冷やしカフェオレ

 探している情報をさっと見つけて答えてくれる機械があればどんなにいいだろう。

 茉由子はそう考えながら帝国図書館をあとにしていた。


 紅と話して以来、家の図書室の蔵書をひっくり返してヒントになりそうな書籍を片っ端から読み進めた。植物の専門書からヨーロッパの紀行文、料理の指南書、女性雑誌。挙句の果てには中世ヨーロッパの錬金術の読本にまで目を通したが、まだ試していない油は見つけられていない。


 朝から行列に並び、週末の丸一日をかけて調べるのもすでに四日目だ。おかげで草木の栽培方法や油の抽出作業などに詳しくなり、物知りにはなったが肝心の手がかりがないのだ。


 帝国図書館でも情報が見つからなかった場合、次にあたるべき場所はどこなのか―

 物思いに耽りながら歩いていた茉由子は、いつの間にか雷門通りまで来ていた。小一時間もの間、周囲に一切目を向けず歩いていたことになる。


 茉由子は思わず苦笑し、せっかく浅草まで来たのだから父が働くカフェーに寄ってみることにした。今日は確か浅草の店舗に行くと言っていたはずだ。


 どうやら梅雨が終わったらしく、空はからりと晴れ渡っている。冬ならとうに暗くなっている時間だが、まだ太陽の光には力が感じられる。浅草の街は人で賑わい、呼び込みの声にも張りがある。


「カフェーマグノリア」という看板がかかった重い扉を押すと、給仕の女性が笑顔でいらっしゃいませ、と声をかけてきた。蓄音機からは聞きなれない音楽が流れている。


「おひとり様ですか?」


「あ、そうです」


 なんとなく、父に会いにきたことを言いそびれた茉由子は、そのまま座席に案内された。女性一人の客は案外珍しくもないのか、誰かに奇異な目で見られることもない。茉由子はメニューに目を通した。


「本日のおすすめはグラタンとローストチキンでございます」


 朝食以降何も食べておらずよだれが出そうになったが、先立つものが足りない。


「冷やしカフェオレでお願いします」


 女性は一礼し、去っていった。茉由子は周りの客をそれとなしに観察する。

 政治談議に花を咲かせる初老の男性二人組に、カウンターで新聞を読む年配の男性。少し離れた大きなテーブル席では、若い男女が向かい合ってグラタンを食べていた。一番奥の席にも女性が座っているようだが、背を向けているのであまり見えない。


「お待たせしました。こちらお好みにあわせてシロップもお使いください」


 レースのようなデザインの可愛いコースターの上に飲み物と、傍らに小さな容器が置かれた。甘くないコーヒーが飲めない茉由子はシロップをしっかり足し、ゆっくりと混ぜてから飲んだ。


「おいしい」


 思わず独り言が出た。暑い中を歩いてきた体に、コーヒーの苦味とシロップの甘味が染みわたる。一気に飲み干してしまいたい衝動に駆られながら、ミルクでまとめられたその複雑な味わいを舌の上で転がした。


「あれ、茉由子!?」


 いつの間にか、驚いた顔の父が隣に立っていた。


「どうしてここに?」


「帝国図書館に行っていて、ふと来てみたくなったものだから」


 茉由子の返答に父はあきれ顔で


「ふと来るような距離でもないだろう」


 と言ったが、少し嬉しそうだ。茉由子に


「一緒に帰ろう。もうすぐ終わるから少し待っていて」


 と言うと、事務室と書かれた扉に入っていき、10分ほどで出てきた。


「娘さんですか?きっと社長が、お代は結構だとおっしゃると思いますが」


「そういうわけにはいかないよ。ありがとう、お先に」


 給仕の女性に見送られ、茉由子は穣と外に出た。


「日曜日に仕事をして、その職場に突然娘が来るっていうのは、初めての体験だなあ」


 穣が空を見上げながら言う。


「ふふふ、驚かせてごめんなさい。お店、落ち着いていて素敵なところね」


「そうだろう。食事がとても美味しいからぜひ食べてみてほしい」


「グラタンにそそられたわ」


 穣は頷き、


「また今度、お母様と一緒に来るといいよ。総一郎くんでもいい」


 と言った後


「最近、よく帝国図書館に行ってるみたいだね」


 と話を振ってきた。


「そうなの。製品に入れる油分が決まらなくて…」


 茉由子はそう言い、坂東道子のクリームについて説明した。


「英国船で来る茶色い種っていうのが何なのか知りたいのだけれど、全然わからなくて困っているの。さっき見た『欧羅巴植物全鑑』にも知らないものは載っていなくて、お手上げで」


 穣は真剣な顔で茉由子の話を聞いた後、突然方向転換をした。


「お父様、家に帰るにはあちらの停留所から市電に乗った方が早いのではないかしら」


 茉由子が慌ててついていきながら話すと、穣はにやりと笑った。


「茉由子、一人心当たりがある。ついてきなさい」


 穣が言いたいことにぴんと来ないまま、茉由子はついて行った。

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