作戦会議

「はじめは肌を整える、ということで、ロオションにひたしたハンケチを優しく肌の上にぽんぽん、とされました。私が美成堂のアクアデルマみたい、と言ったら、似ているけれどもっと成分は単純だと言われました」


 月曜日の放課後、芝山邸には芝山兄妹と村山耕介、そして茉由子が集まり、坂東道子潜入を振り返っていた。


「あれはほぼ水とグリセリンだけなんじゃないかと僕は思ったから、茉由子さんが聞いた話に納得感がある。サロンでいいお金を取って施術する手前、プロセスとしていれてあるけど、家庭で剃る場合にはいらないな」


 耕介が補足する横で、総一郎はうなずきながらメモを取っている。


「それが終わるとクリームをさじですくって取って、伸ばしてくれました。量は、片方の腕で桜桃一粒くらい。手のひらでじっくり伸ばす決まりになっているそうで、エステティシャンの方のあたたかい手でまんべんなく塗り伸ばしてくれました」


「同じだったわ。私の担当者は冷え性で、と言いながらお湯の入った桶に手を入れて温めていたわよ」


 紅が膝に乗った猫をなでながら言った。


「クリームは評判に聞いていたとおりとてもなめらかでしっとりしていて、かみそりが肌の上にのせられても全く痛くありませんでした。今日までの間も、一度も肌に違和感がなくて、びっくりしています」


「耕介、成分については見当ついた?」


 総一郎の問いに耕介は困った顔をし、


「イエスでもありノーでもある。ああいうクリームには、主成分が油分のものと水分のものがあるんだけど、油分なことは間違いない。そしてにおいはほぼなかったから、香料の類は入っていなかった。入っているだろう成分もいくつか見当がついた。

 でも、肝心かなめの油分が何なのかが分からない。その特定ができれば、似たようなものを作れる予感はする」


 と言って頬杖をついた。茉由子が


「クリームは、石鹸成分が少しと、英国船で持ち込まれる茶色いどんぐりみたいな種か実が入っているらしいのですが、働いている人たちもそれ以上は知らないとのことでした。

 坂東道子とそのお嬢様が毎週手作りしているそうです。だからサロンで使う量しか作れない、とも言っていました」


 と言うと、紅が


「私、何回も聞いてみたけれどそんなの教えてくれなかったわ。坂東道子ったら、『私の編み出した秘密の製造方法です』とか言わないんだもの」


 と言いながら頬をぷっと膨らませた。どうやら坂東道子本人が直接紅のところへ挨拶に現れたらしい。人並外れたお嬢様も大変だ、と茉由子は思う。


「英国船で入ってくるどんぐりみたいな種か実、か。実だと長い船旅に耐えられるものは少ないと思われるから、種の可能性が高そうだと僕は思う」


「僕もそう思う。実際、種から取れる油は色々あるよ。その種が茶色いものに的を絞って片っ端から試してみればいい」


 総一郎の言葉に同意した耕介は、おもむろに茉由子と紅の方を向いて


「言い忘れていたけど、あまりにも面白そうだから僕もこのビジネスとやらにのっかることにしたよ」


 と発表した。総一郎もいたずらっぽく歯を見せて笑い、


「社員が増えましたよ、西條社長」


 と言ったあと、


「実際、茉由子さんと紅、僕の三人では製品の中身の開発でかなり苦労するだろうと思うから、耕介が入ってくれて本当に心強い」


 と付け加えた。


「いつの間にか私もこのメンバーに思いっきり組み込まれているのだけれど、もう乗りかかった船だし、まあ良いです。やるからにはちゃんと働くわ。お兄様、契約書をあとで締結しましょう」


「身内ということで、条件はお手柔らかに頼むよ」


「お兄様、適切な報酬が得られないと人は発奮しないわ」


「紅…」


 澄ました顔で兄に宣言する紅の姿に、茉由子と耕介は顔を見合わせ、笑った。



「それじゃあ、これからの動きについて確認しよう」


 総一郎がノートの空白のページを開け、図を書いて説明し始めた。


「耕介は、クリームの試作だ。この離れは基本的に僕が使っていて両親は入ってこないから、ここに実験に必要な用具は一通り用意する。

 何が必要か、今日帰るまでに一覧表を作ってくれ」


「よしきた」


「使用されている油として想定されるものも、耕介で一覧表の作成をお願いできるか」


「了解。ちょうど僕の研究とも重なっているから、教授にもさりげなく助言を乞うよ」


「それはいいな、ありがとう」


「ただ、総一郎くん。僕は化粧品が専門なわけではないから、世に出回るクリームや石鹸の類がいろいろ欲しい」


「紅、いろいろなところで買い集めて耕介に渡してくれるか」


「わかったわ」


「実験と試作に必要な材料が決まったら、一応あてがあるから僕が調達するよ。ばれずに離れに運び込むのが一番難しいから、その時が来たらみんなに手伝ってもらうかもしれない」


 総一郎のテンポ良い指示に皆が頷く。


「その間に、茉由子さんと僕は会社を立ち上げないといけない。詳しくは省くけど、合同会社という仕組みを使う。書類をいろいろ作ったり、お金を動かしたりする必要があるから、初めての僕たちだと大体二、三か月くらいかかると思う」


「は、はい…」


 茉由子は慣れない話に面食らったが、そりゃそうかと思い直す。そして一つ、閃いたことを提案してみることにした。


「こんなことが出来るものなのか分からないんですけど」


 皆の目が一斉に茉由子を見たので一瞬たじろいだが、茉由子は先を続けることにした。


「父の会社はいま何も事業をしていませんが、会社としては存在しているそうです。その会社の代表者名とかを変えて使うことができたら、新しく作るよりも簡単かもしれないなと」


 総一郎は目を大きく開け、


「その手があったか!」


 と叫び、


「あ、でもしゃっき…借入金とかが残ってる…んじゃない?」


 と途中からトーンダウンしながら言った。芝山家に支払われる予定の違約金について思い出したらしい。


「いえ、会社の借金はないと聞いています」


 違約金の支払いを猶予してもらうことになった時に、会社ではなく個人の支払い義務に切り替えてもらった、と父の穣は言っていた。


「じゃあすぐにでも茉由子さんのお父様に許可をいただきにいこう。予定はなるべく合わせるから、都合をお聞きして明日学校で紅に伝言しておいてくれるかな」


「わかりました」


 茉由子は提案が受け入れられ、嬉しくなった。


 細々とした話が調整され、耕介が必要な用具リストを総一郎と作成し終え、散会となった時にはすでに三時間が経っていた。芝山家の車で送ってもらった茉由子は、心地よい疲れを覚えながら、父の会社について考えていた。


(東京ウエスト商会という名前にはお父様の思い入れがあるから、いっそ変えた方がいい)


 茉由子は穣の会社の玄関にかかっていた看板を思い出した。事務所を引き払った今、看板は家の物置に置かれている。


(あの四人で立ち上げたことを思い出せるような名前がいい気がする)


 茉由子はそう思ったとき、段々とこの事業に思い入れを深めている自分に気付いた。最初はお金を稼ぎ、生きていくための手段だと思っていたのに、集まって色々と考えるのは正直に言って何よりも面白かった。


(楽しい、とか考えている場合じゃないんだけど)


 窓枠に肘をつき、考える。


(絶対に四人で成功させたい)


 頭の中をアイデアでいっぱいにしながら、街灯の光に照らされた街を眺めていた。

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