やけを起こした僕が悪いんだけどさ
蓋を開けてみればなんてことない。
僕は簡単に脳神経医学系のとある研究チームの一員に迎えられた。
患者『雷野リノ』はただの植物人間だと思われていて、研究チーム内で学術的興味はあまり持たれていなかった。
ただ、有名人の息子でめちゃめちゃ美人な奴がそこにいる、というだけで、学生達は一度は担当してみたいと思うものらしい。
「眠り姫ちゃん」「天使のリノちゃん」なんて関係者の間で呼ばれているのを聞く度に、僕は鳥肌を立てていた。
男、男! そいつ男! つーか僕の体!
ついでに中身、多分僕の好きな男!
ということで僕が研究内容を検討し始めた際に、雷野リノと僕の関係を教授に話した。
入れ替わりのことも、僕なりの仮説を立てて説明した。
教授は勿論入れ替わりなど信じなかったけれど、クリスの中の『僕』については面白い症例だと言ってくれたし、『雷野リノ』への治療アプローチとしても僕は適任だと考えてくれたらしい。
僕が提案した通り、箱の外から僕が声を掛けると『雷野リノ』の脳波が著しく反応した。
しかも、僕が「リノ」と呼び掛けるより、「クリス」と呼び掛けた方が大きく。
それはつまり、『雷野リノ』の自認は『クリス』だってこと。
「そういうこともあるのか……」
「いや無いでしょう……何のファンタジーだって話ですよ」
「現在の科学で解明されていないものを全てファンタジーだと片づけるのは夢がないんじゃないかい」
「夢は寝て見てくださいね。私はミラーニューロンに近い
「僕もそれが有力かなと思っているんですが、同時に二人ともが同じ事態に陥るのは不思議ですよね」
「クリス君は他人事みたいに言うけど……あ、今はリノ君なんだっけ」
「クリスで大丈夫ですよ」
「いや、でも私達もこれからは彼のことをクリス君って呼んだ方が良さそうだから、君のことはリノ君って呼ばせてもらいたい」
「それでしたら喜んで」
教授と先輩と僕でクリスの症例を研究することになった。
僕は今23歳。まだ修士課程に入ったばかりだけど、多分このままクリスの名前でPh.D.を取ることになる。ちょっと特殊なコースで、二年先に博士課程に進学して、医者となるための初期研修を後回しにして先に研究できるコースを選択した。
僕が医者を目指すのは、
ひとつ、僕のクリスを取り戻すため。
もうひとつは、僕の昏い欲求を満たすため。
僕は極度の加虐趣味を抱えている。
クリスの体になってからはだいぶ薄まっている気がするけど、元々はかなり過激な動画なんかを漁っていたりもした。
あっ、年齢の話は深く考えないで欲しい、時効ってことで……。
インカーにも、全部は付き合わせられない。傷を残すようなことはしたくない。
だから、そういう欲求は医療行為で満たそうと思っていた。
で、いざ蓋を開けてみると、いわゆる病院の先生……臨床医でなくても、研究医として研究分野の治療に携われることが分かった。
それなら、僕がやりたいことは、ひとつに絞られる。
「クリス。今朝インカーと喧嘩したんだ。
あいつ、僕がお前の服保管してたのを、嵩張るからって捨てたんだよ。確かに、僕の趣味じゃないから着てなかったんだけど……お前が元に戻ったら着る服だったのに……」
僕は今日も、ガラスの向こうの箱入り娘に語り掛ける。天使のリノちゃん、もといクリス。長い金髪はシーツの上を流れ、指も首も何もかも細い。その首には僕が自殺しようとしてつけた、大きな傷。
ああ、なんでお前がこんな目に遭わないといけないんだ。
僕がすっぱり命を断てていたら、こんなことにはならなかったのに。
クリスに話していい話題は決めてある。僕とインカーの私生活。僕が医者を目指していることや、授業内容なんかは駄目。もし『雷野リノ』が起きてきた時に、体の記憶と心の記憶がどうなっているのかを確かめるためだ。
『僕』は、クリスの体の記憶が知る筈のないことまで知っている。
それは、クリスが僕の人格を模倣しているという仮説ではあり得ないことだ。
『僕』がリノだった時のお前への思い、だけじゃない。お前が知り得ない留学の時の記憶や、お前には話せないもっと昏い記憶まで、しっかりと思い出せる。
そんでもって、『クリス』としての記憶は、ない。
お前は、どうだ?
その中にいるのか?
リノの記憶、見える?
そうだとすると、困るな。
僕って色んな妄想してたし。
ヤバい知識もいっぱいあるし。
触らないでおいてほしい、かも。
男の情けってヤツ……。
「早く帰ってこいよ。インカーに必要なのはクリスなんだ。
あいつ、僕と付き合って長いから、クリスに顔向けできないなんて言っててさ……馬鹿だろ、ほんと。
僕かクリスのどっち選ぶ?って聞いても、毎回選ばない、選びたくない、どっちも諦めるって言っててさ……
お前……クリスからも何か言ってやってくれないと、僕はあの石頭を説得しきれねえよ……」
返事は当然、ない。
脳波を見る。
何か考えを巡らせているように、反応はしている。
赤くなったり、黄色くなったり、青くなったり。
ああ、お前が好きだって言ってた三原色だな。
クリス、お前はそこで生きているんだろ?
「起きて……クリス……僕、早く死にたい……」
多分。
僕が死にたがってるうちは、お前は起きないんだろうなという予感めいたものがあった。
お前、僕が死ぬの絶対阻止しようと思ってるだろ。
でも、『雷野リノ』としての『僕』が、最低最悪なのは変わってない。変わりようがない。
変わりたくて、変われなくて、変えてほしくて、変えてくれなくて。
だからこの死にたさは、どうにもならない。
クリス、ごめん、ごめんね。
お前の期待には応えられない。
でも、僕のワガママには応えて。
お前の明るくカッコよかった顔が、
僕のせいでやさぐれて陰気になるの、
毎日鏡やガラスで見たくないんだよね。
「インカーに愛してるって言われても、罪悪感しかわかないんだ。いや、嬉しいよ? 嬉しいと思うのがもう、嫌なんだよね。
僕は幸せになっちゃいけない……これ以上クリスのものを奪いたくない……。
なあ、クリス。クリスに全部返したいんだ。僕の人生、全部クリスのものの筈だったんだ……」
その後もしばらくぐだぐだと、クリスに泣き言をこぼしてから僕は席を立った。
いつもクリスと話した後しばらくは誰からも声を掛けられない。恐らく、ものすごく不機嫌な顔をしてるんだと思う。
いつまでこれが続くのだろう。
データが取れ過ぎて、博論書き上がっちゃうよ。
ねえ、クリス……。
僕らずっとこのままなら、さ。
あいつのこと、そろそろ解放してやろうか。
「インカー。別れよう」
その晩僕がそう切り出すと、インカーは少し目を見開いたあと、悲しそうな顔になった。
「……すまん。今朝のは、軽率だった。そんなに嫌だったか」
「違う……あれは僕が悪いよ。もう怒ってない。着ない服をずっと持ってても仕方ない、それはそう。起きてから改めて買えば良いんだし……。
そうじゃなくて……お前、就職しただろ。でもクリスの中身が僕である限りお前とは結婚してやれない。今なら、新しい出会いが沢山あるはずだろ。僕と……クリスとも別れて、幸せになってほしい」
僕は考えをインカーに伝えた。インカーは眉をひそめてしばらく黙ってから、長々と溜息をついた。
「……寝言か? 思ってもないこと言うなよ。リノは今でも、クリスより良い男はいないって信じてんだろ」
「当たり前じゃん。クリス舐めんなよ」
「なら私が今別れるのは私が損じゃねえのか」
「えっ? えー、まあ、そう……?」
「独り占めしたいってんなら譲るけど、それはあいつが起きてからだ。今のお前を放置して次の恋を探せるほど、私は薄情じゃない。
……ったく、思い詰めた顔しやがって。独りでそんなこと悩んでたのか? いい加減にしろよ」
「だって……」
だって、さぁ。
僕がこんなに無力だなんて、思いもしなかったんだ。
僕がクリスに「お待たせ」って一声掛けたら、「遅かったなー!」って笑いながら起き上がってくれるって夢見てたんだよ。
でも、現実は非情だった。
毎日、答えが返ってくるわけもない語りかけを繰り返してる。
つらいんだよ。
僕の罪って、そんなに重かったんだなって、仕方ないよなって、分かってるけど、分かってるからこそ、お前まで巻き込みたくなかった。
インカー。僕とクリスの、大事な人。
「なんでお前まで、幸せになれないんだよ……!」
「私は、幸せだよ」
テーブルに叩きつけた拳を、ふわりと温かい手が優しく包む。
「私の好きな人を助けるために、私の大切な人がこんなに頑張ってる。それをそばで支えられるんだから、私は幸せだ。普通の女の二倍くらい幸せなんじゃねーかな」
幸せって、お前の幸せって、ホントはそんなもんじゃ済まない筈なのに。普通の女と、お前みたいな最高の女とで、
「僕が……お前を、幸せにできるわけないだろ……!」
「別に、お前に幸せにしてもらわなくたって、私が勝手に幸せになってんだから構わねえだろ。
私はなぁ、リノ、お前のことも本気で好きなんだよ。クリスの代わりとかお前に求めてない。お前が自分のこと、取り柄がないって欠点あげつらう度に……まあ、どれも否定できねーなーとは思いつつ、それでもお前が好きなんだよなって、ずっと思ってたよ」
やめろよ、お前、クリスと同じこと言うの、やめろよ。
あいつもお前も、僕が言ってほしい言葉を、なんでそんなに簡単に言えるんだ。
言葉って怖いんだぞ。この僕が、愛されてもいい存在だって、許されていい存在だって勘違いしてしまったら、どうするんだよ……。
「この、馬鹿……クリスもお前も、大馬鹿野郎だよ……」
「私は野郎じゃねーぞ!」
「もうやだ……泣いちゃった」
テーブルに突っ伏す。危ない、おどけてみせないと、マジ泣きするところだった。
頭を撫でられる。そっと、何度も。
「やめてくれ……泣かせにくるなよ……」
「おっ、泣いてなかったかぁ」
「酷くない……? 僕を何だと思ってるのさ」
「可愛いリノちゃん」
「今の僕つかまえて可愛いなんて言えるのお前くらいだよ……」
見た目すら厳つくなって、可愛い要素ゼロだろうに。
思わずくつくつと笑いが漏れる。
「えっ? 見た目もほら、笑ったら可愛いぞ。それにお前はなんつーか、弟っぽくてほっとけない可愛さがあるよな」
「何でだよ、同い年だろ!」
「だっていつまでも十代みたいに悩んでぐるぐるしてるし……」
「お前と違って考えることがいっぱいあるの!」
「だから、さぁ」
憎まれ口を叩くと、頬をむに、とつねられた。
「私も一緒に悩んでやるから、今日みたいにいきなり結論勝手に出してくるの、やめろよ。びっくり箱じゃねーんだから」
「……善処、する」
僕が渋々頷くと、インカーは肩をすくめてから呆れたように、まあ今はそれでいいよ、と笑った。
ああ、僕、もしクリスがこのまま起きてこなかったら。
こいつが欲しい、な……。
結婚して、子供を作って、そうだな、リリス、なんて名前をつけて。
ふふ。
やっぱ僕、悪い子だ。
こんな欲望は、絶対壊れない箱に仕舞って、鍵をかけてしまおうね。
大切な人の大切なインカー。
君を絶対に守る。
騎士も悪党も、僕の役目だった。
【KAC20243】ある一般男子大学生の開梱/悔恨 千艸(ちぐさ) @e_chigusa
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