと、一之介は暖炉に向けていた視線を総一郎に戻し、まっすぐ目を見た。


「君と紅が生まれてきた時、私はこの世にこんなに嬉しいことはあるのかと思った。

 元気に泣いて、よちよち歩いて、やがて話し始めるのを見て、言い尽くせない幸せを感じていた。


 それなのに、出世欲にまみれた自分の醜い心に蝕まれてしまった。

 いつか君たちが自分のような感情を抱く日が来た時、それを覗き見てしまうことを考えると、耐えられなくなってしまったんだ」


 また一口ウイスキーを口に含み、一之介は続けた。


「それだけではない。

 人は、平気で嘘をつく。笑顔を向けた相手を陥れようとするし、幸せな話を聞きながら嫉妬でひそかに不幸を願っていることもある。


 道端で物乞いをしている子どもを見て、『自分でなくて良かった』としか考えていない人の、いかに多いことか。


 利発で心優しい君たちの心が汚れていくのを見られない、と思った私は、最悪の決断をしてしまった。


 君たちと会って心を読んでしまう機会を極限まで減らそう、そして……」


 話を止めた一之介は、勇気を絞り出すかのように大きく息を吸い込み、一気に言った。


「私の前で他の感情が表れてしまう隙もないくらい、私への嫌悪で心を満たしてしまおう、と」


「なぜですか?愛情で満たすことだってできたはずだ。どうして負の感情でなくてはいけなかったのですか」


 総一郎は、思わず強い口調になってしまう自分を止められなかった。


 頑張っても認められず、嘲るように笑われ、父の反応に困惑し、悲しみに暮れていた少年時代を思い出す。

 そんな自分の心の動きを把握していたなら、もっと早く過ちに気付いても良かったのではないか。


「はっきり言って、お父様が望んだように、僕はあなたに対して強い嫌悪感を抱きながらこの一年を生きてきました。

 あなたがめんどくさそうに『お前を後継ぎにする』と言った、あの日からです。


 けれどそれまでは何年も何年も、あなたに褒めてもらえるようにとひたすら努力してきた。

 そんな僕の心を覗いて、何も思わなかったのですか」


「思ったことは何度もある。それでも私は、自分がむちゃくちゃに壊した親子の関係性を修復する努力をしなかった。


 自分の濁った心と、他人の負の感情、そればかりに目を向けてしまって、愛情や優しさを軽視するようになっていたんだ」


「お母様は」


 総一郎は、頭を抱えて顔を大きく歪めた一之介に言った。


「お母様は、あなたが変わってしまった後も一切あなたのことを悪く言わず、庇っています。

 彼女の『愛情や優しさ』には、何も思わなかったんですね」


「真紀子は、特別だ」


 そう言って一之介は黙ったが、総一郎は沈黙で続きを促した。


「真紀子は、私がこれまでに出会った人間の中で最も裏表がない人間だ。幼なじみだが、真紀子が他人に対して攻撃的な感情を抱くのは、ただの一度も見たことがない。


 彼女は特別なんだ。いや……」


 一之介は急に力が抜けたようになってソファの背もたれに身を投げ出し、両手で顔を覆った。


「違うな。真紀子だけが特別だ、むしろ特殊だ、という思い込みが私をこんな人間にした。

 世の中には素晴らしい人格を持った人が多くいるのに、そのことに目を向けなくなった。


 真紀子ほどではないけれど、悪しき感情に支配されていない人だってたくさんいるんだ……」


 そこまで言い、動かなくなってしまった一之介を見ながら総一郎は考えていた。


 良い意味でも悪い意味でも常に堂々としていて、最低限まで削ぎ落された会話しかしなかった父親が、今目の前ですべてをさらけ出している。獅子だと思っていた存在が、実は獅子の皮をかぶった幼い人間の子どもだったと言われたような気持ちにすらなる。


 ではこの告白を受け、自分はどうしたいのか。それを定める前に、もう一つ確かめたいことがあった。

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