渋い反応
はじめの方に試供品を配った店を再訪問し始め、数日が経った。
簡単にいくと思ってはいなかったが、予想以上に反応が渋く、茉由子は落ち込んでいた。
「試供品?そんなのもらったかな。今度はちゃんと試すから、また置いていっておくれよ」
「あれ、言わなかったっけ?うちは美成堂さんと専属契約を結ぶことになったから、他の所の製品は扱えないんだよね」
「私はかなりいいなと思ったんだけどさ、お父ちゃんがほら、大きい会社さんでないと取引したくないって言うからさ。悪いね」
理由はさまざまだが、芳しい反応は一つもなかった。
(このままみんなに断られたらどうしよう)
帰宅した茉由子が暗い気持ちで自宅の門を開けようとしていると、
「西條さん、小包ですよ」
と後ろから声をかけられた。振り返るとこの地区を担当している郵便局員だ。
「ありがとうございます」
お礼を言いながら茉由子が受け取り、差出人を見ると「芝山総一郎」とある。茉由子は一度それをかばんにしまい、門を開けて家に入った。
「おかえりなさい、茉由子ちゃん」
美津子が台所から声をかけてきた。
「ただいま、お母様。今日は早かったのね」
「ええ、その代わり持ち帰り仕事があるけれどね。晩ごはんが出来ているけれど、もう食べる?」
「嬉しい!お腹が空いているの、ありがとう。今日、お父様は?」
「また弁護士の先生のところよ、田中さんの件で」
茉由子は頷いた。房総の人物はやはり田中だったらしく、穣は十月に訴えを起こしていた。東京ウエスト商会で働いてくれていた人たちも協力してくれているらしい。
「お母様、田中に『さん』なんてつけなくていいのではないの?」
「茉由子ちゃん、私は母親だから一応、教育的観点でつけているのよ」
美津子の答えに茉由子は吹き出した。
「それ、私に言ってしまったら同じよ」
「そうね」
美津子も笑い出した。
(この話で笑えるようになったお母様、強くなったわ)
茉由子は時の経過と母の変化を嬉しく思いながら、箸や皿を準備し始めた。
「やった、今日はハンバーグステーキなのね」
「そうよ、夏にやった講座の手当が入ったから少しだけ贅沢ね」
「お母様、補習授業を大量に引き受けていたものね。借金があってもこれくらいのご褒美、ばちは当たらないわ」
「私もそう思って。気が合うわね。それにね、四月からは臨時ではなくて正規の講師になってって言われたの」
美津子が上機嫌な理由が分かった。
「すごいじゃない!お母様、おめでとう」
「ありがとう、茉由子ちゃん。私、全力でお金を稼ぐわよ」
「頼もしいわ。いただきます」
「どうぞ召し上がれ」
茉由子は久しぶりの肉の味を堪能した。
なるべく倹約するようにしているため、肉を食べたのは総一郎に牛鍋をご馳走してもらった時以来だ。胡椒がきいた肉汁で口内が満たされ、茉由子は幸せな気持ちになった。
「美味しいわねえ、お母様。このソースも絶品よ」
「本当、生きているって感じだわあ」
美津子もうっとりとした表情でゆっくりと味わっている。二人はしばし無言になり、ハンバーグの味に集中した。
「それで、茉由子ちゃんのお仕事はどうなの?クリームを売ってくれそうなお店は見つかった?」
ほぼ食べ終わった美津子が話を振ってきた。
茉由子は店で受けた反応を思い出し、冴えない気持ちになって首を振った。
「まだ全然だめ。渡した試供品のことを忘れてた、とか、大きな会社じゃないと取引をしない、とかいろいろ言われるのよ」
「世知辛いわね……。
けどとてもいい製品だと思うわよ。私、自分でお金を出してでも買いたいと思うもの」
「本当に?嬉しい!
品質は絶対に絶対に、最高なのよ。それを分かってもらうのが本当に難しい」
「そうねえ。なんだか、人間関係と同じね」
美津子は何やら納得したような顔で頬に手をあてた。
「人間関係と一緒?」
「そう。
話してみると楽しいとか、一緒に時間を過ごすと存外に心地よい人って、身分とか経済状況に関係なくいるでしょう?
でも同じような社会に属していたり、何か必要に迫られたりしないと、そこまで深く知ることなく通り過ぎてしまうの」
茉由子は考え込んだ。
「まだちょっとよく分からないわ」
「私ね、学校で仕事をもらって初めて、お針子さんとして働いて家計を支えるために頑張っている若い子たちや、苦労して叩き上げて先生になった方々に会ったの。
私とは全く違う人生を歩んできた人たちよ。
でもね、話してみると本当に素敵で、色々なことを知っていて、楽しいの。
うちがこんなことになっていなければ、それを分からずに死んでいくところだったわ」
美津子が言わんとしていることが茉由子に伝わってきた。
「つまり、何かを知ってもらうとか分かってもらうきっかけの所が、一番の難関だってことね」
「そう。だから茉由子ちゃん、めげずに頑張って。他の三人の皆さんも一緒なのでしょう」
「お店との交渉は私がひとりで担当なんだけど、みんなそれぞれ頑張っているわよ。あっそういえば」
茉由子は小包のことを思い出した。
「帰ってくる時、郵便屋さんから小包を受け取ったんだわ。食べ終わったからここで開けてもいいかしら、ごちそうさま」
「構わないわよ」
茉由子が小包を持ってきてその封を切ると、中からは手紙と、何重にも紙でくるまれた何かが出てきた。茉由子はまず手紙から読むことにした。
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