【KAC20243】ある一般男子大学生の開梱/悔恨

千艸(ちぐさ)

シンプルに僕が悪いんだけどさ

 あいつは今、箱の中にいる。

 ってまるで留置所にいるみたいに聞こえるか。

 そうじゃなくて、あいつがいるのは、うちの大学の附属病院の病室だ。


 そこにあるのは僕の体だ。

 二人の意識が入れ替わるなんて現実じゃあり得ないと思ってたけど、この身に起こったら、そうか〜〜〜……さてどうしようね、って感じ。

 僕はリノで、この体はクリスのもので。

 あそこに寝てるのは僕の体で、

 多分、クリスはその中で昏睡状態。


 僕はあいつをあの箱から出すために、今の大学で医者を目指してる。


 どうしてこうなったか、の話をしようと思う。

 僕とあいつは親戚だ。

 僕が叔父で、あいつが甥。

 僕らは同い年の幼馴染で、十歳の時に結婚を誓いあった仲。

 勿論、冗談だ。

 多分、きっと。

 〈リノちゃん〉の体は小さくて華奢で、きらきらの長い金髪で、天使のように可愛かったから、クリスは僕のことを女の子だと思っていたのかもしれない。

 僕は当然、クリスも僕も男の子だと分かっていた。

 分かっていたけど、嬉しかったんだ。

 クリスは体が大きくて、運動神経抜群で、頭は……僕の方が賢かったけど、それでも僕の話をうんうんと聞いてくれた。

 僕が家のことで揉めた時は、うちに来いよと泊めてくれた。

 兄弟のような、親友のような、

 もっとかけがえのない関係のような。

 だから、結婚……というのは悪くなかった。

 一生一緒にいられるんなら、何だって良かった。

 ま、あいつはすっかり忘れてしまってるんだろうけど。

 だって……

 僕より、新しく出来た彼女を選んだんだから。


 で、色々あって、僕がぱぁんして、あいつらの目の前で刃物持ち出して、歩道橋の上で自分の喉切って、止めようとしたクリスと二人で転がり落ちて。

 気づいたらこうなってたってワケ。

 そうはならんやろ。

 なっとるやろがい!

 ってやつ。


 あー、それで僕の方が今自由に動ける体になって、クリスの方が昏睡状態だってんだから、救えないよ。

 あいつの彼女が可哀想。

 だから僕は、さっさとあいつを起こさないといけないんだ。

 おらクリス、いつまで〈リノちゃん〉でいる気だよ!ってね。


 彼女は、インカーは、入れ替わった僕らを受け入れている。

 いや、よく分かんない。半信半疑というやつかもしれない。

 彼氏が二重人格になったようなもんだろ、とか言ってたし。

 ……んー。まあ、僕をリノと呼んでくれているからいっか。


 そう、インカーと僕は今付き合ってる。

 クリスの体で。

 あいつが知ったら……どうせ全然怒らないんだろうな、という確信がある。インカーを繋ぎ止めておいてくれてありがとねーとか平気で言いそうだ。

 問題はあいつじゃなくて、インカーだ。

 インカーは僕と同じハーフだ。彼女は父親がイラン系の人らしい。僕は母親が東欧。ちょっと近くて親近感。いや、歴史的に見れば親近感どころの話じゃないんだけど、だからこそ仲良くしたいじゃん?

 なんてのは全然関係なくて。クリスがハーフ好きという話でもなくて。あ、それは否定できねーんだけど。

 大丈夫なのか?という話だ。

 インカーの倫理観は日本人のそれより厳格だった。父親は日本に馴染む方針らしく彼女の宗教はイスラムじゃないけど、それでも浮気なんて万死に値する。同性愛も、ホントは駄目。ただ自分がやらなければ、他人にまで口出しするつもりはないと言っていた。

 彼氏がバイセクシャルなのは、結構綱渡りだと思う。

 でも、それ以上に。

 あいつが起きたら。

 彼氏が二人になったら……どうするんだろうか。

 リノの体の中にいる本来の好きな人、好きな人の体の中にいる僕。選ばれるのは、どっちだろうか。

 浮気は絶対に駄目だと考える彼女は、今は二重人格の彼氏と付き合ってる状態だと理屈付けているけど、あいつが起きたらそれは通用しなくなる。

 というかさ。

 絶世の美少年で人格がクリス。

 こっちの勝ち目、無くない?

 いやクリスはクリスで見た目も格好良いし背も高いし運動できるしそこは互角だとしても。

 僕、クズだし。

 クリスの頭悪いから、元の体の頃みたいな目の覚めるような天才でもなくなっちゃったし。

 馬鹿にしてる訳じゃなくて……客観的事実として……これには結構悩まされてるので、本当の話。


 僕の取り柄、なんも無くなっちゃった。



 パンドラの箱って知ってるかな。

 日本人なら七割くらいは知ってるかな。

 パンドラという女が好奇心に負けて、決して開けるなと言われていた箱を開けてしまう。

 その中から疫病や犯罪、悲しみや苦しみ、色んな「よくないもの」が飛び出していき、箱の中には「希望エルピス」だけが残る……。

 僕がやろうとしてることは、それだ。

 クリスを起こす。

 クリスをあの箱から出して、インカーのパンドラの箱を開ける。

 そして、これ以上インカーが悩まないよう、僕とクリスの意識を元の体に戻すのだ。


 そしたら、僕はお払い箱、ってね。

 ふふ、箱ばっか。面白いな。



「って思ってた時期が僕にもありました……」


 ぼそり、と呟く。

 インカーと同棲し始めた新居は中々居心地がいい。

 何より、台所が居間から見えないのが良い。

 インカーが飯を作ってる間のんびりしてても罪悪感が少なくて済む。

 ……クリスなら、一緒にやろー!なんて言って二人で並ぶんだろうな。

 僕はクリスじゃないし、料理には興味無い。この体になってからやたら腹は減るんだけど、正直嫌いなものさえ入ってなけりゃ質より量だ。

 ちなみに嫌いなものはそれなりにある。インカーはクリスと同じ体なのにおかしいよな、と言って笑う。あいつは好きなものは僕と一緒だけど嫌いなものは無いのが自慢だったからね。でもインカーは僕の嫌いなものをちゃんと把握してくれていて、細かく切って入れてくれやがる。全く、優しさで涙が出るよ。


 ……やっぱ愛されてんだよなぁ、僕。

 どうしてこうなっちゃったかなぁ。


 進学振り分け制度っつって、二年の後半からようやく所属学部が決まるうちの大学では、三年から所属の学部によってキャンパスが変わる仕組みになっている。

 希望の学部に進学し、インカーの大学と近くなることが決定した時、彼女は平然と「んじゃ、一緒に住むか」と言ってきた。まあ、それまでも定期的にうちに来て掃除とか片付けとかなんか色々世話を焼いてくれていたので、一緒に住んだ方が楽だと思われたんだと思う。

 で、内見の時、狭過ぎないか?とインカーに聞いたんだ。三人で住むには、って、カマかけるようなこと聞いてしまった。そしたら彼女は平然と、「お前は別にクリスと一緒に寝ればいいじゃん」だって。

 それってさぁ。

 三人で、友達同士で仲良く住むんじゃないんだぞ。


 僕とクリスはヤったことがあるし、僕とインカーもヤることはヤってる。

 クリスが僕との関係をなんて伝えてるかは知らないけど、僕はインカーに最初に言った。

 勿論、マウントを取るためだ。

 あの時はインカーと付き合うなんて思ってなかったから……。

 ダサいよ、知ってるよ。

 でも、分かんねーんだよ。

 この体、僕の気持ちなんか関係無しに、インカーにめちゃくちゃ正直に反応したんだ。

 インカーが隣にいるとドキドキしたし、良い匂いだなって感じるし、気がつくと髪を撫でてるんだ。

 もう訳分かんなくなるよ。

 気が狂うかと思った。

 いや実際狂った。

 狂って、抱いた。

 インカーは処女だった。

 その時の僕の罪悪感ったらなかった。

 クリスは彼女のこと大事に大事にしてて……もしくは、僕とヤッたことが忘れられなくて、インカーに申し訳なく思ってたのか、僕には分からないけど。

 とにかく、あいつはインカーに手を出してなかった。

 そんなの聞いてないし、

 インカーは泣いてるし、

 でも嬉しいって言うし、

 この体は好きだって反応するし、

 僕のクリスの彼女って、確かに僕のものじゃね?ってズルい考えも浮かんでくるし、

 もう、酷かった。

 誰も僕を責めないのが最悪だった。

 そんなに僕、自分さえ良ければいい人間なのかって、吐き気がした。

 知ってたけど、分かってたけど、そこまでとは。

 僕は賢いから自分を客観視できてしまう。

 僕は、悪だ。

 何一つ不自由ない家庭で愛されて友人にも恵まれた環境で、それでも自分の悪性が大きすぎて克服できなかった、善性を獲得できなかった、忌み子。

 社会に存在してはいけない異物。

 時代が生んだのでも社会が育てたのでもない、本物のモンスターだ。

 そうだよ。

 知ってた。

 だから首切って死のうとしたんだもん。


 死んだ方がいい人間がここにいる。

 死のうとしたのに死ねなかった人間がここにいる。

 今度は死んだら絶対に駄目な容れ物に入れられて。

 神様の仕業?

 僕が死ぬと人類の損失だから?

 何かやらなきゃいけないことがあるから?

 クリスの自由を奪ってまで生きないといけないの?

 そうまでしてやらなきゃいけないことって、何だよ。

 好きな人を傷つけることでしか生きられない僕だぞ。

 もう存在してる方がよほど人類の損失じゃないか?

 この容れ物さえどうにかなれば。

 クリスに返せれば、もう一度死ねる。

 インカーだってああは言ってたけど、きっとクリスを選ぶはずだ。

 砂漠の熱い血を持つ彼女に、浮気を恥だと思う彼女に、クリスに相応しい気高い彼女に、苦しみを押し付けたくない。


 そろそろちゃんと、話をしよう。



「リノ!飯できたぞ、こっち来い」

「おっけー」


 僕はダイニングに移動した。テーブルの上に、1対2に盛り付けられたたらこスパゲティと、カリカリベーコンとベビーリーフのサラダ、細か〜く刻まれたパプリカを載せて……。

 こんくらいなら、まあ、余裕だ。

 二人でいただきますをして、先にサラダからやっつけていると、インカーが不思議そうに僕を見てきた。


「リノ。なんか悩み事?」

「……なんで分かんの? 気持ち悪い」

「えあ、ごめん……」

「謝ることじゃねーよ。パプリカのトッピングに文句言わなかったからだろ」

「まあ、それもあるし、虚空見つめて難しい顔してるし」

「フェレンゲルシュターデン現象かよ」

「フェ、なにて?」

「知らねーならいいや」

「悪いな、話通じない物知らずで」

「素で謝んなよ……僕が悪いみたいじゃん」

「そんなこと思ってもないけど……」


 けど、何だよ。僕はしばらくイラつきながら続きを待ったが、話はそこで終わりのようだった。相変わらず日本語の下手な奴。

 仕方なく、僕から話す。


「悩み事。食い終わったら話す」

「分かった」


 そこから食べ終わるまで無言。なんかこう、仲良く談笑とか、やればいいんだろうけど……あんまりインカーと仲良くすると、段々と後ろめたさが湧いてくる。だから僕はずっとインカーには塩対応するように心掛けていたし、インカーも好きな相手というより男友達に接するみたいにざっくばらんに応酬してくる。

 あー、それが僕のツボなの、分かってねーんだろーなー!

 こいつは可愛くて壊れそうな女の子じゃない。

 僕のワガママや無茶にも我慢して応えてくれる、強い女だ。

 喧嘩する時もまっすぐ僕の目を見て諭すように話す。

 理性的で、論理的で、愚鈍じゃなくて、懐が深くて。

 クリスみたいだ。

 ……その評価、我ながら酷いな。元カレと彼女を比較すんじゃねーよ。

 あーやだー! もーやだー! ホント僕は嫌な奴だ!!

 そうだよ、二人とも好きなんだよ。今となっては認めざるを得ない。最初は嫌がらせ半分でインカーと付き合っていたけど、付き合えば付き合うほど、本気で好きになっていった。ていうか、インカーのこと嫌いになる人間なんていないんじゃないか? こいつ、僕らみたいなややこしい男と付き合わなくても全然不自由しないだろ。可愛いし、胸でかいし。

 だから余計に申し訳ない。なんでこいつが僕の隣りにいるのかが分からない。僕が好きになっていい相手じゃないのに、僕はもうインカーとずっと一緒にいたいと思ってしまっている。勿論クリスとも一緒にいたいし、そうなってくると、色々ややこしくなる。

 いや、ややこしくしているのは、僕だ。

 クリスとインカー、二人だけなら完璧なカップルなんだ。


 インカーが最後のひとくちを口に入れたのを確認して、僕もスパゲティの最後のひと巻きを放り込む。


「……ごちそうさま。美味しかった」


 嘘だ。味なんてほとんど覚えてない。


「そりゃ良かった。で、悩み事って?」


 当然、忘れてくれてはいなかった。

 僕は溜息をついて、覚悟を決めた。


「……お前さ。僕とクリス、どっち選ぶの」

「……は? お前はリノだけどクリスだろ」

「僕があっちの体に戻ったら? この体にクリスの意識が戻ったら?」

「それは……」


 インカーが口を閉ざす。

 答えは明白だろうに、悩んでくれているのは、どう僕を傷付けずに返答すればいいのかを考えているんだろう。

 そんなの、無駄な気遣いだよ。

 だってこの沈黙自体が、もう僕にとっては重い罰なのだから。


「……選べない」


 インカーの口から出てきたのは、まるきり予想外な言葉だった。


「……は? なんで」

「確かにガワはクリスだけど、

 私がこの三年間付き合ってきた男は、

 リノ、

 お前だ。

 お前のことが嫌いならとっくに別れてる。」

「……だって、お前、浮気は万死に値するとかって」

「うん。今でもそう思ってる。

 だから、どっちかを選ぶ時が来たら……私は、どっちもを諦めるだろうな」

「っ嫌だ、駄目だ、それは……!」


 僕は思わず席を立ってインカーを抱きしめた。

 僕のせいでお前とクリスが離ればなれになるなんて絶対にあっちゃいけない。


「……だって、私がいなけりゃお前ら、両想いじゃん。

 ここの契約も、契約主はクリスの名前だ。

 ……ふふ、営業さんおかしな顔してたよな……私はリノ、リノってお前のこと呼んでたのに、お前はクリスって名前でサインしたから」

「だってこの体はクリスのだし、一応社会的には僕はクリスで通ってるから……って、そんなことはいーんだよ……

 あいつが起きたら、出ていくつもりだったの?

 だからこの部屋で十分だって思ってたのか?」

「あー……まあ、そう……。

 あんまり、考えたくない未来、だけど。

 でも来てほしくないって思うのも、なんかあいつに申し訳なくて……もう、こう思ってる時点で、私はあいつの彼女でいる資格なんか無いんだ」


 インカーの顔が苦々しげに歪む。

 僕は必死に彼女にすがりついた。


「そんなことない……! インカーがクリスの彼女でなけりゃ、僕はお前を好きになってなんかない!

 なあ、お願いだ、あいつと一緒にいてくれよ。僕さえいなかったら、お前らお似合いの理想のカップルなんだよ。

 僕なんかのためにかき回されないで……死にたくなる……」

「大切な人に死なれるのは、困るなぁ……」


 インカーは悲しそうな笑顔を浮かべて僕の頭を撫でてきた。

 僕らは本当に、どうすれば良いんだろう?

 なんであの時、死ねなかったんだろう。



 僕らは禁忌と知りながら、パンドラの箱を開けようとしている。

 最後に残る「希望」の形を、思い浮かべられないまま。

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