第6話

『おかあさま、みて! マルタとつくったのよ!』


 ガタガタの、三日月と星の刺繍のハンカチ。デザインだってあんまり良くなかったと思うのに、7歳の私と12歳のマルタの頭を撫でてお母様は微笑んだ。


『すごいわふたりとも。ふふ、このお月様はエレナで、お星様はマルタね?』

『もうっどうしてわかっちゃうの?』

『お嬢様ったら。お月様歪んじゃってますもん、丸分かりですよ』

『マルタ! わかってるならどうしてゆってくれないの~っ』


 私のそんな言葉に、お母様もマルタも笑っていて。春の日差しに負けないくらいあったかい、日常だった記憶──。



「おか、さま……」


 ぽたりと枕に落ちる何かの音で目を覚ました。透明なその染みは、なんでしょう。

 寝起きで滲んで視界が悪いから新しい寝巻きの袖で少しだけ目元を拭いて、部屋を見ました。

 微かに波のざぶりとした音が少しだけする中、部屋の中は(今までよりは豪華ですが)至って平和で静かな夜の寝室。隣のマルタの部屋と繋がる扉も窓から落ちる月明かりも、眠る前とあまり変わりません。

 きっと、ただの夢を見てすぐに起きてしまった、のでしょう。


「お母様……私、ウルベルト様とこれからも仲良く出来るでしょうか」


 夢で見た笑顔のお母様の事をぼんやりと窓の外、夜空に描きながら思わず呟きます。

 きっとお母様なら、エレナなら大丈夫よ、と言ってくれるような気がしますが……どうしても不安な気持ちは消えてはくれません。

 船に揺られて5日。食事や音楽鑑賞などを共にする程度にはウルベルト様と良好な関係を築いていますが、明日の連合王国上陸に強い不安を感じていました。


「ウルベルト様はお母様や市井の人達のようにとても優しいし、連合王国に関する事もたくさん教えてくれて……なのに、彼が狼なのだと聞く度に、光景が……っ」


 魔犬が生きたうさぎに食らいつく姿。血に塗れた鋭い歯がこちらに向いた時の恐怖。そして、お母様を最後に見たあの時。

 マルタと一緒に歩いた市井で子犬を見て錯乱してしまった私を一時的に診て下さったお医者様は、それが「心の傷から来る病」だと教えて下さいました。

 それを必要な時に適切な治療を受けていれば一時的なものに過ぎなかった。でも治療を受けられずブリジッタや周りの人間に悪戯に刺激されたから、悪化してしまったのだと。

 本当ならそのお医者様の治療を受けられたら良かったのですが、その前にこの婚姻が整ってしまったのです。


「自覚も治療の第一歩とも言える、そうおっしゃってたけど……やっぱり、苦しいものは苦しい」


 涙がまたこぼれた。熱くて、苦しくて、でもマルタを起こしたくないから、布団を被って丸くなるしかありません。

 どうして私はこんなに無力になってしまうのでしょうか。

 このままではいつか、お優しいウルベルト様を傷付けてしまうかもしれない。


「──私、克服、したい」


 それが私を一番、傷付ける事だとしても。


+ + +


「エレナ。緊張しているのか?」


 喉が上手く動かなくなって、私は頷くしかありませんでした。

 船を降り、この後は連合王国の王城のある中央王領・王都へ道中転移魔法を使って馬車で向かう、という事まで頭に入ってはいるけれど。

 王国は連合王国を嫌っている、というのは連合王国にも伝わっていて私もそうだと思われていると思ったら、怖くなって来てしまったのです。


「そうだな、ひとつ隠し事を明かしても?」

「かくし、ごと」

「俺の家族は君の事を歓迎するそうだ。君のお披露目の件もあって母と連絡を取っていた時に父と妹も一緒で、君の話してくれた事情を聞いて俄然、義理の娘として仲良くしたい、と」

「か、海上でそんな連絡手段が……? それよりその、どうして」


 戸惑う私に、ウルベルト様は市井にいた悪戯好きな子供のような笑顔を見せました。


「母は友好国の公爵家の出身なんだが、その公爵家に伝わる魔法に遠方でも連絡が取れるものがあってな。それを魔道具に落とし込めた理論を両親が婚約時代に共同発表、実用化に向けて王族間でのみ試験的に使っている訳だが……父はこれをエレナの分も作成出来ないかと担当者と掛け合っているらしい。それくらい、気に入った相手には甘いぞ。俺の家族は」

「私はお会いしてませんから気に入られる要素が無いのに、ですか?」

「普通はそう思うだろうな。特に母は優しく隙の多そうな人ではあるんだが、努力家故に周りが目に入るというか、直感的に何かを理解しているというか、表現に困るな……とにかく審美眼に長けている人だ」


 はぁ。としか言えなかったのは仕方ないと思う。ウルベルト様も上手く言えなくて困っていらしたし、会ってみれば分かるよ、としか言えなくなってしまっていた。

 でも、魔道具かぁ、と考える。

 私も一応魔法は使えますが、光の魔法はとても明るく元気に前向きにさせるような見た目が特徴なのですが、私の魔法は輝きも私の髪や瞳のように淡く、前向きになるようなものではないのです。

 お母様は、エレナの魔法は優しい光なのよ、と頭を撫でてくれて、笑っていたっけ。


「私の魔法も、魔道具なら……明るくなれるのでしょうか」

「エレナの魔法……そういえば、あの公爵家は王族と同じ魔法を扱うとか」

「光の魔法です。でも、私の魔法は人より煌びやかではないので、恥ずかしい、と言われてきました」


 ……魔力量は申し分ないはずなのにどうして明るくない? 我が王国の栄光である光が弱くてはいけないというのに!

 ふん。伯爵風情でお高くとまった女から生まれたお前は。やはり。


『失敗作』


 お父様の声が頭の中で響きます。

 私の名前が「失敗作」なのではないかと錯覚しそうなほど何度も聞いた言葉。


「──エレナ?」


 声をかけられて、はっと顔を上げる。アクアマリンの瞳が私を見ていました。


「大丈夫です。少し、考え事を」

「……俺がいる。エレナが転んだりしても絶対に受け止める」

「ころ──……ふふ、ふ、っ」


 突拍子もないウルベルト様の発言に、思わず笑みがこぼれて。私が不安だからって気遣ってくださってるのが嬉しいような可笑しいような。


「はい、ウルベルト様。私、重たいかもしれませんがその時はお願いします」

「こう見えて鍛えているから、潰してしまうなんて思わなくていい。むしろエレナは細いから、俺の方が君を折ってしまわないかヒヤヒヤしているくらいだ」

「大丈夫です、私だってそんなか弱くありませんよ」


 ああ、ウルベルト様といると、少しだけ心が落ち着くのはどうしてかな。

 ねぇ。お母様。

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狼王子の婚約者は克服したい〜優しい月明かりのように寄り添って〜 ろくまる @690_aqua

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