シュレーディンガーのネコについて考えてみた

玄栖佳純

第1話 シュレーディンガーの猫の実験

 部屋の掃除をしていると、賞味期限が切れた封が開いていないお菓子の箱が出てくることがある。手にすると重さがあり振るとゴソゴソ音がして、中身が入っていることはわかる。切れた日数を数え、食べられるか否かを考える。


 これは一筋縄ではいかない。食べ物を無駄にしたくない。しかし、食べてお腹を壊したくもない。そして、できれば腐臭を放つかつて食べ物だった物を目にしたくない。なぜならその処理は私がしなければならないから。

 匂いは無臭。他に判断基準はないか。大丈夫かそうでないかを知るすべが足りない。


 開ける勇気もなく箱を持ったままでいると、量子力学で習ったシュレーディンガーの猫を思い出す。


 かすかな記憶と、ウィキペディアなどで調べたシュレーディンガーの猫。

 シュレーディンガーさんは「量子力学はおかしい」と思っている部分があって、それをわかりやすく説明した思想実験がシュレーディンガーの猫と呼ばれている。思想実験とは実際に実験をするわけではない実験。これが猫派の私にとって非常に納得ができない。たとえ行わない(行っても意味がないため)としてもひどい。


 シュレーディンガーの猫の実験について簡単に。

 鉛の箱に猫と毒が入った瓶が入っている。この瓶が割れると中身の青酸ガスが箱の中に充満して猫が死んでしまう。猫をそんな箱に入れるなんてありえない。


 この瓶が割れるには条件があって、箱の中には猫と瓶だけではなく、1時間で50%の確率で崩壊する放射性物質と、放射線を測定するガイガーカウンターも入っている。なんでパーセントなのかというと、放射性物質は放っておくと勝手に壊れる。壊れて放射線を出すため、ガイガーカウンターでそれが分かると、放射性物質が崩壊したことが分かる。ただ、それがいつかはわからない。だから確率でしか壊れるか壊れないかがわからない。小さすぎて見えないから。


 ちなみに鉛の箱を使っているのは、外からの放射線を入れないようにするためだろう。中に入れてある放射性物質からの放射線以外の放射線で瓶が割れてしまう可能性をできるだけ低くする。でもひどい実験だ。


 小さい物を扱っている量子力学の世界では、その放射性物質は1時間後に50%の割合で放射性物質が壊れていて、50%の割合で壊れていないというどちらかになっているわけではなくて、観測者が観測するまでは、放射性物質は壊れている状態と壊れていない状態の二つの状態を同時に持っている。


 箱の中を見ずに『絶対に壊れてます!』とか『絶対に壊れてません!』が言えない。『壊れていると壊れていないの状態が同時に起きてます』は言える。それと『たぶん壊れています』か『たぶん壊れていません』ならギリ言える。

 普通な感じだと、壊れていると壊れていないはどちらか一方しかありえないけれど、ちいさな世界ではそれがありえるらしい。


 そして、誰も何も観ていなかったらどっちもありえたけれど、誰か(観測者)が観るとそれがどちらか決まる。

 結果を見て、結果を知るだけで同時に存在していた状態、壊れているか壊れていないかが決まる。そんなの理解しがたい。


 崩壊しているかしていないかわからないけれど、崩壊したら瓶を壊すしかけがしてあって、つまり放射線が出たら猫が死ぬ。でもそれを決める放射性物質の崩壊がどっちもありという状態だったら、猫は生きていると言えるのか死んでいると言えるのか。といのがシュレーディンガーの猫の実験。

 改めて調べてもすごい実験だ。


 これは、放射性物質が崩壊するという量子のちっさい世界の話と、猫が生きるか死ぬか(ひどい)の人間が生きている世界にいろいろすっとばしてつなげた頭の中だけで試す実験。

 1時間後に観測者が観測するまで、放射性物質は50%の確率で崩壊していると崩壊していないが同時に存在している。すると、それに生死が決められている猫も生きていると死んでいるが同時に存在していることになってしまう。


 鉛の箱のふたを開け、観測者が中を見て、初めて猫の生死が決まる。猫が生きているということは、間接的にでも放射性物質が崩壊していないということが分かる。だから観測者が生きている猫を見たら、その時に猫の生が決まる。そして、観測者が死んでいる猫を見たら、その時に猫の死が決まるということになってしまう。

 観測者にその結果を決める権限はない。起きたことを受け入れるだけ。猫を助けたければ、放射性物質が崩壊する前に猫を箱から出すしかない。

 ひどすぎる。


 量子力学の『観測者が観たら結果が決まる』というのはおかしいとシュレーディンガーさんは言いたかったらしい。猫は生きていると死んでいるを同時に表現することができない。観測者が観測していない、鉛の箱の中には瀕死ではなくて(風前の灯火かもしれないが)、猫は元気に生きている状態と、毒ガスで殺されてしまった状態が同時に起きていなければならない。


 ただし、量子力学では観測するまで相反する状態を同時に持つということがあると証明されたらしい。箱の中の状態を覗き見する方法がみつかったらしく、中の状態を観測している時と観測していない時では、観測している時に観測している結果になったという結果が出て、シュレーディンガーの猫のようなことが起きていると話題になったらしい。


 しかし、この実験は実際にやっても意味がない。実験はやれば新たな発見があるから、なかったとしてもそれが発見となるから、どういう実験であってもやるべきとは思っている。しかしシュレーディンガーの猫の場合、ミクロとマクロをつなげる何かがたぶん大変なことになっている。たぶん、数の規模スケールが違いすぎる。


 ミクロな世界では崩壊するしないは同時に起きているのだろうけれど、マクロな視点だと放射性物質はいつかは崩壊する。そしたら猫は毒ガスで死んでしまう。

 ミクロな世界では放射性物質の崩壊は信じられない数で起きていて、それと一匹の猫をつなげていたら、圧倒的に猫が少ない。


 量子力学は私たちを作っている基礎の原子などを扱っている学問で、私たちと無関係ではないけれど、考え方を基本から変えないと理解できない。

 ちょっとだけ調べて理解したつもりでいるけれど、それでもやっぱりそれが正しいのか自信がない。


 シュレーディンガーの猫は量子力学を学ぶ上で理解を助ける思考実験である。

 ただ、これだけは言いたい。


 なんてひどい実験なんだ。






 それでもやっぱりすごいと言わざるを得ない。

 でもひどい。


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