急成長の秘密

「それで総一郎くんはまだ見合いをする気はないのかい」


 総一郎は、ははっと笑って努めて爽やかにこう言った。


「僕はまず一人前にならなければ結婚は考えられませんよ」


「良き女性と出会えれば、自然と身が引き締まるもんだぞ。結婚はいいぞ」


 それでもまだ畳みかけてくる義雄を見て、真紀子が口を挟んだ。


「義雄、総一郎はこれで結構ロマンチストでね。自分で見初めた相手と結婚したいのよ」


「へえ!義兄さんはそれでいいって?姉さんも?」


「汝幸いなるオーストリアよ、のハプスブルク家でもあるまいし、私はそれでいいと思っているわね。一之介さんに関しては…紅の意見も聞けって言うかしらね」


「なんで紅ちゃんの意見?ああ、嫁と小姑の関係とかそういうことか。義兄さん、仕事一徹かと思いきや女同士の戦い的なことにも造詣が深いときた。意外だねえ」


 義雄は勝手に納得しているが、母が言ったのはそういう意味ではないことを総一郎は理解している。


 相手の女性かその父親、いずれかが「光る」人物であるかどうか。


 総一郎の結婚に関して父、一之介が気にするのはその一点であろうし、もし「光らない」人を選んだ場合は、皇族でもなければ反対されるのだろう。


「まあそういうこと」


 真紀子は微笑み、庭の紫陽花が不調なことへと話題を移した。紫陽花を近くで見るために席を立った二人を目で追いながら、総一郎は思考に耽る。

 母親の考え方は、現代において珍しいほどにリベラルだ。それに対し、父親のそれはまさにハプスブルク家と変わらない。

 権威や財力の拡大を求め、我が子の気持ちなど二の次だ。魂を事業に捧げ、自分が必要な時しか家族と向き合わない父親。

 何不自由ない豊かな暮らしが出来ているのはありがたいが、紅の特殊な能力に気づいた14年前から変わってしまった。



「おかあたま、なぜあのひときらきらちてたの?」


 家族で出かけた銀座の百貨店で父の友人と遭遇したあと、幼い紅が首をかしげてそう言った時のことを総一郎は鮮明に覚えている。

 きらきらってなあに?と問う母に、頭の周りが白く光っていた、と紅は答えた。父の友人は百貨店の宝飾品部門に勤務しており、まばゆく輝く宝石がショーケースに並ぶ中で姿を見たものだから、そう感じたのだろうと母は思ったらしい。だからその友人がたまたま呉服部門に異動し、父が切り盛りする呉服店を一気に拡張できる程の大口取引がもたらされるまで、母はそのことを忘れていた。

 取引が決まった日、夕食を囲みながら母が紅の発言を父に伝えると、父はやけに真剣に話を聞いていた。


「面白い話よね、というつもりで言ったのだけれど、次の日いきなり紅ちゃんを尾張町の百貨店に連れていったものだから、私驚いてしまったわよ」


 後に真紀子がこう言っていたように、翌日から父は人出の多い所に紅を連れて行き、「光って」いる人がいれば八方手を尽くしてその身元を調べ、あの手この手で近づいた。地位のある相手であれば取引をもちかけ、そうでない相手であれば無理をして雇い入れた。

 得意先の従業員として少々無茶をして入社させたこともあるし、外堀を埋めて陥れるような形で取り込んだ相手もいる。相手はそのことに気づいていないが。

 紅が「光」を感じた相手は百発百中で芝山に利益をもたらし、街の小さな店だった芝山呉服店は大きくなった。紅が成長し、字が読めるようになると印字された名前からも光を感じ取れることが発覚し、成長スピードはさらに加速した。紅とは異なる力が総一郎に現れたことも少しばかりの後押しになったと思う。

 父は「光る」相手をひとりも逃すまいとして仕事に没頭し、やがて紅と総一郎には能力を通じて見たことや知ったことを聞き出す時と、紅に大量の名簿を押し付ける時、そして紅を人の集まりに連れ出す時しか関わらなくなった。

 今や芝山商事会社となったかつての小さな呉服店は、他の追随を許さぬ栄華を誇っている。しかし来客なしに家族が揃って食卓を囲むことは、年に一度あるかないかだ。


 総一郎には父が、光を求めて右往左往する妖怪のように感じられる時がある。無論、「光る」相手へと人脈をつなげ、全く新しい事業を形にしているのは父の手腕だと認めている。しかし人を見る、というビジネスにおいてある意味最も難しい部分が紅の能力により保証されているのだから、思い切った策に出ることが出来るのだろうとも思っている。

 贅沢しているのだから文句はないだろう、とばかりに家族を顧みずひたすらに会社を大きくしていく父は、芝山家をどうしたいのだろうか。


「光る」人は芝山家に利益をもたらすが、父を闇に取り込んでしまった、と総一郎は思う。



「総一郎くん、紅ちゃんによろしくね」


 小雨がぱらつき始めたので帰ることにしたらしい義雄ののんきな声で総一郎は我に返り、玄関で義雄を見送った。


「総一郎さん、紅は好きな相手がいるのかしらね」


 角を曲がる義雄の背中を見ながら、真紀子が言った。


 真紀子は聡い。色々と話すとぼろが出てしまいそうで、総一郎は簡潔に答えることにした。


「紅には聞いていないですが、おそらく」


「そう」


 真紀子は義雄が消えた方向を見続けながら、


「あなたたち二人が幸せになることが、私の一番の願いよ」


 と言った。

 まだ母には何も話していない、と父は言っていたが、もしかすると真紀子は全部知っているのかもしれない、と総一郎は思った。



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