十年越しの初恋
まだ梅雨には早いはずなのに、さあっという音と共に雨が降り出した。
「雨だと憂鬱な気持ちに拍車がかかるわ」
弁当を取り出しながら、隣で桜子がため息をついた。
「最終学年になってからもう五人目よ。おめでたいけれど淋しいし、焦るわ」
今朝の朝礼で、級友の縁談がまとまったため退学することが発表されたのだ。教室が目に見えてがらんとしてきた。
「実は私も来週末、お見合いなのよね」
いただきます、と手を合わせた後で小雪が言う。
「お相手はどんな方なの?」
目をきらきらさせて問う美代に、小雪が答える。
「製鉄会社の長男で、父の取引先のご子息よ」
「違うわよ。私が聞きたいのは身元じゃなくて、何歳で、どんなご趣味で、何よりお顔が整っているかどうかよ!」
美代の勢いに、級友たちが振り返る。
「ええと、24歳でご趣味はバイオリンの演奏と柔道。お写真はまだいただけていないのだけれど、父が言うには整っている、と」
小雪が律儀に答えた。
「男性目線の評価は話半分に聞いておくとして、バイオリンと柔道だと想像がつきにくすぎて何とも言い難いわ。ねえ茉由子さん」
突然美代に振られた茉由子は、慌てて白米を飲み込み
「そうねえ、優雅な幕末の志士って感じで想像がつかないわ」
と言った。柔道着を着てバイオリンを弾く無骨な男性を想像してしまい、うっかり半笑いになってしまう。
「小雪さんまで学校を去ってしまったら、私どうしたらいいの。美代さんも結婚が決まっているし。
茉由子さん、正直に答えてちょうだい。茉由子さんにはまだその予定はないわよね?ね?」
桜子が真剣な顔で聞いてくる。茉由子は微笑み、
「大丈夫よ。このまま卒業まで学校に通ってから考えるつもり」
と言った。縁談など受けようもない状況なのは伏せているが、嘘は言っていない。
「それで、最近清治さんとはどうなのか聞いてもいいかしら」
小雪が優しく桜子に聞いた。桜子は途端に伏し目になり、片目からぽろりと涙を流した。
「清治さんね、大学を卒業したら跡を継ぐための修行としてしばらく京都に行ってしまうんですって」
「しばらくって、何か月か?それとも何年も?」
心配そうに美代が聞くと、桜子はお箸を置いて頭を抱え込んでしまった。
「少なくとも一年は帰ってこないみたいなの。私、諦めてお父様に縁談を探していただいた方がいいのかしら」
桜子のつぶやきに、茉由子は突然強い感情が沸き起こった。
「だめよ。そんなのだめ」
気付けば立ち上がって大きな声を出しており、級友たちの注目を集めている。恥ずかしくなった茉由子はゆっくりと座り、小さな声の早口で話し始めた。
「桜子さん、清治さんのことがずっと好きでしょう。このまま何もせずに諦めたらきっと一生後悔するわよ。清治さんに好きって伝えなさいよ」
桜子は茉由子の勢いに飲まれ、泣くのも忘れている。美代と小雪もぽかんとしていたが、やがて美代も殊の外優しい口調で
「私もそう思うわ。あなたが誰かに嫁いだ後でも、清治さんが他の方と結婚するなんて聞いたら心がざわざわしてしまうでしょう。言った方がいいわ」
と言ったことで、桜子は考えることにしたらしい。うなりながら頭を抱えて数分、ついに
「夏が終わるまでに、清治さんに好きって言う」
と宣言したのだった。
「それにしても」
昼休みの終わりに、桜子が茉由子にだけ聞こえるように言ってきた。
「茉由子さんが強く主張するのを初めて聞いたわ。ありがとう」
「私は何も。ただ桜子さんの初恋を応援しているだけよ」
茉由子は慌てて言った。実際、自分がどうしてあんなに強く主張したのかいまいち良く分からない。
「私の気持ちをあんまり良く分かってくれるもんだから、茉由子さんにも同じくらい好きな相手ができたのかなと思っちゃった。もしそうだったら、教えて」
「本当にそんなことはないの。私まだ、大人の好きって良く分からないし」
桜子は茉由子の答えに笑った。
「私だって、十年越しの初恋だから大人の好きなんて分からないわよ」
「それはそうね」
茉由子が認めると桜子は更に笑い、席につきながら言った。
「茉由子さん、私もあなたを全力で応援するから、好きな人ができたら教えてね」
茉由子はわかったわかった、と頷き自分の席に座った。
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