小間物屋にて

「僕は、これまで父に逆らったことがないんだ。


 うちの家では父の言うことは絶対だし、そもそも逆らう機会もないほど希薄な関係だった」


 茉由子は自分の家のことを思った。

 美津子も茉由子も穣に対して意見を言うし、穣もそれを普通に聞き入れる。極端に違う家庭環境だ。


「だから正面切って意見を言って、それに耳を傾けさせるためには、父が認めるくらいの地位を自分で築き上げなければいけないと思った。


 それで事業を始めることにしたというのは、以前西條さんにお話した時、その場にいたよね」


 茉由子は頷く。


「だけど今、実際もし事業が軌道に乗った場合、父親に何を言ってどうして欲しいのか、整理ができていないんだ」


 総一郎はじっくりと言葉を紡ぐように話す。


「継ぎたくない、と言うには自分が芝山の事業に興味をもちすぎている。それはこの夏に実感した。


 じゃあこのまま継いでそれに専念したいかと言うと、こっちの事業が面白すぎる。一から自分で考えて、試行錯誤しながら進めるこの感覚は、家業の規模になってくると味わえないと思うし、自分たちでやっていると胸を張って言える。


 家業だと、父の院政はきっと彼が死ぬまで続く」


 茉由子が見つめる中、総一郎は頭を抱えた。


「僕は、自分がどうしたいのか、わからないんだ」


 総一郎が沈黙すると、蝉の鳴く声が際立つ。茉由子は頭の中で総一郎が言ったことを反芻してから、ゆっくりと話し出した。


「今、決めなくてもいいのではありませんか?」


 総一郎が顔を上げた。


「話を振った私が言うのもなんですが、総一郎さんのご卒業はあと一年半先でしょう?それに、卒業してすぐに家督を継がれるということでもないんでしょう?


 まだ時間はたっぷりあります。


 それまでにゆっくり考えたらいいと思いますし、それでもまだ迷いがあるなら、しばらくは二足の草鞋で行かれるのもいいのではないですか?」


 総一郎がぎこちなく頷くが、まだ納得していない表情だ。


「将来的に、もし総一郎さんが家業を継ぐ決断をされて、東京クローバー堂については単なる出資者としてだけ関わるとおっしゃるなら、私がどうにかして会社を守ります」


「ありがとう」


「そしてもしお父様の事業を継がないなら…私、総一郎さんがそれを伝える時にはついていって援護射撃します」


「えっ!?」


 予想外の話の展開だったらしく、総一郎が目を剥いた。


「本当ですよ。きっと耕介さんも来てくれるのではないかしら。少しは心強くありませんか?」


 ごく真剣に話す茉由子を見て力が抜けたらしい総一郎は、肩を震わせて笑いながら


「ありがとう、とても心強い」


 と言った。


「とにかく今できるのは、お父様に何を言いたくなっても自信を持って言えるように、クリームを売って売って売りまくることですよ!」


 茉由子は拳を作って見せた。


「そうだな、それは最初から変わっていない。余計なことは考えずに、目の前のことをやればいいか」


 総一郎の表情が幾分明るくなったのを見て茉由子は安心し、すくっと立ち上がった。


「そうです!

 ということで、まずはこの近辺で製品を置いてもらう有力候補だと私が感じている小間物屋、播磨屋を偵察しましょう!」




 女性で賑わう播磨屋は、大きな店が多い東京でも際立って巨大だ。

 生活を営むため、もしくは生活を充実させるために必要とされるありとあらゆるものが揃っている。


 十人弱いる店員は卒なく接客をしているようだが、あえてそれを断って自ら商品を吟味している客も多い。参拝ついでと見られる年配の客もいたが、若い女性の多さが目立っていた。


 茉由子と総一郎は商品を選ぶふりをしながら、店内の様子をじっくりと観察していた。


「新学期に向けた駆け込み需要ですね。皆さん、買い物している量がすごいわ」


 茉由子が感心すると、総一郎は


「この店は一人ではきっと入れなかったから、茉由子さんがいて良かったよ」


 と言った。


「ここの、化粧品や石鹸が並んでいる棚に並べてもらえたら、しっくりくると思われません?」


「そうだね、けれど見てごらん」


 総一郎が茉由子の耳に顔を寄せ、小さな声で囁いた。


「美成堂、鈴屋、梅山天道館。全国に名前を知られた会社の製品が、ちょうど人の目線にあたる棚の場所を陣取っている」


「あっ本当ですね。下の方の見つけにくい所にあるのは、知らない会社ばかり」


「店は広いし、棚に余裕があるから、取り扱ってもらうこと自体は難しくなさそうだ。


『一等地』に並べてもらえるかどうかは、営業次第というところかな」


 総一郎の洞察力に茉由子は感心した。


「下の棚になってしまっても、何か目立つような工夫をしておきたいですね。容器にはこだわりたい」


「そうだね。容器以外にも何かできることがないか、ちょっと考えてみよう」


「ええ」


 そう言って総一郎の方を向いた茉由子は、二人の距離があまりに近いのでどぎまぎしてしまった。

 傍から見たら、仲睦まじく買い物をする若い夫婦のように見えるだろう。目立たなくて良い半面、総一郎の整った顔が真横にあると余計な緊張をしてしまい、挙動不審になってしまいそうだ。


「次のお店にも行ってみましょう」


 不必要に大きな声で言ってしまった茉由子は、戸惑う総一郎を促して店の外に出た。


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