妄想と現実
「紅さんとお母様は彼が誰だか分かったようですね」
一階上がったところにある応接室に着くとすぐ、山崎が話を振ってきた。
「あれは林昌蔵さんですね。彼があの襲撃を計画したということですか?」
真紀子が無表情なままで質問をする。山崎はその問いには触れず、総一郎を見た。
「お兄様は、ご面識がなかったですか?」
「ええ、まったく」
「そうですか」
脇に抱えていた帳簿のようなものから紙を取り出した山崎は、自分だけに見えるようにそれを隠しながら話し始めた。
「お母様がおっしゃるように、あれは林昌蔵です。
事件があった日以降、実行犯二名の取り調べを進める中で依頼人との接点が分かってきました。しかし二名とも依頼人の身元は知らなかったため、聞き込みや調査でここまで一か月以上時間がかかってしまいました」
「接点は何だったんですか?」
総一郎が聞くと、山崎は顔を上げて答えた。
「カルタ賭博で負けが込み、首が回らなくなっていたところで賭博の胴元から話を持ちかけられたそうです。
ある人物からの依頼を引き受けるなら、借金は帳消しにしてやる、と。その人物というのが林でした」
どこにでも転がっていそうな話だ、と総一郎は思った。
傍目には地獄への階段としか思えないような誘いに乗るほど、実行犯2名は追い詰められていたのだろうか。そう想像した総一郎の心を読んだように、山崎が続けた。
「捜査をしていくうちに判明したのですが、この胴元というのが、もともと林の資金を下でに違法の賭場を開いた人物でしてね。
恐らくですが、最初から二人を陥れようとして賭けを操っていたようです」
「なるほど」
総一郎は納得し、頷いた。山崎は、視線をずっと総一郎に向けたままだ。
「それでね、お兄様……芝山総一郎さん」
「はい」
「なぜそこまでして紅さんを襲ったのか、という点について、林はこう話しています。
芝山一之介さんが、紅さんの『特殊な力』を使って事業を急拡大している、と」
「はあ?特別な力?」
言っていることが理解できない、という風に総一郎は眉をひそめた。
「そうです。紅さんには国家として活用できる程の『特殊な力』があるが、それを私利私欲のために独占している、と。
だから犯罪者は自分ではなく芝山の皆さんだ、自分は国のために動こうとしない皆さんに天誅を下しているだけだ、というのが林の主張です」
総一郎は話を聞き、特殊な力があるのは紅だと林が特定していたことを認識した。
芝山家を狙い、無差別に襲った相手が偶然紅だった可能性も考えてきたが、狙ったものだったらしい。
父の一之介が公の場に連れて出る頻度を見て、推測を立てたのだろうか。
「それで、その荒唐無稽な話を警察の皆さんは信じていらっしゃるのかしら」
ややきつい口調の真紀子が話に割り込んだ。
「いいえ、林はひどくアルコールに脳を冒されているようでしてね。幻覚も見ているようですから、基本的には妄想だろうと考えています。
ただ、……」
「ただ、なんでしょうか」
総一郎が抑揚のない声で先を促す。
「林がそう考えるに至った経緯というか、思い当たる節はありませんか?」
「国家が欲しがるような特殊な力ですか?」
「そんな大層なものでなくても、林が紅さんに目をつけるきっかけとなったのは何か、私たちも知りたいのです」
山崎はそう言って紅の方に向き直った。
「紅さん、林とはどこで会ったのか、何度会ったのか、そしてどんな話をしたのか教えてください」
これまで母の手を握りしめながらじっと話を聞いていた紅は、思いのほかはっきりした声で答えた。
「九月に、東京會館の政党関係のパーティーで初めてお会いしました。
父と林さんは言葉を交わしていましたが、私は特に話しておりません」
「お父様の関係の会合に同伴されることは、よくあるのですか?」
「ええ、月に一、二回は。襲われてからは行っていませんが」
「総一郎さんも同じような頻度でご同伴されるのですか?」
鋭い質問だったが、総一郎は何食わぬ顔で答えた。
「私の方が少ないですね。別の会合に出ている母の代理として、紅が行っているからです」
「なるほど。それで、そのパーティーの時のお父様と林の会話は覚えていますか?
紅さん」
山崎は納得したのか、すぐにまた紅の方を向いた。
「一晩で何十人もの方とご挨拶するので、詳しくは……」
「けれどあなたは先ほど、鍵穴から覗いて林を見た瞬間に体を強張らせていました。
それは何かを思い出したのではありませんか?」
「ええ」
紅はそう言って一度口をつぐんだ後、小さな声で言った。
「パーティーの時よりも、目が更に淀んでいてぞくっとしたんです」
「目、ですか?」
いささか拍子抜けしたような声で山崎が言った。
核心に迫れるかもしれない、と意気込んだ時に「目」と言われたものだから、無理もないだろうと総一郎は思う。
「ええ、パーティーにいた誰よりも白目が黄色く濁っていたので、強烈に印象に残っていました。
父に何か嫌味を言いながら、どろりとした目で私をじっと見てきたので、とにかく気持ちが悪かったのを覚えています」
「なるほど……もしかすると、その時点ですでに紅さんに目をつけていたのかもしれませんね」
「山崎さん、気分が悪いです。少し休憩してもよろしいですか」
紅が俯きながら早口で言う。
「あっはい。嫌なことを思い出させてすみません」
慌てて謝る山崎を前に、紅は真紀子に寄りかかってそれっきり何も話さなくなった。
「それで、今後に関してはどのようになるのでしょうか」
総一郎の問いに、山崎が帳簿に紙をしまいながら答える。
「犯行について自白していて、実行犯の証言もありますので、このまま刑事訴追されることになるでしょう」
「他に関係者はいないということですね。賭場の胴元は罪に問われないのですか?」
「そちらは違法賭博の容疑ですでに引っ張っています。
今回の件については、殺人や傷害の依頼をするとは知らなかった、と言い張っていますので立件できるか分かりませんが、林の証言次第でそれも可能になるでしょう」
「いずれにせよ、しばらくの間表には出てこないということですね」
「ええ、ここだけの話、余罪が山ほどありますので……」
総一郎は頷いた。
「わかりました。私たちで何か協力すべきことがあれば、お知らせください。
早期に解決してくださってありがとうございました」
「そう言っていただけるとありがたいです。またお話を伺うかもしれませんので、その際はご連絡します。
お父上にもお話を伺うことがあるかと」
「もちろんです」
総一郎は薄く微笑んで立ち上がった。
「お母様、紅、帰りましょう。紅、僕がおぶるよ」
「大丈夫、歩けるわ」
紅は弱々しい声でそう言い、真紀子に支えられながら立ち上がった。
迎えに来た車に乗った三人は、車が小石川を遠く離れて神楽坂にさしかかってようやく、ぽつぽつと話をし始めた。
「林が、妄想と現実がごちゃごちゃになっている状態で良かったわ」
紅が言った。
「ああ、何を言っても妄想だと捉えられるだろうな」
総一郎が答えると、紅が頷く。
「それにしても、アルコールを飲みすぎるとそれほどにおかしくなるものなのかしら。
それに昨晩から警察署にいるようだけれど、まだ顔が赤黒かったわ」
「林は肝臓を傷めていると思うわ」
真紀子が静かな声で言った。
総一郎は、いつも上品で礼儀正しい美津子が「林」と呼び捨てにしたことに、母の大きな怒りを感じた。
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