華やかさの裏にあるもの

 貿易事業の収束で走り回りながら新たな仕事もこなす穣と、何かと多忙な総一郎の予定を合わせるのは難航し、総一郎が茉由子の家を訪問したのはほぼ三週間が経った週末のことだった。

 詳しいことは総一郎から話したい、とのことだったので、茉由子から穣には


「休眠状態の穣の会社について、総一郎からお願いしたいことがある」


 とだけ伝えている。

 美津子がお茶を入れ、総一郎の正面にいる穣の隣に座った。

 バランスを考えて茉由子は総一郎の隣に座ったが、違う意味の挨拶に来ているようでなんだか落ち着かない。


「それで、会社についてのお願いというのは」


 穣が早速切り出した。総一郎が「事業説明書」と書かれた冊子を傍らの鞄から取り出し、穣に差し出す。


「茉由子さんと契約させていただいたことはご存知かと思います。私の妹と、製品開発の一人を合わせた四人で製品の製造と販売まで準備を進めていこうとしているところです。

 東京ウエスト商会を譲っていただけないでしょうか」


 穣は黙って冊子に目を通し、美津子がちらちらとその様子を見る。誰も言葉を発しない時間が続き、茉由子が息苦しくなってきたとき、ようやく穣が口を開いた。


「茉由子を社長に据えてまで、お父上に秘密で取り進めたい理由を教えてくれないか」


 総一郎が隣ではっと息を飲んだのを感じた。想定していた反応ではなかったのだろう。

 じっと考えた総一郎は、一言一言注意深く紡ぐように話し始めた。


「私の父は、この十年ほどで事業を急速に拡大してきました。もとは街の呉服屋だった芝山ですが、今は貿易から製造までいろいろと手掛けています」


 穣は頷きながら聞いている。


「順調に大きくなっているように見えますが、息子である私の目から見ても、無茶をしていると思わざるを得ない時はこれまで多々ありました。綱渡りのように仕事をつないでいき、危ない橋も渡っていると思います。

 その過程で父は家族との時間に価値を見出さなくなり、私には父と遊んだ記憶も、何かを教えてもらった記憶も、旅行した記憶もありません」


 ただ緊張に包まれていた美津子の顔に、違う感情が宿ったのを茉由子は感じた。


「そんな父が数年前、僕ではなく妹の紅にお婿さんをもらい、その人に事業を継がせることも考える、と言い始めました。当時の私には大変な衝撃で、そこから勉学に身を入れて人にもよく会うようにしました。

 やっぱり間違っていた、努力しているお前が跡を継ぐんだ、と父に言って欲しかったんです」


 総一郎はお茶を一口飲み、話を続けた。


「そして一年前、父は突然『お前を後継ぎにする』と言いました。嬉しくて、私はその理由を聞きました。

 そうしたら父は面倒そうに一言、『息子のお前なら、私が生きている限りは私の言う通りにするだろう』と言ったんです」


 穣は口を真一文字にし、ゆっくりと頷きながら話を聞いている。茉由子はなんとなく、総一郎の方を見られなかった。


「努力や能力なんて、父にはどうでも良かったんです。自分が生きている限り、そして出来ればその先も、芝山を更に大きくしていくことにしか興味がない」


 小さな変化だが、総一郎の口調が激しくなった。


「でも私は父とは考え方が決定的に違います。父の傀儡になって名声を得たいとは露ほどにも思わないし、これ以上無理に事業を拡大するよりも、未来の家族を大切にしたいんです。

 けれどこのまま大学を卒業してなんとなく過ごしてしまうと、父の敷いた軌道でしか生きられなくなってしまう」


 いつもどことなく余裕を感じさせる総一郎の声が今は、悲痛な叫びに感じる。本音をさらけ出していることが茉由子にも分かった。


「今の私では、父の会社に入って何か言いたいことがあっても、主張する術がありません。それ以前に、ある日父が心変わりして、やっぱり自分に継がせないと言う可能性もあります。だから父とは関わりのない分野で自分で事業を立ち上げて、それを成功させなければいけないんです。

 力をつけて、父と渡り合いたい」


 一呼吸置き、少し落ち着きを取り戻した総一郎がまとめた。


「私の名前が表に出てしまうと、必ず父の耳に入ります。私が勝手なことをした、と父は怒り、事業は形になる前につぶされてしまうでしょう。それで茉由子さんに表に立っていただくようお願いしました。

 大切なお嬢さんに関して、ご挨拶が遅れたこともお詫びします」


 頭を下げた総一郎に、茉由子は慌ててぶんぶんと手を振りながら否定した。


「そんな、契約を結んで学費も出していただいていますから」


「いえ、良く考えると軽率だったなと反省しています」


 頭を上げて穣の顔を見る総一郎に、穣は


「もう一つだけ。どうして茉由子を事業に誘った?」


 と聞いた。総一郎は茉由子の方を見て、


「うちに入るはずだった家具を載せた船が沈没したあと、妹が突然茉由子さんを我が家にお連れしてきました。静かで、一人でいるのを好む彼女が人を家に連れてきたのは、ほぼ十年ぶりでした。

 最初は、茉由子さんが置かれた状況に鑑みると、背水の陣で事業に取り組んでくれるだろうという気持ちでお願いをしました。断られないだろうという打算もありました」


 と言った。そうだろうな、と茉由子は納得する。けれど総一郎の言葉はまだ続いている。


「けれど今は、茉由子さんだからこそお願いしたいと思っています。まだ一緒に取り組み始めて一か月半ほどですが、閃きも行動力も並外れた方で、会うたびに驚かされています。それに人の懐に入っていく力もありそうです。

 契約云々を抜きにしても、茉由子さんと一緒に事業を進めていきたいと思っています」


 茉由子は自分の心がぽわんと温まったように感じた。美津子がなぜかにこにこしている。隣の総一郎をちらっと見ると、真剣な顔で穣を見ていた。

 窓の外から小鳥の鳴き声が聞こえる中で、しばしの沈黙があった。穣は何度も事業説明書をめくり、やがて口を開いた。

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