がっしりした腕

 ひとしきり話した後、玄関まで出てきた道子と優子に見送られ、茉由子と総一郎は坂東邸を後にした。


「なんとも、元気な方だ」


 カフェーマグノリアに向かって歩きながら総一郎が言った。宣伝方法について聞きたい、と言って茉由子が誘ったのだ。


「優子さんが八歳の時に旦那さんが亡くなって、そこから女手一つで育てながら事業も成功させたって」


「ええ、そうおっしゃっていましたね」


「あの胆力、柔軟性、茶目っ気。すごい方だよ」


「私もあんな風に年を取りたいです。あ、ここを曲がりましょう」


 勢いよく方向を転換した茉由子は、道路の敷石が一つ抜けているのに気が付かなかった。


「ひゃっ」


 バランスを崩し、転倒を覚悟したところで総一郎の腕が茉由子の肩を支えた。


「大丈夫?」


「あ、ありがとうございます」


 礼を言いながら、茉由子は総一郎の腕の感触が頭から離れず、顔が真っ赤になるのを感じた。総一郎は細身だが剣道で鍛えているだけあって、意外なほどにがっしりした、男の腕だった。


「この通り、舗装を補修しているところみたいでところどころ石が飛んでいるね。またつまづくと危ないから、つかまっていて」


「はい……」


 総一郎が差し出した腕に、茉由子はそっと手を添えた。なんだか分からないが、緊張してたまらない気持ちになる。


(落ち着くの、これはただの転倒防止)


 自分にそう言い聞かせるが、じんわりと伝わる総一郎の体温で、ますます鼓動が早くなる。


(総一郎さんは、きっと涼しい顔をしているんだわ)


 そう考え、こっそり総一郎を横目で見た茉由子は、総一郎の耳が真っ赤なのを見て混乱した。


(緊張している?総一郎さんも?)


 茉由子は何を話せばいいか分からなくなり、黙って歩いた。

 総一郎の反応についてひとつ思いあたる可能性があったが、彼の立場を考えると自惚れ甚だしく、ありえないだろう。


(寒くて耳が赤くなっているだけ、ただ寒さでそうなっているだけ……)


「着いたよ、ここでいいんだよね?」


 思考に耽っていた茉由子は総一郎の言葉で我に返った。


「そうです、ここです」


 そっと腕から手を話した茉由子の頭には、なぜか夏の暑い日に表参道で共に過ごした後、車を見送ってくれた総一郎の笑顔が浮かんでいた。




「カフェーマグノリア、食事が本当に美味しかった。お父上によろしくお伝えください」


「ええ。それじゃあまた、ご連絡しますね」


「僕も。あと、そのリボン愛用してくれてありがとう。とても似合ってる。それじゃ」


 会った時から言いたかったその一言が、やや早口になってしまったことを総一郎は後悔していた。


(ちゃんと目を見て言えば良かった)


 茉由子を降ろした後のタクシーの中で、総一郎は一人頬杖をつく。

 あわやこけそうになった後、何も考えず腕に掴まるよう伝えたが、いざ茉由子の手が添えられた瞬間、意識の全てがそこに集中してしまった。


 さりげなく、もしくはあからさまに触れてくる女性など山のようにいるが、特に心を乱されることなく、感じ良く離れることに集中できていた。

 しかし好きだと自覚した女性が相手だと、こうも違うのか。


 総一郎はそう考えながら、茉由子が手を添えていた自分の腕をそっと撫でた。


 久々に茉由子に会い、総一郎は自分が彼女の何が好きなのか、うっすら理解できてきた。


 茉由子はいつでも安定しているのだ。


 何かがうまく行かず落ち込んでいる時も、くさったり投げやりになったりせず、次の一手を考えて常に前を向いている。それに、相手の身分によって態度を変えるようなことをしないところが総一郎の価値観と合っていた。


 どちらも言葉にするとありふれて聞こえてしまうが、そうではない。自分で自分の機嫌を取れない人、相手を値踏みし、格下だと判断した相手を露骨にぞんざいに扱う人で世の中はあふれているのだ。


(彼女は、僕の気持ちに気付いただろうか)


 気付いて、自分のことを意識してほしい。自分のことを思い出して、考えてほしい。好きになってほしい。

 水が湧くかのように欲望が強くなっていくのを感じ、総一郎はため息をついた。



(事業、紅、家業、「光」のこと。課題や問題が山積みなのに、僕の心は完全に持っていかれている)

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