第38話 境界線が崩れた日と、それからの世界
目標物が目の前に迫ってきた。
黒い怪鳥はスピードを上げて、公会堂の屋根の部分に横から突っ込んだ。
凄まじい音がして屋根が吹き飛ぶ。
建物の中から叫び声が聞こえ、逃げ惑う様子が伝わってきた。
中に居た人々が数十人、バラバラと外に逃げ出してくる。
巨大な白狼が向こうから走ってきた。
公会堂の近くに停めてあった車に体当たりして、片っ端からひっくり返していく。
車で逃げようとそこへ向かっていた人々は、回れ右して逃げ出し、川の方へ向かった。
川まで行けば、船で逃げることができる。
人々は、ヘトヘトになりながら川までたどり着いた。
船の置いてある場所へ向かっている途中、川の中から大きな何かがこっちに向かって泳いで来るのが見えた。
大きな黒い影が、水中を移動している。
それがすぐ近くまで来たと思ったら、突然ものすごい水飛沫を上げて、見たこともない巨大魚が顔を出した。
大きく開いた口の中に、鋭く尖った歯が見える。
そこに止めてあった船を、巨大魚の尾鰭が叩き壊した。
凄まじい音がして破片が飛び散った。
それだけでは済まず、何と巨大魚は、のっそりと陸に上がって来た。
その姿を見た人々は悲鳴をあげて川から離れ、また走った。
逃げ場を失った人々は、市街地に向かって走り始めた。
黒い怪鳥が、低空飛行でそれを追って行く。
リキは和人を乗せたまま、山の主の背中から途中で飛び降りた。
馬ほどの大きさになったリキが、地上から追いかける。
その後ろから白狼が、逃げ遅れている人々を追いかけた。
先に示し合わせていた通り三方から追い詰めて、数十人の人々を同じ方向に向かわせた。
このまま行けば市街地に入る。
自分達の居住区は絶対に安全だと、彼らは過信していたらしい。
反撃する術さえ持っていなかった。
普段ほとんど運動した事の無い者は、体力が尽きて足がもつれ、途中でバッタリと倒れた。
過呼吸になって苦しんでいる者も居る。
その上を飛び超えて、リキが走り、白狼が走った。
「踏まないだけ有難いと思え」
リキも和人も、同じ事を思った。
走る体力のある者達は、ひたすら走って逃げた。
彼らの居住区の端まで来ると、高い塀があり、その上には有刺鉄線が張られている。
一般庶民から見える外側には「立ち入り禁止」「危険区域」などの表示がある。
庶民に対しては、土砂崩れなどの自然災害、危険な野生動物の出没などの理由を付けて立ち入り禁止にしていた。
実際は、彼ら特権階級だけの優雅な生活と、会議の様子などを知られたくないからそうしているだけだった。
表向きでは「財政は苦しく、配給の食糧も十分確保しにくく、近年偶然重なった自然災害などにより住環境に適した場所は減っている」と発表していた。
「そんな中、我々も懸命の努力を重ねています。今は耐える時です。痛みを分け合いましょう」と繰り返し言っていたので、自分達の居住区は当然見られてはまずいものだった。
しばらく走ったあと、和人を乗せているリキの体がさらに大きくなった。
どんどん大きくなっていって、向こうに見える白狼と同じくらいかと思える大きさにまでなっていった。
「なんか大きくなってるけど」
「そうだよ。これからあそこを抜けるから」
「抜けるって・・・」
走って行く道の正面には、上に有刺鉄線が張られた高い塀が見えている。
扉も何もないけれど、あれをどうやって抜けるのかと和人が思っているうちに、塀がどんどん迫ってきた。
白狼が向こうを走っている。
リキと白狼の間に、高度を下げた黒い怪鳥が入ってきた。
怪鳥の背中には、三人とシロが乗っている。
逃げている人々の中で、一番先に塀に到達した数人が、塀の前で何やら操作していた。
一見出入り口は無いように見えるけれど、暗証番号を打ち込めば一部開く仕組みになっているのかもしれないと、和人は思った。
「なんか開けようとしてるのかな」
「どうせすぐ開くけどね。違う意味で」
三体は、まるで障害物など何も無いかのようにそのまま突進していった。
鉄製の丈夫な塀は、まるでオモチャのように簡単に破られた。
三体が通り過ぎた後、派手な音を立てて塀が倒れた。
彼らの居住区を隠し、隔てていた壁は一瞬で無くなった。
開けようとしていた数人は、目の前で向こう側に倒れた塀の前で呆然と立ちすくんだ。
それでもすぐに気を取り直して、また逃げ始める。
向かう先は、市街地の方しか無かった。
自分達の居住区の方には巨大魚が居るのを思うと恐ろしくて、そっちに戻るわけにもいかない。
三体は、もう一度Uターンして更に広範囲に塀を壊していった。
必死に逃げる人々は、塀がどんなに壊されても、そこを通って市街地を目指すしかなかった。
早く逃げなければ、恐ろしい存在達が後ろから追って来るから。
山の主達は、彼らが逃げるのを分かっていて適当に追いかけていた。
本当に殺そうと思うなら一瞬で終わる。
確実に市街地と方へと追い立てていった。
市街地まで来ると、カメラやタブレット、スマホを持った村人達数人が待ち構えている。
和人達も知り合いになった、百人ほどの人数の村の人達だった。
数日前、開発地を管理する連中に村まで入ってこられて、人の集まっている場所を包囲された。
結局は相手側が撤退して行ったけれど、二度と来て欲しくないと皆んなが思った出来事だった。
開発地に住まない者が居る事に対して、村に来て圧力をかけたり、山に入って住んでいる者を襲撃したりするのは、命令通り動いているだけの立場の者達。
その上に、もっと権力のある存在達が居るらしい事は、皆んな何となく気がついていた。
実際にその存在を突き止めて、そこを襲撃するから面白いものが観れるはずと、村に連絡が入ったのは昨日の事だった。
山の主達からリキへ、和人達へ、そこから知り合いの大家族や村人達へ。
情報が伝達されて行った。
ネット環境も捨てて山で暮らす和人達と違って、ここの村の人達は普通にパソコンもスマホも使っている。
今日はこの情報を拡散するために、連絡を受けてここに来ていた。
なりふり構わず逃げてくる人々の姿を、写真や動画に収める。
スマホにマイクを接続していて、ライブ配信でこの様子を流している者も居た。
村の人からスマホを借りた和人はリキと共に引き返していって、破られた壁とその向こうに広がる彼らの居住区の様子を撮った。
さらに中に入っていき、逃げようとして転んで怪我したり力尽きて倒れている人々の間を歩いて行った。
屋根の吹っ飛んだ公会堂の写真も撮った。
公会堂に入って行き、中からも撮る。
ここだけでも相当に広い敷地だった。
床にも柱にもテーブルにも、大理石がふんだんに使われている。
高い天井からはシャンデリアがいくつも下がっていたらしい。
今はそれが落ちて砕け散っている。
中央の会議室だけでなく、レストランやバー、レジャー施設、宿泊出来る部屋も、厚い絨毯を敷き詰めた広い廊下の両側にズラリと並んでいる。
どの部屋もホテルのスイートルーム並に広々としていて、高級な家具や調度品が揃えられ、絢爛豪華な造りだった。
ヒノキの風呂、大理石を使った浴槽、サウナ、露天風呂など、贅沢な温泉もあり、巨大なプールもあった。
和人は、これら全てを写真に撮りながら歩いた。
極め付けは、地下室に金塊や宝石が積み上げられた部屋が見つかった。
更に奥には巨大な金庫があり、開ける事は出来なかったけれど一体どれほどの金が入っているのかと思われる。
この地下室の様子も、和人は写真に収めた。
中央の会議室に近い場所のトイレは、屋根が吹っ飛んだ時に天井に穴が空いたらしい。
衝撃でドアも開いていたので見ると、中で用を足していた男が恐怖のあまりそのまま気絶していた。
「撮るのだけは止めといてやるか」
「撮っても見苦しいし」
静かにドアを閉めて通り過ぎた。
川の方から「これくらいでいいだろう。そろそろ戻る」というメッセージが、テレパシーで飛んできた。
巨大魚からのメッセージで、和人とリキは同時にそれを受け取った。
「ありがとう」とメッセージを返す。
巨大魚の気配が、フッと消えた。
「山に戻ったのかな。一瞬だね」
「妖怪だからね。そうしようと思えばいつでも一瞬で移動できる。来た時はゆっくりだったけど、どうにでも好きなように出来るし」
リキが答えている間に、白狼と怪鳥からも同じメッセージが来た。
お礼のメッセージを返すと、一瞬で気配が消えた。
「皆んな帰ったみたいだね」
「そうだな。これくらいやっとけばもう十分だから」
リキは普通の猫の大きさになり、和人と並んで歩いた。
支配層の人々の居住区を、ゆっくり眺めながら歩いて市街地に向かった。
そこに点在する個人宅も、城かと思うような大邸宅ばかりだった。
立派な門構え、広大な庭、いったいどこまで外壁が続いているのかという広さがあった。
和人は、そういう家のいくつかを写真に収めた。
家が並んでいる場所の後ろには、彼ら専用と思われる広大な畑、果樹園、水田が広がっていた。
「きっとここだけで、無農薬栽培とかやってるんじゃないかな」
「多分そんなとこだろうな」
今日だけであまりに多くのものを見過ぎて、和人もリキも今さら驚かなかった。
これも写真に撮っておいた。
市街地に戻ると、大変な騒ぎになっていた。
一般庶民が今まで、危険区域で入れないと信じていた場所が、実は全く違うものだったという事が、あっという間に知れ渡っていった。
茜は村人達に混ざって、崩れた壁の向こうの風景を、借りたスマホで撮影していた。
良太と琴音、犬のシロは、庶民の中では経済的に豊かな人達の居住区へ行った。
呼び鈴を押し「大切なお知らせがあります。出てきてください」と呼びかける。
犬のシロは、玄関で吠えて知らせる。
外で騒ぎが起きている事にはほとんどの人が気が付いていて、何事かと思っていた。
今まさにライブ配信を見ていて、何が起きているか知っている人も居た。
なので、呼びかけると皆んな簡単に出てきてくれた。
「行ってみる」という人が多かったので、二人と一匹はそれぞれ車に便乗させてもらった。
市街地を走り、崩れた塀のある境界線を目指す。
ここに住む人達は「危険区域から最も遠い安全な場所」という宣伝文句を信じて、おそろしく高い土地代を払ってここに住んでいた。
稼いでも稼いでも税金の項目は増え金額は上がるばかりで、比較的豊かな方とは言っても、今の社会システムに苦しめられている事に変わりは無かった。
それでも、全体として大変な状況なら仕方ないだろうと今までずっと我慢してきていた。
財政は苦しく、配給の食糧も十分確保しにくく、近年重なった自然災害で住環境に適した場所は減っている中、上の立場の人達も懸命な努力を続けてくれている。今は耐える時。痛みを分け合わなければ。
そう言われ続けてきて、今までずっとそれが真実だと思っていた。
車は市街地を抜け、崩れた塀を越えて「危険区域」と言われていた場所に入って行った。
そこは「危険区域で住環境に不適切」どころか、市街地の中のどこよりも自然豊かで広々として、住環境に適していそうな場所だった。
これを初めて見た人々は、あまりの事に怒りを通り越して思考がついていかなかった。
はっきりしている事はただ一つ。
自分達はずっと、彼らに騙されていたという事だった。
今も、塀の向こうに何があるのかという情報は拡散し続けていた。
「見てください!これが、立ち入り禁止の危険区域の正体です!」
そんなタイトルで、映像や写真入りの情報が伝わっていった。
リキと山の主達に追われて逃げていた人々は市街地まで逃げ込んで、途中でやっと、もうすでに追いかけて来る恐ろしいものが居ない事に気がついた。
「戻ったらまだ居るんじゃないのか」
「あの魚の化け物もいるかもしれない」
「危険だから我々はしばらく避難して、警察に見に行かせよう」
そんな事を話しながら歩いていた彼らは、自分達の周りを取り囲む人々の存在に気がついた。
普段は離れた場所に居て接点さえなく、番号としてしか認識していなかった人間達。
その人間達の中に、自分達は入ってしまっている。
その事に気がついた後、彼らは自分達にとってもっと恐ろしい事に気がついた。
自分達数十人を取り囲んで見ている人間達。
そこから伝わってくる感情。
それは、自分達が望んでいる畏怖と尊敬からはほど遠かった。
庶民は絶対に会う事も叶わない、手の届かない場所に居る、神のような存在。庶民からそういう風に思われる事を彼らは望んでいた。
そして、そうでなければ今の社会システムは成り立たなかった。
多くの庶民達が冷めた目で見つめる中、彼らはトボトボと歩いて居住区へ帰って行った。
11月15日
あの日を境に、全てが大きく変わり始めた。
壊した塀は、置いておくと邪魔だから皆んなで片付けた。
土地はたくさん空いているので、皆んな好きなように住み始めた。
俺達もそこへ行っても良かったけど、今住んでいる場所に愛着が湧いてきたし、そのまま住み続ける事にした。
皆んな気持ちは同じだったみたいで、俺達18人と36匹は、結局今までと大して変わらない生活をしている。
ただこれからは、見つかるのを恐れて隠れる事もないし、行きたい所へいつでも自由に行く事が出来る。
メールや電話を通じて直接命令を受けていた人達でさえ、特権階級の奴らの生活は知らなかった。
それを知ってしまって以降、奴らに従おうという人はいなくなった。
市街地まで逃げて来た奴らの他に、逃げ遅れて倒れている奴とか全員数えたら30人だった。
たったこれだけの人数で、人口数百万の地域全体を支配していたというわけだ。
真実がバレたのを知ると、奴らはコソコソと家の中に逃げて行き、出てこなくなった。
いつ引きずり出されて殺されるかと思い、きっと怯えながら暮らしていると思う。
庶民の側は別にそんなことをするつもりはないし、コソコソ隠れて暮らしている彼らの存在は、いずれ皆んなに忘れられる。
そんな奴ら居たっけ?ってなるのも、遠い未来の事ではないと思う。
今、情報が拡散されて他の地域でも同じことが起きている。
特権階級の奴らの人数を全て足してもおそらく500人も居ないのではないかと思う。
俺達庶民の側からすると恐れるようなものでは全く無いし、奴らが隠れてしまってはっきり分かったことは、奴らが居なくても俺達は何も困らないという事だ。
今までは多くの人が、奴らが居るから自分達が生きていけると思っていたけれど逆だった。
真実は、庶民が皆んな従っているから、奴らの権力が維持されていたということ。
果樹園や畑、水田を管理していたのはAIを搭載されたロボットだった。
奴らの家の外の倉庫らしき場所に、それがたくさん入っていた。
庶民側は人数が沢山居るので、ここを人の手で管理出来る。
奴らの土地や畑を勝手に使っている事に対して、俺は悪いとは思わない。
元はと言えば庶民から集めた金なんだから。
奴らは、危険地域だと偽って一番いい場所を独占し、贅の限りを尽くした生活をしていたわけだし。
あの場所は元々「彼らの土地」というわけでもない。
住む場所はここしかないと信じて狭い場所に押し込められていた人達は、自由に好きな所に住み始めた。
広大な水田、畑、果樹園があり、食物は十分に採れるらしい。
これから更に、あの場所がどんな風に変わっていくのか、俺もすごく楽しみだから時々見に行きたいと思う。
和人がペンを置くと、リキが机の上にポンと飛び乗った。
「外で焼き芋焼いてるみたいだぜ」
外に視線を向けて伝えてくる。
そういえばさっきからいい香りがしていたような・・・
和人はすぐに立ってリキについて行った。
普通サイズの猫の姿のリキが、二股に分かれた尻尾をピンと上げて歩いていく。
和人は静かな気持ちで、リキの歩く姿を眺めた。
これからは逃げる必要も戦う必要も無い。
という事は、リキはずっとこのサイズでいられるのかなと思うと、それが何か平和の象徴のような気がした。
自分達人間には寿命があるけれど、ここではリキと山の主達が、きっと次の世代へ、その先にも、この物語を語り継いでくれると思った。
妖獣ねこまた ゆき @satsuki88
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
私が見てきた昭和 あの頃の話/ゆき
★0 エッセイ・ノンフィクション 完結済 6話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます