高級エステティックサロンにて熊、暴れる

 耕介と総一郎は学部もタイプも違うが、なぜか不思議とウマが合うらしく、総一郎がしばしば酒を携えて耕介の下宿を訪れているらしい。


「あまり誰かと深く付き合っていそうにない兄にも、耕介様みたいな楽しいご友人がいらっしゃるなんて驚きましたが、嬉しいです」


 そう言った紅に、耕介は


「総一郎くんは性根がまっすぐのいいやつだよ。

 家業が手広すぎて、取引先やら商売敵やらいろんな利害関係者が大学中にいるから、皆に感じよく適度に距離を取っているのかもしれないね。その点僕の実家は大阪で電鉄関係をやっているから、全くかすりもせずちょうどいい」


 と返し、歯を見せながら豪快に笑った後、思いついたように


「紅さん、こんな機会、なかなかないから総一郎くんの弱点をこっそり教えてくれないか」


 と言った。しばらく考えた紅が一言、


「お茄子です」


 と言ったので茉由子も思わず吹き出してしまった。

 それにしても、日夜武道で鍛えています!というような体躯をしているのに、幼い子供のようなキラキラした目で次々と話しかけてくる耕介は、車内をすっかり自分のペースに巻き込んでいた。紅はこれまで茉由子の前で声を出した合計回数の3倍くらいは話している。ひたすらにおとなしいタイプなのだと思っていたが、昨日総一郎に抗議する時もちゃんと主張をしていたし、沈黙が嫌いでないだけなのかもしれない。

 茉由子はなんとなく紅に好感をもつと共に、もっと話しかけてみようと考えた。


 坂東道子では、発展目覚ましい芝山家のご令嬢(とその学友)に贔屓にしてもらいたいという気持ちがよく伝わる、10名による熱烈な歓迎を受けた。

 紅は車内で決めた「高慢ちきな令嬢」の設定に則り、ツンツンしながら偉そうにダージリンティーを要求している。茉由子に課せられた設定は「好奇心を隠さないタイプの友人」なので割と素のままでいられるが、いつも運転手にもねぎらいの言葉をかける紅にはなかなか大変だろう。

 しかし、何よりも面白いのが耕介だ。


「お嬢様は大変に肌が繊細でいらっしゃいまして、主治医の私が吟味し!検証し!許可した薬剤でないとお嬢様につけていただくことはなりません。

 お嬢様に肌荒れなど発生しましたら芝山家で大変な騒ぎになりますのでくれぐれも!お願いします!」


 本来の声より1オクターブ高い声でそう叫ぶ耕介は白衣を着込み、度は入っていないと思われる眼鏡を身に着けている。オーバーすぎるその演技を不自然に思われないかと茉由子はヒヤヒヤしたが、普段から色々な客がいるのか坂東奈津子のスタッフは特に訝しげな顔も見せず、


「勿論仰せのようにさせていただきます」


 と神妙に答えていた。なるほど、何事も度胸が大事だ。



 紅と茉由子がそれぞれ施術室に案内されると、耕介はどっかりとソファに座りこんで両腕の白衣をめくり、


「さあ始めてください」


 と言った。

 坂東奈津子のスタッフが2名、その横にひざまずく。


「今回はお顔とお腕、お足のシェービングをご要望ですので、3種類の製品を使わせていただくことになっております。

 まずお顔とお体全体に使用するロオションです。優しい肌触りの綿ハンケチにたっぷり含ませ、お顔と全身を拭いて参ります」


 そう言うと左のスタッフがハンケチを取り出し、持っていた水色の容器にひたしてから耕介の左腕にぽんぽん、と優しくつけ始めた。水のような感触で、乾くとさらりとしているので油分はほぼ入っていなさそうだ。


(これはあまり変わったものは入っていなさそうだ。水と少しのグリセリン、そんな所だろうか)


 耕介がうなずくと、次に年長と思われる右のスタッフがクリームが掬い取られた金色のさじを差し出した。


「次にこちらが、かみそりをあてる際に使用するシェイビングクリームでございます。肌が隠れる量を塗り、その上から刃をあてて剃っていきます」


(これだな、今回の目的は)


 耕介は腕に全神経を集中させ、右腕に塗られたそれを観察した。

 そのクリームは白くてとろみがあるが、あまり光沢はない。たらりと流れるほど水っぽくはないが、肌の上で段々と形状がゆるんでいく。香水の類は入っていないらしいのが意外だ。指でくるくるすると肌の上を滑るようになめらかに伸びていき、息を何度か吹きかけても乾いていく気配がない。


「カミソリを使用した時の感触やその後の肌の反応も見たいので、今塗った部分について剃ってみてもらえませんか」


 女性専用のエステティックサロンである坂東奈津子のスタッフは、謎の大柄な男性「医師」からの要求に明らかにぎょっとしていたが、しっかり対応してくれた。手のひらでしっかりとクリームを広げ、かみそりで剃っていく。

 刃が肌に当たる感触は極めて優しく、刺激をほとんど感じない。


(むしろこれ、僕だって毎日の髭剃り用に欲しいぞ…)


「成分としては、何が入っていますか」


 耕介はさりげなく問うたつもりだが、年長の方のスタッフがぴしりと


「企業秘密ですので、ご容赦ください」


 と言ったので、それ以上追究することはやめることにした。

 クリームを広げたエリアを剃り終えると、スタッフはお湯にひたしたハンケチでクリームをぬぐった。それを乾いたタオルでさらに拭いて、シェービングは終了だ。油っぽさはないがしっとりすべすべした自分の腕の一部分を触りながら、耕介は色々な可能性に考えを巡らせる。

 バニシングクリームとは明らかに違う感触なので、油分がベースなのは確実だ。そして、この油分の特定が鍵になる気がしている。

 調合されている油分は一種類とは限らないが、いくつか他に入っていそうな成分も思いついたので、総一郎にお願いされた「開発の糸口探し」としては良いところだろう、と耕介は考えた。

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