エステティシャンの探り

 体に似合わぬ甲高い声を持つ奇妙な男性「医師」が黙って自らの腕を撫でまわす姿をスタッフ2人はしばらく見ていたが、5分が経過した頃、意を決したように耕介に声をかけた。


「こちら、紅様にご使用してもよろしいものでしょうか?そろそろお二人の施術を始められればと思っておりますので、もう一種類のお顔用の仕上げクリームもお試しいただければと存じます」


 我に返った耕介はあわててうなずき、


「今までの二つは問題ないです」


 と甲高い声でお墨付きを与えた。

 もう一種類のクリームを塗るのは顔だけだというので、正直言うと今回の間諜活動にはあまり関係がないが、耕介の存在を怪しまれないためにもしっかり吟味している風を装わなくてはならない。耕介はそれらしい顔をして最後のクリームの塗布を受けた。



 その頃茉由子は個室に通され、浴衣に着替えてスタッフが来るのを待っていた。エステティックが初めての茉由子には施術台に寝転がっておくべきなのか隣の椅子に座っておくべきなのかがよくわからず、部屋の中をうろうろと歩き回っている。

 コンコン、というノックの音がし、茉由子が返答すると「梅原」という名札をつけたスタッフが入室してきた。


「佐藤様、お待たせいたしました」


 というその言葉で自分が今サトウマユコという偽名を使っていることを思い出した。万に一つもないと思うが、錚々たる顧客を抱えているであろう坂東奈津子のスタッフなら、西條家に起きたことを知っている可能性がある。訝しがられるきっかけになっては困るので、佐藤姓を名乗ることにしたのだ。

 梅原に促されて施術台で仰向けになった茉由子は、さっそく好奇心旺盛な女学生として梅原に話しかけてみた。


「私紅さんに誘われて来てみたんですけれど、どういう風に進むのでしょうか?」


「まずはロオションでお顔とお体を清浄にし、お腕と脇、そしてお足を剃って参ります。その後うつ伏せになっていただいてうなじを整えまして、またあおむけに戻ってお顔を剃り、終了となります。

 初めてですと緊張なさる方も多いですが、大丈夫ですよ。痛みもないですし、他に誰も見ておりませんから心地よくお過ごしくださいませ」


 毎度の施術で説明しているのか、梅原は滑らかに言った。年上の年齢は良く分からないが、梅原はおそらく茉由子より7,8歳ほど上だろうか。迎えに出ていた10名の中では真ん中くらいであったように思う。


「佐藤様、突然のご質問ですが食材でお苦手なものはおありですか?」


 意図がわからない質問を受けて茉由子は面食らったが、特にない、と答えると梅原は頷いて


「施術の前に皆様にお聞きしておりますので」


 と言い、手早くハンケチを取り出して水色の容器に浸してから、茉由子の頬にぽんぽん、とつけ始めた。


「うふふ、気持ちいいです。アクアデルマみたい」


 アクアデルマは母が昔から愛用している化粧水で、坂東道子がある銀座に店を構える美成堂の製品だ。思春期を迎えて以来、茉由子もしばしばお世話になっている。


「確かに付け心地はアクアデルマに似ているかもしれませんね。ただ使っている原料としてはもっと基本的なものに絞っていると聞いています。

 このあとシェービングでは保湿効果の高いクリームを塗るので、その前に肌を少し整えておく目的で」


「楽しみですわ」


 施術部位すべてに「ロオション」を施しながら、梅原は茉由子に探りを入れてきた。


「佐藤様は芝山様のご一家とは親しくしていらっしゃるんですか?」


「ええ、遠縁なんです」


 茉由子は先ほど部屋の中をうろうろしながら考えておいた設定を言う。

 西條家も芝山家も江戸の頃から東京に居を構えてきた家系だ。何百年か遡ればどこかで血がつながっている可能性は高いから、嘘ではない。その濃さは小指の先くらいかもしれないが。


「ご親戚でいらっしゃいましたか。芝山様のお宅から昨日、ご令嬢とご学友のお二方に施術をとお電話をいただいた際には、私たちも驚いたんです。芝山様のご関係者にお会いするのは初めてなものですから」


「ああ、紅さんが女学校で評判を聞いたようですよ。結納の前に施術を受けてとても良かったとおっしゃる方がいらっしゃるとか」


 美代の名前は出していないが、梅原には思い当たる節があったようで納得したようだ。


「佐藤様のお父様も芝山様のように色々と事業を展開されているのですか?」


 上役の命でも受けているのかぐいぐい質問してくる梅原に茉由子は少し辟易した。あまりこちらの事情を話すとぼろが出かねないので、話題を変えよう。


「紅さんのお父様ほどの事業家ではないですけれど、関連分野を多少…あの、少しひんやりして寒いのですが羽織るものをいただけませんか?」


「申し訳ございません、佐藤様!」


 梅原は慌てて薄手のひざ掛けを茉由子に掛けてくれた。実際には施術台がどういう風にか温められており、少しも寒くはないのだが、梅原は大変に恐縮している。

 茉由子はにこやかにお礼を言い、梅原がロオションの過程を黙々と終えるまで見守った。

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