母の勘
茉由子が小包を持ってきてその封を切ると、中からは手紙と、何重にも紙でくるまれた何かが出てきた。茉由子はまず手紙から読むことにした。
「なになに、西條茉由子様。
お手紙をありがとう。百以上の店や問屋に試供品を配ってくれたなんて、その行動力に感嘆しています。
どんな風だったのか話を聞きたいけれど、なかなかそうも行かず歯がゆい気持ちです。
門前払いを食らったところはなかったようだけれど、今頃再訪問してなかなか上手く商談までいかず、落ち込んだり先行きを悲観したりしていることもあるのではないでしょうか…
やだ、総一郎さんったらお見通しだわ」
茉由子はそう言いながら頬を赤らめた。
「それで、えーと。
けれど、一割のお店に受け入れてもらえれば十分勝機はあります。もしそれが駄目なら、横浜や千葉を狙う手もあります。
だからどうか肩の力を抜いて、どっしり構えていてください(茉由子さんは社長です!)…
便宜上ですけどね、ふふ」
そう言いつつ、茉由子は少し気が楽になるのを感じた。
すべての店を取り込む必要はないのだ。一店一店めぐっている間につい忘れていたが、総一郎の手紙が思い出させてくれた。
「そうはいっても、先方の対応で嫌な思いをすることもあると思います。そんな時はそのお店は潔く諦めて、放っておけばいいです。
僕たちのクリームは唯一無二です。いつかきっと、向こうから取り扱いたいと言ってくる日が来ます…
そうね、私もそう思う」
茉由子は深く頷きながらそう言った。
「同封したのは、生産体制を確保できた硝子の入れ物です。
茉由子さんと紅が考えたデザイン、とても美しい。ぜひ商談に使ってもらえればと思います。
それと、大変な仕事をこなす貴女への贈り物も入れました。眠れない夜にどうぞ。
寒くなってきたので、風邪にご注意ください。うちが落ち着いたらまた食事にお誘いさせてください。芝山総一郎…
贈り物って何かしら。開けてみよっと」
茉由子は紙でくるまれたかたまりを注意深く開けていった。中身は途中で二つの箱状のものに分かれたので、まずはクリームの容器と思われる方から開けてみる。
出てきた容器は以前、紅に見せてもらった試作品より硝子の色が薄くなっており、桜を思いださせる繊細な色に仕上がっていた。
ころんとした丸みのある本体に、小さな硝子玉の装飾がついた愛らしい蓋。
嬉しさのあまり茉由子が眺めていると、覗き込んだ美津子が
「まあ可愛らしい!
これだけでも欲しいっていう人がいるわよ。洗面台にあるとうきうきするじゃない」
と言った。
「そうでしょう、そう思ってもらえるように紅さんと二人で必死に考えたのよ。もっと見て、見て」
茉由子は美津子に容器を渡すと、残った「贈り物」の包装を解きにかかった。
「やっぱりポアロは面白かった」
そう走り書きされた最後の包み紙をめくると、出てきたのは茉由子が読んだことがないアガサ・クリスティーの小説だった。
「うわあああああ、お母様、ポアロの新刊よ!今年出たばかりの本よ!」
茉由子は興奮して本を抱きしめながら叫んだ。
「読みたかったのよ!どうやって手に入れたのかしら!
どうしよう、私、とても嬉しいわ!早く読みたい!」
茉由子の様子を見て、美津子は微笑みながら言った。
「総一郎さん、茉由子のことよく分かっているわねえ。あなた、一気に元気になったじゃないの」
「そうなのよ、総一郎さん、素晴らしい上司なのよ!
雇い人のことをこんなに気遣ってくださる人っていないわ!」
茉由子の答えに、美津子は少し複雑そうな顔をした。
「そうねえ。お手紙の端々からはもう少し違うメッセージも感じられるけれど…」
「違うメッセージってなに?お母様」
「なんでもないわ。とにかくあなた、今日さっそく読み始めるのでしょう?」
「ええ、もちろん!ああ待ちきれないわ!早くお皿を片づけましょう、お母さま!」
小躍りしながら本を抱きしめる娘を、美津子は困ったように見つめた。
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