光る女の子

 春の美しい夕焼けの中、茉由子は芝山家の車で帰宅した。

 もっと早く自転車で帰宅すると思っており、心配していた美津子は大変に驚き、運転手に芝山家へのお礼を伝言してくれるよう何度も頼んでいた。

 帰宅した穣も交え、食卓の場で茉由子は芝山総一郎との契約の話をした。学費を払ってくれること、総一郎の出資で事業をしてみることになったこと。その事業が怪しいものではないことも合わせて強調しておく。

 両親の気持ちを考え、明るく、淡々と話したつもりだが美津子は途中で泣き始めてしまった。


 「茉由子ちゃん、茉由子ちゃん、ごめんね。あなたにそんな苦労をかけたくなかった。半年前に帳簿が大きく合わなかったとき、ただの記入間違いかもしれないってお父様が田中を解雇するのを止めた私の甘さのせいよ」


 「判断をしたのは私だから、君は悪くないよ」


 と、穣が苦しそうに声を絞り出す。母親が田中を庇ったことは初耳だったが、別に今両親を責める気持ちはない。茉由子は一つ一つ、慎重に言葉を紡ぎながらこう言った。


 「私、裁縫も得意じゃないし作法だってめちゃくちゃよ。お琴を弾くよりも知らない国の話を知る方が好きだし、作法を習うよりも古くて怪しい錬金術の本を読んでいる方が楽しいわ。きっとお母さまみたいな良妻賢母にはなれないと思う。

 だから案外楽しいかもしれない。それに女学校だって中退よりは卒業している方が就職の口も見つかりやすいでしょうし、まあやってみるわ」


 言霊という言葉があるが、本当なのかもしれない。茉由子は話し終わる頃にはかなり前向きな気持ちで、やる気が満ちあふれていた。茉由子の様子を見た美津子はとりあえず泣くのをやめ、穣は


 「落ち込んだり喚いたりせず冷静に今の最善を考えてくれてありがとう。こんなことになって本当にすまない。芝山の坊ちゃんが父親に秘密でどんな事業を立ち上げようとしているのかわからないが、危険がありそうならすぐ言いなさい。

 私はこの先、炭鉱に行こうが遠洋漁業の船に乗ろうが覚悟しているが、茉由子にはなるべく普通の幸せをつかんでほしいと思っている。

 苦労をかけてすまない」


 とゆっくり言った。

 いつも楽しく、若いころ留学した時の話を語ってくれた鷹揚な父の姿はそこにはなく、ただ妻子と共に荒波に漕ぎ出す不安が全身からにじみ出ている中年の男がいた。

 ある意味最後のチャンスかもしれないこの話に乗り、一年間のあいだに「ビジネス」を形にするのだ。そして、あわよくば「ビジネス」を軌道に乗せて、両親と穏やかに暮らせる毎日を取り返すのだ。

 まだ何のビジネスなのかも決まっていないのだけれど。

 茉由子は奥歯をかみしめ、そう決意した。



 その頃、総一郎は紅の部屋の扉をノックしていた。はい、という返事に扉を開けると紅は議員名簿を見ていた。


 「またあの人に言われたのか?」


 総一郎が問うと、紅は


 「ええ。でもひと自体を見るのとは違って、これで名前が『光る』のは余程の人だけだから、お父様が求めているような新情報はないわね」


 と答えた。


 「紅がいきなり連れてくるくらいだから、茉由子さんは『光って』いるんだろう?」


 「それはもう、見たことがないくらいに。入学した時から少し『光って』いたんだけれど、今日はちょっとまぶしく感じるくらいで、驚いたわ」


 茉由子を思い出したのか、紅はきゅっと目を細めた。


 「ちなみに、お兄様が連れて歩いている女性の方で『光って』いる方はこれまで見たことがないわ」


 紅のコメントには触れず、総一郎は、


 「今日のところはまあ面白そうだし賢そうな子だなという印象だけど、僕には年相応のお嬢さんに見えたな」


 と茉由子の話を続けた。


 「お兄様。そもそも渋谷女学館に通う女の子で、父親の事業がうまくいかなくなって明日から仕事を探すことになって、ひと月泣き暮れない人なんてひとつまみもいないわよ。

 茉由子さん、強いわ」


 「それはそうかもしれない。まあとりあえずしばらく様子を見てみよう」


 総一郎はスコッチウイスキーの入ったグラスを明かりにかざした。それをちらりと見た紅は、


 「お父様には絶対見つからないようにしてあげなくちゃ」


 と小さな声でつぶやいた。


 「彼女が『光る』っていうのをあの人に話したことは、ないんだな?」


 総一郎が念を押すと、紅は首を振りながら


 「ないわ。学校に『光る』人がいるかは聞かれたことがないから、言っていない」


 と言った。総一郎は頷き、ゆっくりとこう言った。


 「よかった。僕たちの行動に興味をもたないように、僕が見た『夢』はこれまで以上に報告しておくようにするよ。紅が見る人の『光』と違って、未来は変わってしまうことがあるけれど」


 しばらく無言で紅の作業を見ていた総一郎は、一度部屋を去ってまた戻り、黙って紅茶を紅の文机に置いて自室へと姿を消した。

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