続く大正の世
また「夢」を見て、総一郎は目を覚ました。
障子越しの薄明るい朝日が、部屋の中をぼんやりと照らしている。
(もう少し寝ていたかった)
総一郎はぼんやりと考えた後、就寝前に仲居が置いていった水差しからコップに水を注ぎ、一気に飲み干した。
気になる「夢」だったが、ちょうど一之介に提供する話ができた、と総一郎は思った。直近で見た遥か未来の話は、なんとなく父にはしていない。そろそろ新たな「夢」の話を催促される頃合いだ。
「夢」を記録しているノートに見たものを書きつけた総一郎は、朝風呂に入ることにした。「夢」を見た後は、頑張ってもどうせ二度寝は出来ないことが多い。
先客のいない浴槽で全身を伸ばした総一郎は、まだつるっとしている己の脚を見、思わず苦笑した。出発の前日、クリームと剃刀を手に持って総一郎に迫ってきた耕介の姿を思い出す。
(今日は茉由子さんに電話する日か)
早めに宿に帰って来るための口実を考えながら、総一郎は髪を洗い浴室を出た。
自分の脚を見る限り、今回のクリームは成功だろう。これまでにいくつか試してきたが、坂東道子を体験した三人がいうクリームの特徴に完全に一致したのは、今回が初めてだ。紅から住所を受け取った茉由子は、もう坂東道子に連絡を取っただろうか。
浴衣を着て戻ると、部屋の前で仲居が待っていた。
「お父上から、出発を早めることにしたから朝食をすぐに取っていただくよう言伝です」
「わかりました、ありがとう」
総一郎はまだ濡れた髪を急いで拭き、シャツを羽織って袖のボタンを留めた。ズボンを履き、サスペンダーをつけながら急いで席に着く。
頃合いを計ったように仲居が入ってきて、お櫃の米をよそってくれた。
「お父様が、七時に玄関で、とのことです」
時計を見ると、あと十分しかない。総一郎は急いでかきこみ、髪をなでつけて父のもとへ向かった。
「お父様、おはようございます」
「遅かったな、総一郎」
玄関脇のソファで新聞を広げていた一之介は、それだけ言うと無言で外に出た。遅刻などしていないが、父の都合次第で遅刻したように扱われることには、もう慣れている。
待機していた車は二人が乗り込むとすぐ発車した。
「随分早い出発ですね」
「会えんと言っていた染元が、朝ならいいと言ってきた」
「そうですか」
それで会話は終わり、一之介は宿から持ってきた新聞に目を落としている。
「今朝、『夢』を見ました」
その言葉に、一之介がちらりと視線を投げかけた。
「どういう『夢』だ」
「大正26年と書かれた暦が壁にかかっていました。大正の世はこの先少なくとも十年は続くようでした」
「今上天皇はいま、すこぶる元気なようだからな。不思議はない。それで?」
「大学の経済学部と思われる教室を見たのですが、その時点から数年前に世界の景気が一斉に悪くなったようでした。
その影響について議論が行われていましたが、どうやら大正26年にはほぼ沈静化しているようでした」
「もっと具体的な話はないのか」
「うちの事業の関連では、海外での生糸の需要が急速に減ったようです。その影響は数年間続いた、と。それ以上は特にありません」
一之介はため息をつき、
「それを聞かされても、なんの行動を取っても博打にしかならん。結局起こるか分からない中では、事業を多角化していくくらいしか出来ん」
と言った。
「輸出する物の加工度を上げて、付加価値をつけるのもいいのではないですか」
「価格は落ちにくくなるが、影響は避けられんな。紅に、もっと新しい業界からも『光る』人物を探すよう言うことにする」
総一郎は唇を噛んだ。『夢』で父親の興味を惹きつけておくつもりが、最終的にはそれまで以上に紅の能力を利用するという結論になってしまう。大体いつもそうだった。
車が一軒の古びた家屋の前で停まった。出迎える老人を目にした一之介は笑顔を浮かべ、俊敏な動きで車から降りて挨拶をし始めた。総一郎は父が放り投げてきた鞄を拾い上げ、その後に続いた。
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