麻雀仲間の工場

 営業先候補リストを紅に渡してからおよそ十日後、生産工場が決まったとの知らせを受け、茉由子は耕介と工場を訪問した。


 芝山一之介にばれることがないよう、遠方の工場を選んだのかと思いきや、三田豊岡町だというので茉由子は驚いた。芝山邸から車で十分もかからないだろう。


 その工場に決めた理由を聞かれた耕介が、少年のような笑顔で


「ここのオヤジが麻雀仲間だから」


 と言ったので、茉由子はずっこけそうになった。ただ、行ってみるとそれだけではないというのが良く分かった。


「そもそもは何の工場なんですか?」


 入口に掲げられた「城南食品工業」という看板を見ながら茉由子が尋ねた。


「ここはね、大豆油の会社さん」


 そう言いながら耕介は引き戸を勝手に開け、中に向かって叫んだ。


「おーい源さん、村山です」


 開いた戸の隙間から思いのほかたくさんの工員の姿が見える。百人ほどいるだろうか。入口は小さいが、建物の中は広々としていた。その奥で一人の男が立ち上がった。


「耕介、こっち来い」


 茉由子は耕介の後につき、源さんらしき男のもとまで行った。


「時間どおりだな、待ってたぞ」


「源さん、こちらうちの社長の西條茉由子さん」


 耕介の紹介に、茉由子は慌てて頭を下げた。


「ほー、話には聞いていたけど、本当に若い女性なんだな。日本も変わったもんだ。


 わしは徳田源兵衛。源さんでいいよ。はい、お茶ね。そこにかけて」


「ありがとうございます」


 茉由子と耕介は、少しだけふかふかした椅子に腰かけた。源兵衛は自分の椅子を引きずって持ってき、二人の前で座った。


「この前受け取った手引書みたいなやつ、あれ図解も入ってて分かりやすかったよ。大体の作業工程は分かったから、具体的な計画を詰めたい」


「良かったです、こちらも同じです。


 機械の運び込みと生産の練習を十一月中に済ませたいと思っています」


「灯火用の油の生産契約が二週間後にちょうど切れるんだな。そうしたら一部の機械を引退させるから、場所が開く。


 十月二十四日以降ならいつでもいいよ」


「搬出側の都合を聞いて、ご連絡しますね。練習の方は問題ないですか?」


「技術指導に来てくれるんだろう?五人くらい代表を選べばいいかね」


「はい、お願いします。力作業があるので、腕力のある方がいいです」


「了解。ああ二班、今作ってる分が出来たら四班の補助にまわって。早くて助かるよ、ありがとう」


 源兵衛は耕介と話しつつ時折進捗を報告にくる工員に指示を出し、茉由子にも質問を投げかけてきた。


「それで、本生産までにいくらか納品は必要かい?」


「取扱店への営業のための分は、耕介さんが準備してくださっているので足りそうです。


 けれどエステティックサロンでは毎週一定量使い続けるので、少しだけ配合を変えたものを技術指導のすぐ後から納品いただきたいです」


「多分問題ない。指導はしっかりお願いするよ」


 飾らずてきぱきと用件を話す姿に、茉由子は好感を抱いた。


「容器は決まったのかい?」


「今日ちょうど製造してくれる工場が見つかったって連絡があったところです。百二十グラム入る、こんな感じの丸い小瓶です」


 学校で紅が見せてくれた試作品の瓶を思い出し、茉由子は手のひらで形を表現して見せた。

 総一郎が探し出してきた深川の硝子瓶会社は高い技術を持っていた。薄い桃色の容器は簡単な作りながら可愛らしく、中身を使い終えた後に飾っておきたくなりそうだ。


「十二月の中旬に材料が届いたとして、三千個作るのに必要な時間がどれくらいかを、技術指導のあとに試算して教えてください。発売日を決めたいので」


「わかった。工程表を見ている限り、二週間あればできるんじゃないかと思うけど、暮れと正月を挟むからなあ。なるべく早く連絡するよ」


「ありがとうございます」


 茉由子が頭を下げた。


「こういう効率のいい打ち合わせは気持ちいいねえ。これからよろしく頼むよ、お若いお二人さん」


 源兵衛も茉由子と同じような感想を抱いていたらしい。嬉しくなった茉由子は源兵衛が差し出す手をしっかりと握り、耕介と三人で成功を誓い合ったのだった。




「あの工場、いいだろう?」


 城南食品工業を辞した二人は、近くの停留所まで歩きながら話していた。


「食用油を作っているところだから清潔に管理されているしさ。そしてなにより源さんのあの人柄」


「ええ、私もうすでに源さんが好きになりました!

 正直言って、私の若さや性別で邪見に扱われることもあるかなと覚悟してきたんですけれど、全然なくて」


「そう、あの人はそんなのどうでもいいんだ。そのあたりが、不思議な面子でやってる東京クローバー堂にも合う気がしてさ。ね、社長」


「社長は便宜上ですから。耕介さんも取締役でしょう?」


 茉由子が言うと、耕介は笑った。


「そう、まさかこの年で取締役とはねえ」


「芝山兄妹のお陰ですね」


「ところで紅ちゃんは最近元気にしてる?」


 耕介はそう言って、少し心配そうな表情になった。


「総一郎を通して手引書を受け取ったり話を聞いたりはするんだけど、何やら家業の関係できな臭い動きがあるらしいだろう?

 一か月以上会っていなくてさ」


「私も総一郎さんには一か月以上お会いしていないです」


 茉由子はそう言いながら、何度か思い出している情景を頭に浮かべた。

 表参道近くのミルクホールからタクシーに乗る時、見送ってくれた総一郎の姿だ。またすぐ会うだろうと思っていたが、あれからずっと総一郎とのやり取りは紅を介している。


「そうだよね。みんなで集まれると情報交換も早いのに、なかなかやりにくい」


「紅さんは家と学校を往復するだけで、週末もほとんど家で過ごしているんですって。元気だけれど、窮屈だって言っていました」


「そりゃあなあ…。いくらあの家が広いって言っても、幽閉されているようなもんだよ…」


 耕介は腕を組み、心底気の毒がっているような声で言った。


「でも何かこの機会にやってみたいことがあるみたいですよ。その合間にクリームの店頭掲示物も作ってくれるって言ってました」


「へえ、やってみたいことって何だろう。でも前向きな感じで何よりだ」


「ええ、落ち込んでいるような素振りではなかったです」


「良かった。宣伝文句、紅ちゃんと二人で考えてるって聞いてたけど、総一郎からの承認は出たの?」


 耕介に共有したいと思っていた話題になり、茉由子はつい大声で答えてしまった。


「出たんです!七十二案目で、やっと」


「あはは、その様子とその数で、どれだけ苦労したか分かるよ。

 総一郎くん、言葉にはめちゃくちゃこだわるからね」


 耕介は同情をこめた目で茉由子を見た。


「そうなんです。紅さんと考えて一所懸命書いた紙が、次の日には赤い墨で添削されて戻ってくるんです。

『具体性がない』とか『見方によっては卑猥』とか、身も蓋もない感想が書いてあって落ち込むんですよ。


 しかもそれがあまりにも的確で」


「あはははは、鬼のような投資家だな、あいつ」


 耕介が腹を抱えて爆笑する。


「けれど一番心に刺さったのが、

『他人と比較し、体毛が生えていることに劣等感を感じる価値観を植え付けるのが目的ではない』

 というコメントで」


「なるほど」


「それで、

『あなたが理想とするあなたに近づけますよ』

 というメッセージが伝わるものを作ったら、花丸がついて

『これで』

 って短く書かれて戻ってきました」


「おお。して、その宣伝文句とは」


「せっかくなので、掲示物が出来てから見てくださいね」


「ええ、仲間外れはさみしいよ」


「絵や写真と合わせて、新鮮な目で感想を言ってくれる人が欲しいんです」


 茉由子の説明に納得したのか、渋々という感じで耕介は頷いた。


「わかったよ…。あっ僕、次に来ている市電に乗っていくから、これ茉由子さんに渡しておくね」


 大きな紫色の風呂敷包みを手渡された茉由子は、そのずっしりとした重さを両手で受け止めた。


「腕二本分くらい剃れる量のクリームが入った小さな容器が百二十個入っている。顔でも二回分いけるけど、脚二本だと少し足りないと思う。


 これを使ってお店に交渉しに行くんだよね。頑張って!」


「ありがとうございます。大切に使います」


「あと坂東先生が茉由子さんにって、これも」


 耕介が差し出した封筒を開けてみると、道子の直筆の手紙が入っていた。


「本剃毛クリームはわたくし坂東道子が認め、製造方法を伝授した製品であることをここに証明します…坂東先生のお気遣いが身に沁みます」


 ちょうど耕介を通じて依頼しようと考えていたものが手に入り、茉由子は道子の気遣いに感謝した。


 市電が停まり、乗降口の扉が開いた。


「それじゃあ茉由子さん、グッドラック」


 親指をぐっと立てながら、耕介は市電に乗り込んでいった。


「頑張ります!」


 茉由子は実際の重量以上の重みを感じる風呂敷包みをしっかり抱えた。

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