届くのは愛情だけではない

とは

届くのは愛情だけではない

 打木うちき希美きみには、開けなければならないものがあった。

 そう、それは箱である。


 希美が、恋人である元木もとき直人なおひとと同棲を始めて数か月がたった。

 時に笑い、時に泣きながら、二人は仲良く生活を続けている。


 実母直伝の希美の料理スキルは、あっという間に直人を夢中にさせた。

 文字通り、彼の胃袋と記憶を掴んだ希美は、幸せな生活を送っていたといえよう。


 ――この箱さえ届かなければ。


 玄関のチャイムの音に、インターホンの画面をのぞき込んだ希美の口から「げっ」という言葉がもれた。

 宅配業者から荷物を受け取り、リビングの机に届いた段ボール箱をのせる。

 疲れからではないため息が、希美の口からこぼれていく。


「さて、今回は何が送られてきたのかしらね」


 伝票に書かれた、送り主である直人の母親の名前を眺めながら希美は箱へと手を伸ばしていく。


 二人の生活が始まってから、定期的に「これ」は送られてくるようになった。



◇◇◇◇


 

「新しい生活は、何かと物入ものいりでしょう」


 表面的には実に優しい言葉で始まった仕送り。

 お金を送ってくれというつもりはないが、毎回それらの処理に希美は頭を悩ませてきた。


 ある時は、直人が嫌いな野菜だけが傷んだ状態で送られきた。

 どんなものであろうと、礼を言わねばなるまい。

 電話を掛けた希美に、直人の母は小ばかにしたような口調で話を始める。


「ご近所さんが新鮮な野菜をくれたのよ。せっかくだからおすそ分け。も・ち・ろ・ん! 希美さんなら食べてくれるでしょう?」

「……」

「あら、お礼も言えない子かしら。いやぁね、今どきの子は」


 この野菜ならば、直人が口にすることはない。

 そうした準備を整え、相手は嬉しそうに話をしている。


「……分かりました。ありがたく頂戴いたします。新鮮な状態で送っていただいたはずなのに、お母様と一緒でしなびているようですね。あら、いけない。受話器と口が滑りました」

「なんですって! なんて失礼な言い……」


 叩きつけるように受話器を置いてすぐ、電話機のコンセントを抜いておく。

 直人には、「自宅電話の調子が悪いので、連絡はスマホで」とメッセージを送り希美は夕食の準備を始めた。


 何も知らず帰ってきた直人を出迎え、彼が夕食を口にしたのを見届ける。

 こっそりと電話機のコンセントを戻して間もなく、電話が鳴り出した。

 食事の準備を理由に、直人に電話に出てもらえば、甲高かんだかい彼の母親の叫び声が台所まで聞こえてくる。

 戸惑い気味の直人の隣へと向かい、話に聞き耳を立てる。


「ちょっと、母さん! 声が大きすぎるよ。今は食事中だから、手短に用件を聞かせて……。うん? 届いた野菜なら今、食べているよ!」

「なんですって! あなたが何でそんなものを!」

「『そんなもの』? どうしてそんなひどい言い方するの? 希美ちゃんの作ったかき揚げ、とっても美味しいのに」


 さすがに母親でも、恋人に対し失礼な言い方は許せない。

 その気持ちを明らかにした直人に笑顔を向け、受話器を渡すように促す。


「こんばんは、お母様。かき揚げにすれば、細かく刻むし、油の風味で香ばしくなるんです。これならば、直人さんも食べてくれるかなって思って」

「希美ちゃん! とっても美味しかったよ。俺、今までこの野菜を嫌いって思っていたけど、そうでもなかったみたいだ」


 怒りの表情から再び笑顔に戻った直人には、出来たてを食べてほしいと言って、食卓へ戻ってもらう。


「あなたっ……、あなたって人はっ!」


 怒りで言葉を途切れさせる直人の母に、希美は淡々と答えていく。


「私って人は希美です。かき揚げが食べたいので失礼いたします」


 電話を切り直人の元へと戻れば、彼は申し訳なさそうに自分の母親の口の悪さを謝ってくる。

 希美はにこりと笑い「気にしないで」と言っておいた。


 それからしばらくして、希美の誕生日に届いた箱には、30cmほどの大きさの木彫りの熊の面が入っていたことがあった。

 かっと口を開き、牙を見せ恐ろしい表情を向けたそれを前にしばし固まる。

 どういうつもりかと電話を掛けてみれば、彼女は高らかに笑い、話を始めてきた。


「あなたに顔がとてもそっくりだったから。いいプレゼントになると思って買ってみたの! 誕生日プレゼントよ、捨てるなんてもちろん許さないから」

「……ありがとうございます。一度、鏡をゆっくりご覧になった方がよろしいのでは? きっと、私よりそっくりだと思いますよ」

「まあっ、なんて言い方をするの! こんな女にうちの子がっ……」

「すみません。口が滑りましたけど、受話器はあえて置きますね」


 相手は何か叫んでいたが、遠慮なく電話を切る。

 再び電話機のコンセントを抜いておき、その足で知人が経営する近所のロシアンカフェへと向かう。

 一連のされたことと、自分が考えた計画を話せば、知人は大笑いをしすぐに『材料』を調達してくれた。

 併設された工房を貸してくれるということで、持ってきた二枚の写真をもとに希美は黙々と作業を始めていく。

 完成していく品に、知人と客たちが楽しそうに笑っているのを見届けながら、二日ほどかけて希美はある品物を完成させた。

 知人が梱包も郵送も手掛けてくれるということなので、それらを任せ悠々と希美はその時を待つ。

 

 そろそろ届きそうだ、という知人からの連絡を受け、恒例のコンセント戻しの作業を終えて間もなく、電話が鳴りだした。

 通話ボタンを押せば、以前にも聞いた金切り声が受話器から響く。


「ちょっと、あれはどういうつもりなの!」

「いや、お届けものですよ。お礼をしなければなぁって思っていたので。知人がロシアンカフェを経営しておりま……」

「ふざけないでよ! あんな気持ち悪いマトリョーシカ見たことがない!」

「え、気持ち悪いって言いますが。あれ、お母様の顔ですよ?」


 そう、希美はマトリョーシカの顔を、直人の母親の似顔絵に変えていたのだ。

 美術には自信がある。

 写真を見ながら丁寧に描いた甲斐があった。

 知人も客たちも、再現力の高さに太鼓判を押してくれたものだ。


「どうして一つだけ、あんたに送った熊の顔になっているのよ!」 

「あぁ。前の電話のときに言いましたが、私よりそっくりだったので混ぜておきました。どれだかわかります?」

「きぃぃぃ! あんたって子は!」

「あ、プレゼントなのでその『母リョーシカ』は捨てないでくださいね~。それでは失礼いたします」


 受話器を置き、再びコンセントを抜くと、希美はその場にしゃがみこんでしまう。


「はぁっ、……怖かった。でも頑張ったよね、私」


 ポケットにお守りのように入れておいた名刺を取り出し、そっと撫でてみる。


「困ったらいつでもって、真加瀬まかせさんは言ってくれたけど。出来るところまでは自分で頑張ってみよう。あ、もうこんな時間だ。夕食、何にしようかなぁ」


 再び名刺をポケットに戻し、希美は立ち上がる。


「うん、今日はロシア料理にしよう」


 ポケットをひとなでして笑顔になると、希美は買い物へと出かけていくのだった。

 

  

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

届くのは愛情だけではない とは @toha108

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ