ポンパドゥール夫人の髪型のようなもの
翌日、茉由子はまた紅と共に車にのり芝山家に向かった。
突然紅と行動を共にし始めた茉由子を不思議がる桜子には、紅の幼い従妹に英語を教えることになったと言っている。
「芝山紅さんって、静かでとっつきにくい感じだけどすごく美人よね。私も話してみたい、どんな人か分かったら教えてね」
桜子にはそう言われて送り出されたが、昨日に引き続きまたほぼ車中は無言だ。桜子に共有できる話は今日も見つかりそうにない。
「お兄様は離れで待っているはずよ」
家に着いた紅は庭の片隅に建つ建物を指さし、すたすたと廊下の奥へと消えていった。これからバイオリンのレッスンがあるらしい。茉由子は他人の家でひとり残され躊躇したが、庭へと出るガラス戸を開け、離れというには大きすぎるその建物に向かって歩いていった。
離れの玄関扉をおそるおそるノックすると、すぐに扉が開き、優しそうな顔をしたメイドが顔を出した。年の頃は母・美津子くらいだろうか。
「よくいらっしゃいました」
茉由子を中へ招き入れると、
「こちらへどうぞ。坊ちゃま、茉由子さんがいらっしゃいましたよ」
と言いながら奥の部屋へと入っていった。
茉由子が続くと、総一郎がダイニングチェアに腰かけて何やら書き物をしている。その手元を照らすランプの流れるようなデザインに茉由子はしばし心を奪われた。離れはどうやらアールヌーボー様式で内装を統一してあるらしく、テーブルの装飾も手が込んでいる。
学生服に身を包んだ総一郎は顔を上げ、にこりと笑って茉由子に着席を勧めた後、立って壁際の本棚へと歩いていった。先ほどのメイドがすかさず紅茶を持ってくる。
「あの…」
先程書き物をしていたのとは別のノートを取って再度座った総一郎に、茉由子は話しかけた。
「女学生が欲しがる全く新しいものを作るっておっしゃっていましたけれど、どうして女学生なんですか?」
「流行っていうのは、時代や場所によって生まれるところが違うだろう?西洋では王の寵姫や愛妾のファッションを皆が真似していたし、江戸では吉原の花魁が使う独特の言葉が外の世界にまで広がっていた。
これからの時代は、そうした流行を普通の女の子たちが作っていくんだ」
分かるような分からないような話に、茉由子は
「学校では通学の装いに鮮やかな赤を取り入れることが流行っていますけれど、それがポンパドゥール夫人の髪型のようなものだと?」
と問いかけてみた。総一郎は首を振り、
「それはひとつの学校の中とか、せいぜい同年代における一過性の波のようなものだろう。僕が言っているのは、年齢層や生活環境も超えた大きな流行のことだ」
と言ったあと少し考え、
「そういう流行は生活習慣や常識を変えることだってある」
と付け加えた。
茉由子は必死で頭を回転させる。
つまり総一郎がやろうとしていることは、物を作ることではなく流行を作ることだということか。
しかし流行というのは作れるものなのか?
「普通の女の子たちが流行を作っていく、って、なんだか総一郎様は未来からいらしたみたい」
茉由子がそうつぶやくと、総一郎は笑いながら
「茉由子さんもウェルズの『タイム・マシン』を読んだのか。残念ながら僕は時間を超えた旅の経験はないけれど、一応そう言っている根拠はあるよ。そのうち話そう。まずはその、赤色を取り入れるということ以外にどんなことが学校で流行っているか教えてくれないか」
と言い、ノートを開いた。すでに半分くらい使われているその分厚いノートの様子から、総一郎がビジネスを昨日、その場の思い付きで提案したのではないことが茉由子には分かった。
小一時間ほど、茉由子は学校で話されているありとあらゆる話題を総一郎に聞かせた。
「少女の友」に連載されている小説、中原淳一や竹久夢二のイラスト。
髪のリボンの結び方。
横浜にある別の女学校のセーラー服が素敵すぎて、わざわざ見に行った人が何人もいること。
あとはもちろん恋愛と、縁談。
総一郎は時折質問を挟み、ノートにペンを走らせながら話を聞いていた。離れに迎え入れてくれたメイドが新しいティーポットといちごを持ってきた時には、総一郎と茉由子は幾分打ち解けていた。
「紅さんからすでにお聞きになっている話ばかりではなかったですか?」
いちごをフォークにさしながら茉由子が問うと、総一郎は眉を上げ、笑いをこらえるような表情で言った。
「あの紅だよ」
何年も同じ学校に通っているというのに、茉由子は昨日まで紅と話したことがなかった。交友関係の広い桜子ですら「話して『みたい』」と言っていたくらいだから、個人行動が多いタイプのようである。そして総一郎の言葉から察するに、家族ともあまり話し込まないようだ。
そんな彼女がやれリボンを大きくしたいだのセーラー服が着たいだのと主張している姿は確かに想像できなかった。茉由子は何と言っていいか分からず、話題を変えることにした。
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