【KAC20243】何だろう、この箱。

下東 良雄

何だろう、この箱。

 日も暮れ掛け、夕方から夜になろうとしている。

 街灯がポッ、ポッ、と点き始めた時間帯。

 オレは珍しく残業なしで帰路につくことができた。

 花の三十路だ。家には誰もいないけど、たまには早く帰りたい。


 栄えているとは言い難い、郊外の昔ながらの住宅地。

 時間の流れに取り残されたような感じさえある。

 そんなノスタルジックで薄暗い街並みの中を歩いていく。


 あれに見えるは、我が借家。

 築四十年の年季が入った平屋だ。

 住むには困らず、小さな庭さえある。

 大家さんもいい人だし、まだしばらくは住み続けるつもりだ。


「ん?」


 玄関の前に段ボール箱が置いてある。

 置き配? いや、通販を利用した記憶は無い。

 一辺三十センチくらいの立方体。

 手にしてみると、驚くほど軽い。中身はカラ?

 まぁ、悩んでいても仕方がない。

 オレは箱を持って帰宅した。


 パチン ピッ


 居間の明かりとテレビをつけた。


『明日の天気です。明日はくもりのち晴れ。最高気温は……』


 テレビからの音をBGMに、駅前のスーパーで買ってきたおつとめ品の幕の内弁当とお茶を取り出す。電子レンジで温めるのも面倒で、そのまま蓋を取ってぱくり。うん、問題なく美味しい。


 そして、視線は例のダンボール箱に。


「……ちょっと開けてみるか」


 ビィー ビリビリ


 ガムテープを取り、ダンボール箱を開けてみる。

 そこには小さな古びた箱が入っていた。

 一辺十センチくらいだろうか。緩衝材とかは一切入っておらず、ダンボール箱を開けたら、真ん中にちょこんと鎮座していた。


 箱を手に取るオレ。

 色と触った感じ木製かな? それぞれの角の部分は黒い金属で補強されているけど、それ以外は特に何があるわけでもない。ただ、明らかに作られてから相当な年月が経っていると思われる、そんな小さな箱だ。


「何だろう、この箱」


 ぽーん ぽーん ぽーん


 テレビでニュース速報のチャイムが鳴った。

 何かあったのかな?

 画面上部にテロップが表示される。


『西日本で箱が届いた可能性。現在、自衛隊が調査中』


 ……意味がわからん。テレビ局側の操作ミスとか不具合か?


 ぽーん ぽーん ぽーん


 またニュース速報だ。


『西日本で箱が届いたことを確認。19時より沖山首相が緊急会見予定』


 え? どういうこと? 箱って……。

 手に持っている古びた箱を見つめる。

 まさかね。


『番組の途中ですが、予定を変更して沖山首相の緊急会見を中継でお伝えいたします』


 スタジオから沖山首相の会見場に画面が切り替わる。

 沖山首相はいつものスーツ姿ではなく、作業着のような服装をしている。

 緊急会見が始まった。


『えー、すでに報道されています通り、西日本におきまして、箱が届いたことが確認されました。国民の皆様におかれましては、無用な外出を控え、できるだけ自宅から出ないようにしてください。また、警察や消防、自衛隊から指示があった場合には、それに従っていただく様、ご協力をお願いいたします』

『首相、西日本のどこに届いたのでしょうか』

『現在、警察と自衛隊にて全力で調査中です』

『避難の必要はありませんか?』

『現状ではその判断は下せませんが、避難時にアレが起こるかもしれないことを考えると、避難は最善の策ではないと考えております』

『アレが起こり得ると……』

『否定はできません』


 首相の受け答えに報道陣からざわめきが起こる。


『今は冷静に落ち着いて、次の情報をお待ちください。また、報道の皆様におかれましても、本件につきましては全面的なご協力をお願いいたします。以上です』

『首相、待ってください。首相、首相……』


 えっ、何これ。どういうこと。

 アレって何よ。


 ぽーん ぽーん ぽーん


 またニュース速報。


『箱が届いたのは鳥根県と判明。現在詳細を自衛隊が調査中』


 と、とりねけん!? って、ココだよ!

 えっ、えっ、えっ、は、箱って、コレじゃないよね!?


 ぽーん ぽーん ぽーん


『箱が届いたのは鳥根県入雲市内と判明』


 いりくもしー! ココだってば!


 ぽーん ぽーん ぽーん


『鳥根県と島取県全域に夜間外出禁止令を発令。政府発表』


 ちょ、ちょ、えっ、どういう、えっ!?


『番組の途中ですが、予定を変更して沖山首相の二回目の緊急会見を中継でお伝えいたします』

『えー、自衛隊からの発表通り、箱の届いた先が絞られてきました。受け取った者は迅速に拘束の上、隔離し、アレが起こらないように徹底いたします』

『首相、国民からは即射殺の要望が多く聞かれていますが』

『日本は法治国家です。法に従って対応いたします……が! 超法規的措置も考慮しています。アレの影響を考えると、現場判断で箱の所持者の射殺もやむ無しと考えております』

『所持者射殺において、アレによる汚染や、アレの逃走が考えられるのでは』

『はい、だからこその現場判断です。責任はこの沖山が取ります』


 ざわつく報道陣。


『現在、日本は国家存亡の危機にあります。国民の皆様、何卒ご理解ください。以上です』

『首相、待ってください。首相、首相……』


 真っ青になるオレ。

 やっぱりこの箱のことなんじゃ……

 で、だからアレって、何だよ!


 ぴんぽーん


 家のチャイムが鳴った。

 そーっと玄関に近寄り、扉のスコープから外を覗いてみる。


 そこには防護マスクを被った迷彩服姿の人物が数名立っていた。

 そのうちふたりは、小銃を持っている。


 ひーっ! ど、どうしよう……

 あっ! この箱が原因なら、この箱を家に置いて、そのまま逃げちゃおう!


 オレはそーっと居間に戻り、ちゃぶ台に小さな古びた箱を置いて、裏口から逃げ出すことにした。


 が。


 きぃぃぃぃ……


 裏口の扉は、建付けが悪かった。


「逃げたぞ!」


 見つかったー!

 オレは全力で逃げた。じ、自衛隊が追ってくる……!

 幸い防護マスクを被っていると長時間全力では走れないようで、オレは何とか自衛隊から逃げ切れた。

 住宅地を抜け、土手から河原に転がって橋の下のスペースに逃げ込む。


 はぁ はぁ はぁ はぁ はぁ


 何がどうなってんだよ、もう……意味分かんねぇよ……


 コツン


 何の音? ……えっ、何で。


 オレがしゃがみ込んでいた、そのすぐ横にあの古びた小さい箱があった。

 ぞっと寒気を覚える。

 オレは咄嗟に箱を手にして、そのまま川に投げ捨てた。


 ちゃぽん


 箱が下流に流れていく。

 そのまま海まで流れていってくれ。

 箱が流れていったのを確認。オレはホッして腰を下ろした。


 あ、イテッ。

 大きな石がお尻の下に……は、箱がある……。

 一体どうなってんの……?


 きんこーん きんこーん きんこーん


 スマートフォンから大音量のチャイム。

 緊急警報だ。


『沖山首相、箱の所持者の射殺を許可』


 えーっ! オレ何もしてないのにー!


『男性はアレによる性暴力に十分注意。政府発表』


 だからアレって何だっつーの!

 汚染して、逃げ出して、男性を襲って、国家存亡の危機って、意味分かんねぇよ!


 と、とにかく逃げるしかない。自衛隊に殺される……

 オレは近くの住宅から自転車をパクり、警察や自衛隊による検問が張られている幹線道路を避け、ひたすら裏道を走り続けた。

 やがて、丘の上にあった古びた神社に行き着く。今や頼れるのは神様だけである。


 月明かりの下、箱を月光にかざした。

 誰がどう見たって、単なる古びた木製の小さな箱である。

 この箱が日本中を混乱させているなんて……


 あれ? この箱、開くぞ……

 いや、やめておいた方がいいか……

 でも、こんな混乱に巻き込まれたオレは、この箱を開く権利があるのではないだろうか? まぁ、好奇心が勝ったということだ。


 オレは恐る恐る箱を開いてみた。

 そこには――


 ――何も入っていなかった。


 空っぽじゃねぇか。何も起こらねぇし。


 きんこーん きんこーん きんこーん


 スマートフォンから大音量のチャイム。

 また緊急警報だ。


『箱の開封を確認。全国民の外出禁止令を発令。政府発表』


 えーっ! どっかで見てんのか、オレのこと!


『アレによるつまみ食いに十分警戒。食品は冷蔵庫に入れよ』


 だーかーらー、アレって何だよ!

 つまみ食いするヤツが国家の存亡を引き起こすのかよ!


 ……ゴゴゴゴゴゴゴゴ


 ん? 何の音?

 オレは神社の境内から腰を上げ、参道の階段の一番上から丘の下を見下ろしてみた。


 目を疑った。

 多数の戦車が隊列を組んでこちらに向かってきているのだ。


 うそーっ! なに、戦争でも始まるの!?

 この箱とかアレって、そんなにヤバいの!?


 カッ ひゅんひゅんひゅんひゅんひゅん


 突然、オレを猛烈な光と風が包む。

 光源を薄めで見ると、自衛隊の攻撃ヘリがオレを照らしていた。


 あぁー、もうダメですな。

 今さら言い訳したって、聞いてくれる前に撃ち殺されるだろ。


 オレは手に持っていた箱を憎々しく思った。

 全部コイツのせいなのだ。オレの平穏な日々と幕の内弁当を返してくれ。ちくしょうめ!

 オレは箱を戦闘ヘリに掲げた。


「ほらよ! こんな箱、お前らにやるよ! 持ってけ!」


 そのまま箱を戦闘ヘリに投げつける。


 ガッ カコーン


 箱は戦闘ヘリのメインローター(くるくる回っている羽根)に当たり、地面に叩きつけられた。

 箱は壊れ、開きっ放しの状態で参道の石畳の上に転がる。


 戦闘ヘリは、そのままくるりと方向転換をして、その場を離れていった。

 丘の下を覗くと、戦車隊も方向転換して神社から離れていく。

 理由は分からないが、自衛隊は撤退を決めたようだ。

 オレはへなへなとその場に座り込み、そのまま大の字で参道の石畳に寝転んだ。


 助かった……逃げ切った、ってことなのかな……

 とにかく、オレは今、生きている。それでいいじゃないか。

 自然と笑みがこぼれる。

 このまま家に帰れる。そんな予感がした。

 すべてが終わったんだ。さぁ、帰って幕の内弁当を食おう。


 夜の帳が下りた薄暗い神社の境内。

 オレは優しい月明かりを浴びながら、ゆっくりと腰を上げた。








 きんこーん きんこーん きんこーん








 スマートフォンから大音量のチャイム。

 緊急警報だ。


『箱の破損を確認。米国・ロシア・中国より核攻撃の提案』


 は?


『沖山首相、苦渋の決断。核攻撃を了承。政府発表』


 はぁー!?

 か、核攻撃!? 箱とアレをどうにかするために核攻撃するってか!?

 どうなってんだよ、オイ!


『アレのストリーキングに警戒。政府発表』


 核攻撃と露出行為を同列に語るな、ボケ!

 そんなもんどうでもいいわ!

 つーか、アレって何!?


 夜空の向こうから明らかに流れ星ではないものが飛来してくる。


 箱って何!? アレって何!?

 助けてー! おがーぢゃーん!




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 ――数年後


 日本は国家として存続していた。

 三ヶ国共同での核攻撃により、中国山地が一部消し飛び、巨大なクレーターが出来上がったが、その山々が各都市を守る壁の役割を果たし、奇跡的に犠牲者はひとり。箱の所持者だけだった。

 現在は、今回の事件を踏まえ、日本での核武装や局地的な核攻撃が可能な武器の実装について、国民を巻き込んだ議論が続いている。


 核攻撃による巨大クレーターは、まだ放射能により汚染されている恐れがあり、学術目的以外での立入は厳しく制限されている。

 それでもクレーター内は、少しずつ植物が繁殖し始めており、自然のたくましさを感じさせた。


 ちゅん ちゅん ちゅちゅん


 そんなクレーターの中心部。小鳥たちが集まり、まるで鎮魂歌を歌うかのようにさえずっている。


 ぱたぱたぱたぱた……


 小鳥たちが飛び立っていく。

 そこには、古びた小さな木製の箱が転がっていた。



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